芸能裏話(53) コント松竹梅結成
コンビを解散して、暫くはバイトに専念する事にした。
普通のバイトしていても仕方がないので、これからお笑いやって行く為に役立つ仕事を考えた。
それは『ねるとんパーティー』だった。当時『ねるとん紅鯨団』と云う人気番組があった。
これをヒントにバイトしている店で企画した。
トイレにチラシを貼り、参加者を募集した。
これが結構好評で最初は合コン程度の人数だったが、毎回50人程度の人が集まりだした。
企画から構成、司会まですべて一人でやっていた。
今でこそ『出逢いパーティー』は腐るほどあるが、その頃は誰もやっていなかった。
だからマニュアルがない、毎回試行錯誤でやっていた。
お笑い芸人だから、面白い事云って自分が目立つ事しか考えていなかった。
しかし、それは大きな間違いだった。
何故なら、ねるとんパーティーに来るような人は、気の弱い引っ込み思案の人が殆どで、特に男性の人がそうだった。
だからそんな人は、僕ら見たいによくシャベル人間は敵なのである。
お笑い芸人として人を引き付ける事は当たり前だが、この仕事は自分が目立ってはいけないという事を勉強した。
面白い事を云いたいが、ココは自分が主役じゃなく、お客様が主役。
特に気の弱い人をフォーローして、いかにカップルを沢山作るかが使命になってきた。
お笑芸人なので多少きつい事を云っても、笑いでごまかせる。
お陰でカップル率も毎回50%以上出来るようになった。
これは商売になると思い、参加者を募集する為のミニコミ誌『コンパッパ』を創刊した。
これは合コンとパーティーをする人の為に、合コン相手募集、お店のセッティング、ねるとんパーティーの情報を載せた小冊子だった。
昔デザイン事務所で働いていたので雑誌の作り方は分かっていた。
創刊時の資金は、梅田界隈の居酒屋やパブに、合コンの会場に使うからと云って、
ミニコミ誌に1件3万円の広告費を貰って創った。創刊号は50万円以上集まった。
ねるとんパーティーが順調だったので、お笑いの事は忘れていた。
バイトしていた店に、フラメンコの先生(エルポカ岡崎)が尋ねてきた。
「私の弟子にタップダンスをやっているのが、どうしてもお笑いをやりたい」
と相談をもち掛けられた。
早速会って見た、信田倫克(しだともかつ)23歳、中村達也19歳。二人共身長180cmスラットした良い男だった。
吉本にはいないタイプで、これからのお笑いは男前で格好よくアイドル的で
ないと売れない、と思っていたのでピッタリだった。
この二人は一見双子のように見分けが付かなかった。
でもそこに典型的なお笑いの僕が入ったら、面白い物が出来るような気がして、お笑いの虫がいっぺんに湧いてきた。
彼等は夜ショーパブで働いているので舞台なれはしている。
でもお笑いは初めてなので、毎日10時位から18時位までネタ作りやミーティングを
みっちりして、お笑いの基礎や礼儀を教えた。
二人共飲み込み早く、なんとなく行けそうな予感がして来た。
トリオを組んだのが1985年の正月だったのと、松みのるの松を生かして松竹梅と云う名前にした。
信田倫克は竹田倫克、中村達也は梅村達也そして松稔はそのままで、松竹梅は活動する
事になった。
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