泣けるコピペ1 | マッツンのブログ

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中3男子がマイペースに様々なジャンルの情報を発信します。



悲しい感じになるものを集めました。











俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
おせっかいなとこが嫌いだ。
何よりも 子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
大学に入り、一人暮しを始めて二年も 経つ俺を赤ちゃんみたいに心配すると こが嫌いだ。
今まで付き合った彼女より誰よりも俺 を心配してくるとこが嫌いだ。
金が無くなって「もっと金を送れ!」 と、言って結局送ってくるくせに しぶるとこが嫌いだ。
「こんな家に生 まれてこなければよかった」と、言う と 電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。

俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
そんな母親がこの間死んだ。
毎日のよ うに俺を心配してかけてくる電話が ただただウザくて、俺は携帯の電源を 切っていた。
だから、通夜にも行けな かった。 死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋 がらない俺を心配して体調を悪くした 併発だった。

俺は母親が嫌いだ。
自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
こんな俺のために死んだ母親が嫌い だ。
五十年近くの人生の半分を俺に費 やしたとこが嫌いだ。
死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがって いたとこが嫌いだ。

俺が毎日2chに入り浸っているとも 知らず、死ぬまで働いた母親が嫌い だ。
今日をもって、俺は2chを引退す る。
嫌いだった母親にしてあげれな かった 親孝行を今更だがしたい。
受け止めれ ない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい












僕はご主人様に拾われました。
毎日、おいしいご飯をくれました。
外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。
いつも、いっぱい遊んでくれました。
たまに、イタズラして怒られました。
けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。
ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。
そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。
いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。
いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れて行ってくれました。
病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。
家に帰っても、ご主人様は泣いてました。
だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。
そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。

数日後…僕は体が動かなくなりました。
ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。

僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。
ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。
僕はすごく幸せです。おやすみなさい。
僕は…眠りにつきました…











自殺考えていた頃におふくろから電話

( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」
       「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚-゚*)
( ´・ω・`) 「・・・・・・?」
       「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚-゚*)
Σ( ´・ω・`) 

( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」
       「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚-゚*)

( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」

電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。
オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に














私は、2歳のとき父を亡くし、以来、私をひとりで育ててくれた母も私が中学二年生の時
突然の心臓病でなくなりました。その日のことです。

近所のスーパーに勤めていた母ですが、学校から帰ると勤めを早退した母は床に臥していました。

「お母さん、どうしたの?」と聞くと「心配しないでもいいよ、ちょっと風邪をこじらせただけだから」とか細い声で答えました。

昨日からなにも食べてない様子だったので「なにか買ってこようか」と聞くと「おまえも今、期末試験中で大変なのに、いいの?」「もしよかったらリンゴが食べたい」「じゃあ、すぐ買ってくる」

リンゴを買って家に着いたとき、母はもう死んでいました。

枕元に、ほんのわずかな時間に、苦しみながら書いた母の言葉の走り書きがありました。

「哲、ひとりになってもお母さんお父さんはいつもおまえを守っているよ ありがとう」
とありました。

私は、それ以来リンゴを見ることもむろん食べることもできなくなりました。あれから九度目の桜を見る季節がもうすぐやってきます。私にとっての桜の季節は、ただリンゴをにぎりしめながら泣きつづけた日々の思い出なのです。













俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエ○ビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。

俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。













うんと小さい頃「大きくなったらカーチャンと結婚する」と言った俺に「お父さんがいるから無理」と断って失恋させたカーチャン
ある日目が覚めると俺の体が全身落書きだらけで泣きながら「姉ちゃんに落書きされた」と訴えると「足の裏はお母さんです。可愛く描けたと思っています。」と応えたカーチャン
うつ伏せで寝てるとカンチョーしてくるカーチャン
俺が車に轢かれそうになった時に悲鳴をあげながら庇ってくれたカーチャン
俺の代わりに轢かれたカーチャン
なぜか無傷のカーチャン
職場でいじめられて「たっくんがいじめられてたとき助けてあげられなくてごめんね、一人じゃどうしようもないものなんだね。」と謝ってきたカーチャン
新しい職場では無駄にもててたカーチャン
引篭った俺を外に出そうとお出かけに誘ってくるカーチャン
断ると悲しそうな顔をするカーチャン
気まぐれでOKするとちょっと驚くくらい喜ぶカーチャン
明日お弁当作るから公園で食べようねと笑顔のカーチャン
次の日「お弁当ができたら呼ぶから準備しておいてね」と言ったまま呼びに来なかったカーチャン
見に行くとキッチンで倒れてたカーチャン
もう会えないカーチャン
最後まで迷惑かけて心配かけてたけど大好きだったカーチャン

















その先生が5年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に間違いない。先生はそう思った。

2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。3年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。後半の記録には「母親が死亡。
希望を失い、悲しんでいる」とあり、4年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう。」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いてる生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。後で開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに間違いない。
先生はその1滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」

6年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から1枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから6年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。
十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みがわかる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です」

そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と1行、書き添えられていた。















(;_;)


もともと、自分は涙もろいので



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