京の織田信長公ゆかりの地



歴史タレント☆吉岡淳の天下布武への道!

建勲神社

祭神:織田信長・織田信忠の父子
1880年(皇紀2540)明治13年
東京の建勲神社が、船岡山の山頂に遷される


本能寺

6月2日 (本能寺の変)
明智光秀軍が突然京都に進軍し、

本能寺の織田信長を襲撃する
織田信長は、自ら槍を手に奮闘したが、

居間に戻り、自ら火を放ち、

燃え盛る炎の中で自害したといわれる


延暦寺

比叡山全体を焼き払った
その復興には

豊臣秀吉や徳川家康らによって長年かかって再建される


大徳寺

織田信長の葬儀を大徳寺で1週間にわたり盛大に行う
これにならう諸大名の塔頭の建立が相次いだ


総見院

1582年(皇紀2242)天正10年
大徳寺の塔頭の一つで、豊臣秀吉が建立した織田信長の菩提寺


東寺

足利義昭を清水寺に居させ、
織田信長は、東寺に陣を構え、洛中を制圧した


石清水八幡宮

本殿の棟の間に架けられている黄金の樋
1580年(皇紀2240)天正8年
織田信長によって寄進されたもの


真如院

織田信長が、

真如院で迎えるために作庭した枯山水庭園がある

 

泉涌寺

楊貴妃観音堂(ようきひかんののんどう)
1575年(皇紀2235)天正3年
織田信長の建立


妙覚寺

織田信長の上洛時の宿所としてもたびたび使われる

 

三室戸寺

織田信長と争った足利義昭に協力したため、
織田信長の焼き討ちにより焼失する


こぬか薬師

織田信長の勧請で薬師院に移されたといわれる


建仁寺

西南隅の木の茂みの中の、七重の石塔
織田有楽斎(おだゆうらくさい)が、

兄 織田信長の追善の為に建てた供養塔


神蔵寺

1575年(皇紀2235)天正3年
織田信長の命により全焼させられる


悲田院

1573年(皇紀2233)天正元年
織田信長の上京焼討ちで焼失する


玉鳳院

豊臣秀吉、織田信長、織田信忠、武田信玄などの

位牌が安置される


大雲院

1587年(皇紀2247)天正15年
貞安上人が、正親町天皇から

「御池御所(二条烏丸)」の地を賜って、

織田信長・織田信忠父子の菩提を祀るために

建立したのが由来
寺号は、織田信忠の法名にちなんで「大雲院」とされる


毘沙門堂

天正年間(1573年~1592年)
織田信長の兵火で全焼




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