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支援活動2日目 その1

1日目の夜は車で寝たのだが寒さのためほとんど眠ることができなかった。五時半ごろ起床した。朝食の準備をしメンバーの皆で食べていると被災者らしい男性の方に声をかけられ泥で埋まってしまった家の片付けを手伝ってほしいと言われた。すぐに3人のメンバーが手伝いたいと志願してくれた。現場に向かうのはこれが始めてで必要物が全くわからなかったのだがとりあえず長靴、ゴム手袋等準備を整え送り出した。須藤さんは今回の津波で壊滅的な被害をうけた女川に視察に向かった。残ったメンバーはドラム缶風呂の設置にとりかかった。駐車場にテントを立てその中にドラム缶風呂を設置する計画を立てていたのだがこの日は風がきつくテントが思うように立てられない。車でコの字型にテントを囲みなんとか一段落すると現場のメンバーから人手が足りないと連絡が入った。すぐさま4人メンバーを募り現場に行ってもらった。ボランティアセンターにもかけあってみたのだがすぐには動けないとのことだった。メンバーを送り出してしばらくするとまた現場のメンバーから連絡が入った。のこぎりと泥を入れるドブ袋を持ってきてほしいとのこと。車はドラム缶風呂のため動かせなかったのでとりあえずのこぎりとその他必要であろう物を持って僕は自転車で現場に向かった。

支援活動1日目 その3

東京チームのメンバーとは全員初対面だった。今回はホームページから募集して総勢24名で支援活動を行うことになっていた。日が暮れかかっていたので挨拶もそこそこにベースキャンプの設営にとりかかった。あっという間に設営も終わり、須藤さんとボランティアセンターに挨拶を済ませてベースに戻って来ると一人の女性の方から「ボランティアに来ている方にラーメンの炊き出しをしているのでよかったらどうぞ」と声をかけてもらったので夕食を食べていなかった僕たちは甘えさせてもらって美味しくいただいた。その後は自己紹介も兼ねてミーティングを行った。さまざまな境遇の人間が同じ想いの下に集まってきていた。皆意識が高く僕は心が引き締まる想いだった。その後は明日に備えて就寝準備に入った。石巻の夜はかなり冷え込み4月でもおそらく氷点下まで下がっていたと思う。メンバーはテントと車に別れて就寝した。僕は車で寝た。深夜2時ぐらいだったと思う。こうして1日目の夜は更けていった。

支援活動1日目 その2

地震のためかなり路面状態の悪い高速道路を降りるとそこはもう津波に襲われた地区だった。街は砂埃が舞い、側道の至る所に泥と瓦礫の山が積み上げられている。道路は砂埃で薄汚れた車で大渋滞していた。途中のガソリンスタンドはかなり車が並び整理券が配布されていたが並べばなんとかガソリンは給油できそうな雰囲気だった。。途中でトイレに行きたくなりラーメン屋でトイレを借りた。地震から3週間が経過し石巻市でも一部の地域では水道が開通しているようだった。しかしまだまだ水道が開通していない地域が多いためかコインランドリーが最も人で溢れていた。そしてやはり沿岸部に近づくにつれ津波被害がひどくなっていくのが実感できた。側道脇のありえない所に船が打ち上げられていたり、車がひっくり返ったりしているのを横目で見ながらトラックを進めた。

目的地の石巻専修大学に到着したのは午前11時過ぎだった。京都から約15時間かかった。すぐに先に到着していた水コンテナを積んだトラックの運転手に連絡をとった。そのトラックは水をおろした後すぐに関西に帰ってもらう予定だったからだ。水コンテナを置く場所を確保しようとボランティアセンターの方と話をしたのだがなかなか許可がおりない。なんでも大学側の許可をとる必要があるとのこと。なんとか無理を言って水コンテナは大学の駐車場に置かせてもらうことになった。この水コンテナは一度置くとコンテナ内の水が空になるまで重くて動かせないので置き場所はでかなり重要で、他のボランティアの方に迷惑がかからない、かつ排水のことを考えて場所を選択する必要があった。水コンテナをおろし終わると溜まっていた疲れが一気に噴出しある程度荷物をおろして芝生の上に寝転がった。3時ぐらいだったと思う。到着してからここまで4時間近くかかったことになる。昼間だったが寒さでほとんど眠れない中東京チームから連絡があり到着が予定よりも遅くなりそうなのでテントを立てておいてほしいとのこと。僕と社長は疲れた身体を引きずり持ってきたテントをたてた。そうこうしていると東京チームが到着した。
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