今回は、前回に引き続いて、9月定例会での一般質問のテーマについてお話しさせていただきます。

 

2つ目のテーマとして、地方自治における住民投票という制度について議論したいと考えています。

 

これまでに、よりよい地方自治のあり方や、市民が主体となったまちづくりの実現といったことについて、僕は考えを巡らせてきました。

 

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大分市における住民投票の制度については、大分市まちづくり自治基本条例の第26条で「市長は、市政に関する重要な事項について、直接、住民の意思を確認するため、住民投票を実施することができるものとする。」と定められています。

 

一般に、地方公共団体の行う住民投票は、市民生活に重大な影響を及ぼす市政運営上の重要事項について、市民が意思決定に参加することができる制度ですが、市民と市長、議会との関係性上、その存在自体に議論があり、法的拘束力を持たないことからも、全国的にも実施件数は少なく、大分市では実施されたことがありません。

 

しかしながら、住民投票には、現在我が国が抱える大きな社会問題に対して有益な効果をもたらす側面がある、と僕は考えています。


今回の質問では、二元代表制のもとで運営される大分市において、住民が意思決定に直接参加するという住民投票の主作用ではなく、その副作用について意見を交わすことで、これからの大分市のまちづくりについて、ヒントを探っていきたいと思います。
 

 

全国的に投票率の低下が課題として認識されています。
 

低い投票率は平和な証だというような楽観的都市伝説も存在しますが、格差という課題が深刻化する中においても、あるいは、安全保障をめぐるデモ活動などが活発化し、なおかつそのことがマスメディアやSNSなどで大きく発信されても投票率は低下し続け、さらには、より苦しい生活を送っているであろう所得の低い階層において、政治的関心が低くなり、支持する政党を持たない割合も増すなどということを勘案すると、投票率の低下については、時期が来れば上向くというようなものではなく、社会としてアクションを起こしていく必要があるものと考えます。
 

このような現状には、どうせ自分の一票では何も変わらないという政治的有効性感覚の欠如、そもそも政治なんかが自分の暮らしを変えてくれるわけないという政治への諦めなどがその根底に漂っているように思います。
 

また、全国的に国政選挙と地方議会・首長選挙では、国政選挙の投票率が高い傾向にあります。

 

有権者は、地方自治よりも国政、より詳細には、衆議院議員選挙と参議院議員選挙の過去の投票率から、いわゆる政権選択選挙を重視していると言えますが、国民の生活に密接な行政サービスを提供しているのは、地方公共団体です。

 

スケールや行政の長を直接投票で選ぶという性質からも、地方の選挙の方が住民の意思が行政に反映されやすく、生活に直接的な影響を及ぼしやすい性格であることから、地方選挙の方が相対的に投票率が低くなっていることについては、合理的ではないと考えますが、現実として、国政選挙の方が投票率が高くなっています。
 

その背景には、国政でなければ社会は変わらないというステレオタイプや、国と地方公共団体の関係性や役割分担に対する事実誤認が存在していると思われます。
 

 

僕は、このような現状を引き起こしているのは、実は選挙そのものなのではないかと考えています。
 

人を選ぶ選挙では、個別政策ではなく、総論的に抽象化された意思を反映することになりやすく、政治的有効性感覚を得ることに障害が生まれます。
 

国政と地方自治では、その性格は異なるにもかかわらず、国政政党という枠組みが地方議会の構成にも根を下ろすことで、国と地方公共団体の関係性が曖昧化してしまいます。
 

 

住民投票には、そうした選挙の欠点を補完する作用を持つことが期待されます。
 

自らの投票行動が、個別の政策決定に直接の影響を与えることは、投票者の政治的有効性感覚を高めると言われています。
 

その投票に至るまでの過程については、ワークショップや討論会などを通じて、政策を選択するために重要な情報や多角的な視点に触れ、地方公共団体の役割などについても深く考えていくことになります。
 

これらは、本来住民投票に期待される目的ではありませんし、これらに似た性質の機能を有しているものに、地域住民を委員とする審議会や検討委員会などがあると思います。
 

しかし、より多くの住民がかかわるという意味では、住民投票には、投票率、ひいては主権者意識の向上に効果をもたらす大いなる副作用があり、それは見て見ぬふりをするにはもったいないほどです。
 

 

もう一点、住民投票の副作用を考えていく上で、重要な視点があると思います。
 

国民主権にもとづく投票権を行使する公職選挙や、憲法改正の要件となる国民投票などと、自治に関する住民投票とでは、その性質は大きく異なることから、住民投票については、投票資格者の範囲を拡大することができるという点です。
 

僕は、安全保障などの地方自治という枠外に影響する事案でなければ、そのまちに住み、税などを負担している外国籍の人には、自治に関する意見を反映させる資格があって然るべきだと考えます。

 

年齢の要件についても一定の自由度があります。

 

全国の住民投票条例や、実施済みの住民投票の中には、選挙権年齢を下回る年齢制限を設けているものもあります。市町村合併の是非を問う住民投票において、結果を参考とするという条件付きであるものの、小学5年生以上に投票資格を与えた事例も存在します。
 

子どもにも資格を与えることについては、様々な意見があるものと思いますが、私としては、個別の政策の選択について、未来を担う子どもにも権利を与えることには、一定の正当性と、主権者としての自覚を促す効果があると考えます。
 

また、子どもを介して、その親や家族にも影響を及ぼすことも推測できます。
 

とは言いながら、小学生や中学生は、義務教育によって身につけるべき社会で生きる上で必要な知識を得ている過程にいるわけですので、個人的には、義務教育を修了した15歳以上に投票資格を与えることが妥当と考えます。
 

投票資格者をより広い範囲で設定することができるということは、より多様な意見を反映することができ、それによってより深い議論を導くことや、そのまちが多様な住民を排除することなく包摂していくことなどにつながっていくと考えます。
 

これに似た性質の機能を有しているものには、アンケート調査やパブリックコメントなどがあると思います。
 

しかし、この点についても、より多くの住民がかかわるということから、住民投票は大きな価値を持つと考えることができます。
 

 

以上のような点について、大分市執行部と意見を交換していきたいと思います。

 

 

住民投票については、本来の目的から言って、その存在自体に疑義があることは間違いありません。


だけど、よりよい社会を目指していく上で、他の制度などにはない魅力的な効果を副作用として秘めていることは見逃せません。
 

今回の議論の中で確認した住民投票の特徴を踏まえ、大分市における取り扱いについて、議会だけでなく、より多くの市民と考えていくことに取り組んでいくべきと考えます。

 

住民投票という立ち位置が微妙な制度をいきなり使ってしまうよりも、着実なステップとして、まずは住民投票というものがどんなものなのか、ということをみんなで考えていくことからはじめるべし!ということです。

 

 

渡りに船で、来年は、大分市まちづくり自治基本条例の5年ごとの見直しの検討が行われる年となっています。


その検討の場で、住民投票というもののもたらす効果について、市民を交えて議論していただきたいということを提案し、大分市としての見解を示してもらうというところを、今回の質問の終着点としたいと思います。

 

 

ということで、2つ目のテーマについても、我ながら大切なことを考え、示すことができそうだなぁと自画自賛させていただき、明日の出番に向けてモチベーションをさらに高めることで、今回の記事の結びといたします。

 

 

追伸

 

9月10日 お昼前後に僕の出番がやってきます。

 

是非ともケーブルテレビやインターネット中継でご観戦ください!