芸能裏話(54) お笑いスター誕生にチャレンジ
三人で吉本興業に挨拶に行った、「もう一度三人でやり直しますので、宜しくお願いします。」
と云ったら、会社の人は「ご自由にどうぞ、ただ吉本はいらん」ときっぱり断られた。
吉本に断られたら、大阪ではやっていけない。
後は東京しかない、しかし東京には伝手がない、そこで当時東京でやっていたお笑いスター誕生に出る事を思いついた。
しかしこれは物凄い難関で、みのるゆたかで応募した事があったが、その時はオーディションにも呼んでくれなかった。
後で聞いた話だが、オーディションの日時などは吉本に連絡が入っていた。
吉本がNSCの生徒を優先して、僕等に連絡してくれなかったのだ。
B&Bさんが初代チャンピオンになり、全国的なお笑いブームを興した。
僕等もその夢に掛けた。その話がまとまったのが1月10日だった!!
急いで日TV電話したら、偶然オーディションが次の日に大阪で開催すると云う事だった。
しかし三人のネタがまだ完成していなかった、仕方がないので竹ちゃんと梅ちゃんの二人にネタを急遽作った。
徹夜でネタを作って練習した。当日は吉本の若手や松竹の若手で一杯だった。
NSCのダウンタウンやハイヒール、トミーズも来ていた。
僕は当時32歳、芸暦10年だった、彼等が「兄さん今日は何しに来はったん!?
まさか出ないでしょ」と云ってきた。
答えに困って「今日は知り合いが出てるので」と苦し紛れの嘘を言った。
その日は竹ちゃんと梅ちゃんには「本来三人で活動しているのですが、
今日はリーダーが仕事で来れない」とテレビ局側には誤魔化すようにしていた。
その計算は当たった、何故なら彼等の出来が悪かったからだ。
プロデューサーが「三人でやるネタはこれじゃないね」「ハイ!全然変わります」
「そうじゃ三人のネタは東京でオーディションする時に見せて貰うから」と云われた。
とりあえず良かった、あのまま三人のコントを作ってオーディション受けていたら絶対に落ちていた。
これで夢が膨らんできた。
お笑いスター誕生は10週勝抜きだったのだが、サバイバルシリーズと云ってトーナメント形式に変わった。
優勝するまで4回戦、兎に角面白いネタを4本作れば優勝出来る。
優勝賞金100万円、次の日から東京のオーディションまでに三人のコントを作り上げる為、今まで以上に稽古した。
毎日10時から18時まで一日も休まず一ヶ月が過ぎた、東京からオーディションの連絡が来ない、それでもいつ電話が入っても行けるように稽古した。
二ヶ月経っても連絡が無い、竹ちゃんも梅ちゃんも焦りだした。
「絶対来るから、そんなに焦ってもシャナイ」と云ってなだめたが、
僕まで焦りだした「東京のオーディションは本当にあるのかな?やっぱり
三人でやらなかったので、あの時点で落とされたのかな」とか悪い方へ悪い
方へ考えるようになって、稽古に身が入らないようになっていた。
それでも彼等には「テレビ局はそんなもんだから心配しなくてもいい」と云っ
ては見たが、先の見えないトンネルに入ったみたいな感じだった。
三月の後半になって半ば諦めムードが漂っていた、誰もお笑いスター誕生の
事は口にしなくなった、惰性で稽古していた。
そんなある日、稽古中に連絡が入った。
「来週東京でオーディションがありますが来れますか。」
来れます!来れます!まだオーディションにも合格していないのに優勝したかのような嬉しさだった。
稽古は充分やったし、ネタも4本出来た。
いよいよ東京だ!
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