伏見城の戦い
伏見城攻めの総大将は宇喜多秀家、副将は小早川秀秋で、
その他に毛利秀元、吉川広家、小西行長、島津義弘、長宗我部盛親、長束正家、鍋島勝茂などが攻城側に参加し、総勢4万人の大軍であった。
これに対して、守備軍は鳥居元忠を総大将とした1800人であった。
伏見城は豊臣秀吉が築き上げた巨郭であるとは言え、
兵力差から考えれば短時日で決着するはずの戦いであったが、
攻城側は苦戦を強いられた。城将の鳥居元忠とその兵達が予想外の奮戦を見せ、
また包囲軍の内部にも三成らに強制的に西軍として与させられた者がおり、
戦意が上がらなかったなどの要因があったためとされる。
状況を打開するため、
島津義弘は配下の長束正家に伏見城内にいた甲賀衆の妻子一族を捕縛させ、
内通しなければ家族を磔にすると脅迫することを命じた。
正家は近江水口岡山城の領主であったため、
甲賀衆とも親しい仲にあり、
伏見城内には徳川氏の伊賀衆の他に甲賀衆もいた。
甲賀衆はこの脅迫に応じ、伏見城内に火事を起こした。
この裏切りによって支えきれなくなった元忠は8月1日に討死し、
伏見城はようやく落城した。
伏見城てやっぱり奥が深いですね
4万もの軍勢が
1800人くらいの軍勢相手に
落城させるのに10日かかるて
伏見城のすごさがわかります
それと
関ヶ原の合戦への
前哨戦になったのがこの戦なんです
思ったのは伏見城も
他府県のお城みたいに
盛り上げていかなあかん時期やと
思います!!
伏見区関係者の皆さ~ん
ド派手な戦国祭を
桃山城でお願いします