NHK紅白出場目指してます | 松本隆博のオフィシャルブログ「ng~ネバーギブアップ~」Powered by Ameba

NHK紅白出場目指してます


1961年2月10日生まれ兵庫県尼崎市出身


幼稚園、小学校時代、内気で人見知り。
友達もいなかったし、けど生意気で、
団体行動が苦手な僕。


担任の先生からも
きっと扱いにくい子供だったと思う。
それを救ってくれたのが「漫才・落語」
でした。


小学校の5年生から始めて、すぐに関西
ローカルのお笑い番組に何度となく出演
しました。

中学生になり文化祭の時に、なんて”お笑い”
の扱いが低いんだ!モテルには音楽だ!
当時流行っていたフォークギターにはまり
そこからはずっとギターを肌身離さずに至る。


みんなは有名な曲をコピーして弾くことに
躍起になっていたがそれには一切興味なく、
有名な曲を1、2回聴いたらあとは自分で
勝手に変えてしまう独特な奴だった。
(勝手に神田川の3番を作ってしまう)


(なので初めて南こうせつさんとステージで
セッションさせてもらった時、あまりに
僕のコード進行が変なので「ほんと僕のファンなの?」
てツッコまれた位)


ギターで自分を表現する!
ギターで自分の笑顔や泣き顔を出せる!
日頃かっこ悪い事がギターを通せば表現できる
事に、これは俺の表現ツールなんだと思うようになった。


”いつかはシンガーソングライターになりたい”


そう思った時期もあった。


中学生の時に、父親から「そんなに好きなら歌手になれ」
て唐突に言われなんだか勺にさわり「そんなもん!簡単に言わんといて!」
「難しいもんやで!!!!」と自分で自分の殻を作ってきた自分。


周りの友達らは自分らでコンサートしたりしてたが
僕は我流なあまり人前ではうけなくて、ひとり部屋で、夜中の公園で、
屋根の上で一晩中弾いてたものだ。


高校を卒業し、大学(工学部)に入りそして就職。
最初は信用金庫に入った。
大学でコンピュータを専攻してた僕は、信用金庫で
コンピュータをさせてもらえるものと思っていたが、
最初は窓口業務(本店営業部)。そこで失敗の連続、ひどい不適応。


大失敗をして、でもなんとかやりきって1年後、電子計算課に配属。
(その辺りの失敗談は書籍に)



6年くらい勤め、そこから大手商社に転職、そして大手電器メーカーの
グループ会社に入社(設立したての会社に魅力)。
大阪を拠点としそこで10年。会社が大きくなる経過も経験し
自分の役職も上がり、きっとこのままの人生なんだろうと思っていた。



そこへ40歳の時に大きな転機があった。
”東京にでて新規事業の立上げ”。


それまで東京なんてたまに出張に行っても肌に合わず、
なんて冷たい街なんだと思っていた

(大きな誤解に後に気付く)。


事業会社はヒューマックスという社名(大手の両者の社名を合わせた)で
企業系HPの受託、そしてデジタルテレビ向け教育コンテンツ開発。
(当時は教育コンテンツの実証実験で灘高校の講師もした)


有名高校の学生を集め合宿もしマスコミにも取上げられた。
(「未来への贈り物」・・私たちは先人によって発明開発された
ものの恩恵を受けて今生きている。では君たち高校生があと30年して
未来の若者に何を贈るのか?をテーマに合宿。
ご一緒させて頂いたのは前文科省副大臣鈴木寛さん)


この頃から今の考え方同じだったんだと気付く。。




また

「女性の基礎体温管理サービス」も商品開発。
そこから「女性を応援するサイト http://VEAUTY.jp/ に発展する。
その商材がご縁で、少子化対策NPO法人「赤ちゃんファミリー応援隊」理事
に就任、同法人のテーマ曲でもあり、アカチャンホンポ店内でも
掛かっている楽曲「親友」も自ら作詞作曲したもの。


教育系の商材開発がメインだった為、ここでひとつ位、
自分の思いを商品にしよう!と思い作ったのが
「取締役松本隆博のフォークギター入門DVD」。
コードなんて5つあれば充分!
最初の挫折”Fコード”いらない!
まずは一曲弾け!
というもの。(今も千円で発売中!)

その商品に"ボーナストラック”として付けたのが
後のデビュー作「尼崎なオカン♪」である。

半年後にはそれでデビュー!(インディーズ)


そして2008年にはソニーから念願のメジャーデビューを
果たすことになる「お母ちゃんの言うとおり」


事業も最初は成功していき経営も黒字で数度決算を向かえ、
音楽活動とビジネスとの2足のわらじは最初はなんとか
こなしていたが、徐々にひずみがでてき、
親会社本体からも指摘が出だし、考えに考えた末、
歌でやっていこうと決めました。


そこの頃には既に多くの高校や専門学校大学を講演ライブで
回っており、多くの若者が僕の講演で立ち直った!とか
親孝行します!とかコメントを数千件もらうようになっていた。

今の若者をみてて自分の若い頃と被る。

「みんなほんとは真面目で大人しくてやればできる子ばっかり」

でもなんだか引っ込みじあんで、生き方へたくそで、
どちらかと言えば、元気で明るくて要領のよい子が
優遇され、現にそいうった子のほうが伸びる。

でも、

ほんの少し、ちょっとだけ背中を押してあげるだけで
一挙に伸びる子も多くいる。

気持の優しい子、それは(隠してたかもしれないが)親思い、
家族の事を思う子らである。その子らを俺はもっともっと応援したい。


独立後、

僕のやる気を計る出来事、東日本大震災。
仕事が全部吹っ飛び、数ヶ月仕事がなくなった。
そして依頼のあるのはボランティア案件ばかり、無償のものだ。
”どうやって俺飯喰うん?”
思いながらも、”これはきっと神様が僕に与えた試金石”
そう思い、沖縄へも行きました。


そこで作った楽曲が「リトマス試験紙」
(震災のような未曾有の出来事に初めて人の本性が見える、
貴方は何色ですか?)
この歌も今、サンドイッチマンさんの番組でエンディングテーマ
で流れ、福島の専門学校の生徒さんにコーラスにも参加して
もらい、僕にとっては震災を思う代表曲にまでなっています。



で、
やめる際に・・・
「企業経営は他の人にできても、歌と講演で日本全国元気に
できるのは私にしかできないこと・・これをやめてしまうと
日本の損失なので、会社のほうを辞めます」
て言って辞めました。


それから5年。
CDリリースも進め(「かぞく」「アーティスト」「5段変速の自転車」等々)
ランキングにも入り、そして年間約200回のイベント数をこなし、
千回を達成するに至った。
(全国を回っている時にふっと思い出した、そう僕は20代、30代の頃にも
ボランティアでギター持って施設や近所の集会で歌って笑って泣かせてた、
そうやはりこれが僕の・・・・天職なんだ!って。)


僕の今の目標は、NHK紅白出場です。

紅白に出てもっともっと僕の活動を日本中に知らせ、もっと日本を元気にしたい。
紅白に出て価値がもう少し上がれば、もっとボランティアでも活動できる回数が増やせる
(事実、僕の講演が真に必要な方々はそういったところの方々だったりする)


紅白に出れば、僕は今までの実績から、一度の紅白出場で何年も何回も全国でこの活動ができる。

ひとりで90分120分、それも必ず成功させるイベントをこれだけやってるおっさんが
この世にいるのか。


NHKさん、そして世間の皆さんお願いです。
僕を紅白に出させてください。


そしてその一回の効果で日本を元気にします。何度も元気にします。

お願いします。



笑顔素直感謝
松本隆博

(一挙に書いたので誤字脱字あしからず)



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・厚生労働省わかものハローワーク広報大使
・「NPO法人 赤ちゃんファミリー応援隊」理事
・助産師マタニティサポート顧問アドバイザー
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