「ぶっつけ本番」のテレビ番組なんて、有り得ない… | マツモト「ツ」ヨシ の ブログ

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このブログは主に落語について綴ってみたいと思います。

 NHKは視聴率が安定している全国放送なので、売り出し希望の有象無象が、芸能人も非芸能人もわんさか集まって来る。

 最近こそ耳にしないが、以前は、「NHK」とは「Nにほん+Hはくしゃ(薄謝)+Kきょうかい」だという言い方が有ったくらいで、出演料なんか安くても、下手をすりゃ無くても、みんないくらでも出たがるものだから、出演者は選り取り見取り、格安で使えるのだとか。

 

 我こそは日本で一番偉いと思っている国会議員も、画面に映って支援者に顔を見せようとカメラの視角を求めて止まないそうで、NHKにとってはちょっと上級のミーハー族でしかないんだとか。

 国会議員がその体たらくだからであろう、NHKは、日本政府が最優先課題としている拉致問題の海外放送にも協力せず、いけしゃあしゃあとしているわけだ。


 しかし、そんなに出演料が安いんじゃあ…と、圧倒的な人気を誇る人間が出てくれないようでは、今度は「公共放送」のメンツに係わるので、それも許すわけにはいかない。

 そういう場合には、出演料をはじめ、番組の製作方法、出演者の描き方、イメージ作りなど相手の要求になるべく応えることで「伏して出演してもらっている」に違いない。

 要は、弱いものにはひたすら強く、強いものにはひたすら弱い、というどこかの芸能プロダクションのようなものだ。

 

 寄席が好きなもので、人気の有る人間というと、タモリ、笑福亭鶴瓶、明石家さんまらのお笑い系が活躍している/活躍していた番組が、すぐ頭に浮かんで来る。そう言えば、それらの番組でのNHKによる彼らの奉り方には、「卑下」と「媚び」が露骨である/あった。

 

 一方、民放のテレビ界では、御主人様はスポンサーである。番組にどんな出演者が出るかは企業イメージを左右する重大事であるから、人気者への出費は必要経費であり、企業も惜しまない。

 局側は出演者に媚びる必要は無いが、視聴者が喜ぶような内容になっているかどうか、番組の中味で勝負しなければならなくなるわけである。

 

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 いまでも「笑点」を見ると番組スタッフのテロップが出て、「構成」というところにたくさんの人の名が並んでいるが、あれは「問題と答」を考えている人たちだ。これを演者がヒントにしてアレンジしたり、そのまま答えたりして放送している。昔の視聴者のように、本番でいきなり問題が出て、その場で落語家が考えて答えている、なんてことを信じている純な人は、いまはもういない。

 

 もっとうがった見方ををする人は、パチン、パッチンとやっている扇子にネタが書いてあって、カンニングしていると推察する。カメラが別の人を撮っている時に、みんなパッチンして下の扇子をのぞいている、と後楽園ホールマニアはいう。

 

 いかん! 全て他言無用の話だった。だけど、これくらいの仕組み、五十六年も見ていりゃわかるよね。

(月刊『Hanada』2022年8月号収録 高田文夫『月刊Takada』)

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 何処の誰だかかも言っていた。「ぶっつけ本番のテレビ番組なんて、有り得ない」と。

 一定の時間に納め、毎回それなりに番組に起承転結が有る。そうか、やっぱり笑点にも台本が有るかぁ…