5月23日の歴史 戦国

豊臣秀頼の子 
国松丸が京都六条河原で斬首
 

 

慶長20年(1615) 5月23日
  
大坂夏の陣の後 
逃れた国松は
徳川方の捜索で発見され
市中車引き回しの後 六条河原で斬首された

国松の死により豊臣家 
秀吉直系の血が途絶える

田中六郎左衛門
長宗我部盛親なども共に斬首されている
 
松の丸殿が国松の遺体を引取り
京都寺町の誓願寺中に葬った
松の丸殿は誓願寺再興時の施主であった
自分の墓も国松の墓と並んで建てさせてる

松の丸殿=京極竜子


【国松と松の丸殿との関係】
国松の祖母 淀君と松の丸殿は従姉妹です

現在 松の丸殿、国松の墓は↓↓
 



阿弥陀ヶ峰の豊国廟への階段登り口の左手にある

豊臣秀吉公の側室 松の丸殿の墓(右) 
国松の墓(左) 戒名は漏世院雲山智西大童子



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国松には伝説も多くありますね~生きて九州に逃れたとか

薩摩国に落ち延びて 木下延次になったとされる伝説

天草四朗も秀吉の孫(秀頼の子)て伝説もありますね