今回は、生命の燃やし方についてお話させていただきます。
今日、ふとした時に、僕は高校3年生の時のある出来事を思い出しました。
友人のお父さんの訃報に触れ、お葬式に出席したことです。
このお父さんは、小学校時代のバスケットボールチームの監督で、息子のチームメイトたちから『おっちゃん』という呼称で親しまれていたのですが、監督という地位を利用して強権を発動させ、ある時から子どもたちに自らを『お兄様』と呼ばせるようになりました。
そのエピソードからも感じ取っていただけたかもしれませんが、お兄様は、面白いおっちゃんでした。
コートの外はもちろん、練習の時も沢山僕たちを笑わせてくれました。
でも、練習メニューはえげつなかったです。
笑顔で僕たちをしごき倒し、現在ではオーバーワークとされるであろう過酷な走り込み漬けにしました。
練習翌日には、小学校の校舎の階段前に筋肉痛で階段を登れないバスケ部員が渋滞するということも多々ありました。
それでも、みんな練習が好きでした。
面白いお兄様が、バスケの面白さを教えてくれるからです。
お兄様は、バスケ以外のことも教えてくれます。
大きな声であいさつすると気持ちいいということ、合宿の宿舎で布団を綺麗にたたんだら気持ちいいということ、食べものに感謝して残さず食べるということ、指相撲でズルしたら勝てること。
色んなことを教わりました。
指相撲のズルは例外かもしれませんが、それ以外のことについては、知ってはいても、なかなか子どもは表現できません。
それが、お兄様に言われると、不思議とすんなりできちゃいます。
叱りつけるのではなく、面白おかしく僕たちに理解させ、行動を促してくれたからだと思います。
面白いお兄様も、たまに怒ります。
僕も何度か怒られたことがあります。
一番印象的だったのは、僕がバスケをはじめた小学校4年生の頃、初めての試合の後でした。
生まれて初めて出場した試合で、僕は2本シュートを決めました。
上級生のいない僕たちのチームはボロ負けでしたが、僕はシュートを決めたことでウキウキしていました。
試合後、チームメイトと興奮を分かち合っていると、お兄様が「負けてニヤニヤするな!」と怒鳴りました。
僕は、チームの勝利のためにベストを尽くすというチームスポーツの本質を見失っていた自分に気付きました。
そして、いつも面白くて優しいお兄様が、本気で悔しがるほど熱心に僕たちのチームを想ってくれているということを痛感しました。
それから、僕のバスケットに対する姿勢は変わりました。
頭角を現しはじめた僕に、お兄様が「お前はリバウンドで誰にも負けない選手になれる」と言ってくれました。
松木少年の類まれな瞬発力と反射神経を見れば、僕も同じことを言うとは思いますが、崇拝するお兄様からそんなことを言ってもらえたことが嬉しくて、僕はリバウンドを強く意識するようになりました。
以前の記事でも、僕のリバウンド得意自慢をしたことがありますが、お兄様の何気ない一言が、小学生の頃から高校を卒業するまで、僕をひたすらリバウンドに熱中させました。
小学校卒業後も、お兄様は、ビデオで試合の内容をチェックしてくれていて、高校生になる頃には、お兄様は僕のことをリバウンド王と呼称するようになり、とても得意な気持ちになったことを覚えています。
こうして振り返ってみると、お兄様は、僕たちの心を大きく動かすことができる指導者だったなぁと思い知ります。
そんなお兄様からの指導のおかげで、僕たちは強くなりました。
6年生になると、次々に大会で優勝しました。
そんな中、僕たちは初めての敗戦を経験します。
この時の気持ちを、今でもよく覚えています。
みんなで真剣に練習して、チームメイトを信頼し、一生懸命戦ったのに、望むものに届かなかったことが、悔しくて悔しくて、涙が止まらなくなりました。
みんなで泣いて、もっと強くなろうと約束しました。
本当に長い時間涙が止まりませんでした。
その時よりも、もっともっと涙が止まらなかったのが、お兄様のお葬式です。
大好きだったお兄様が、何気ない一言で僕が一つのことにのめり込んでしまうほど慕っていたお兄様が、もういない。
試合で負けた悔しさは、努力で向上することで乗り越えられるけど、好きな人がいなくなったら、もう二度と会うことはできないという絶望感が、僕の心を支配しました。
感情がコントロールできず、涙があとからあとから流れ出て、目の前は真っ暗になりました。
何日も心は乱れたままでした。
だけど、日々の時間の流れの中で、僕はあることに気付きます。
大好きなバスケをプレイしてみても、ごはんを食べてみても、お兄様が教えてくれた沢山のことが僕の身に付いているということです。
そのことに気付いて、僕は、お兄様が僕の中で生きているような感覚を覚えました。
僕の人生観が大きく変わった瞬間です。
人は、たとえ身体は滅びても、生きた意味を残すことができて、それは、この社会が続く限り、姿かたちを変えながら決して消えることはない。
僕は、お兄様から沢山のことを教わった。
お兄様も、誰かに沢山のことを教わったはず。
だから、僕も、誰かに何かを残したい。
そのために生命を燃やすんだ。
お兄様は、最期に、前を向いて生きることの素晴らしさを教えてくれました。
お兄様、ありがとう。
ということで、今日も明日も僕は前を向いて頑張ります。
僕の生きた意味が残るように。
熱い想いがこみ上げて長文を綴ってしまい、6月議会に向けての勉強が疎かになったことを報告させていただき、今回の記事の結びといたします。
最後に一言・・・今日にも明日にも元気とまつき!!