12月4日の京の歴史大仏1
慶長7年(1602)12月4日

 

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慶長7年(1602)12月4日
豊臣秀頼が秀吉の意思を継ぎ
再建を進めていたが
方広寺大仏殿が失火で焼失してしまう


 

その後2度の焼失

寛政10年(1798年)の7月にも落雷により焼失

この時の消失は京都の

わらべ歌として残ってます

京の 京の 大仏つぁんは 天火で焼けてな 
三十三間堂が 焼け残った 
ありゃドンドンドン こりゃドンドンドン


そして3度目の焼失は

昭和48年(1973年)3月28日
深夜の火災によって焼失

この火災は
当時のうちの家からも近かったため

母親とかも見に行ったそうです

方広寺は大阪の陣の
勃発原因となったとされる釣鐘もあり
かねゴーン
 
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それを紹介した記事
http://ameblo.jp/matsuriouji/entry-11692902215.html


方広寺大仏殿と大仏の焼失は

何回もあるてミステリアスですね

豊臣秀吉の祟りなのか
徳川の嫉妬心の怨念なのか、、、


話は変わりまして

豊国神社&方広寺は
俺の小さい時の遊び場やったんですよ(^^)/

 

それと方広寺の息子さん
同じ幼稚園で同級生 もう後継いだんかな?