今回は、恩師にまつわるお話をさせていただきます。
もう少しすると、卒業式シーズンです。
そんなことを考えていたら、ある先生を思い出しました。
以前、風が吹けば桶屋が儲かる!という記事でも紹介させていただいたことのある『フミエ先生』のことです。
フミエ先生は、中学2年の時の担任で、国語の先生です。
余談ではありますが、僕にはフミエ先生の授業中に読書をするという癖がありまして、何冊も本を没収されたことがあります。
最初の一冊が、NBAの変人スターでありスラムダンクの桜木花道くんのモデルにもなったと言われているデニス・ロッドマン師匠の迷著『ワルがままに』であったことは、今でも昨日のことのように覚えています。
中学校生活が長くなるにつれ、松木少年寄贈のフミエ先生文庫は所蔵数を増やしていき、最後には段ボール箱が用意されるまでの立派なものになりました。
フミエ先生の名誉のために一応説明しておきますが、僕が中学校の卒業を控えた16年前の今頃、フミエ先生は僕に所蔵する本を返還してくれました。
そんな問題児気味の僕とフミエ先生は、ある縁で結ばれていました。
それは、作文です。
中学2年生の冬休み前に、僕はフミエ先生に呼び出されました。
「卒業式で送辞を読んでくれんかな?」
妥当な抜擢です。
僕は、分かりましたとその場で引き受けました。
それから、僕とフミエ先生の最初の作文がはじまりました。
松木少年は、宿題は出したことないのに、特殊な業務には熱心です。
先生に何度も送辞の原稿を提出し、指導をいただきながら、二人で送辞を作り上げていきました。
恩師であるので持ち上げますが、フミエ先生は、授業も熱心な上に、課外でも熱心です。
僕が式典で話をするのは初めてだったので、会場の雰囲気などを考慮した話し方の指導までしてくださいました。
今思い返すと、僕の部活が終わるのを待ち伏せて、昼ごはんのラーメンで餌付けてからの特訓は非常に効率的であり、教師としてのキャリアの凄味を感じます。
卒業式直前には、僕の家にもやってきました。
大きな声で話す練習をしたいからと、家の目の前を流れる大野川の土手で、肌を刺すような冷たい風が吹く中、フミエ先生が僕の特訓に付き合ってくれたことは、本当に美しい思い出です。
フミエ先生との二人三脚で準備を進め、僕は卒業式に臨みました。
緊張はしましたが、フミエ先生との特訓のおかげで、僕は送辞の任を全うすることができました。
出来栄えについては、自信はありませんでした。
式が終わってからバタバタと帰宅し、自分の出来はどうだったかなぁとソワソワした気持ちになったことを覚えています。
そんな気持ちを心の片隅に抱いたまま、僕は中学校に登校しました。
教室でフミエ先生が僕をつかまえます。
「職員室で、今年の送辞はとっても良かったって評判よ」
すごく嬉しそうに、僕にそう教えてくれました。
そして、母に見せてあげるようにと言いながら、卒業式の様子を撮影したビデオを僕に渡してくれました。
母は、すごく嬉しそうに何度もそのビデオを見ていました。
フミエ先生とは、中学3年の時にもう一度一緒に作文に取り組むことになるのですが、時間の都合上、そのお話は次回に持ち越しとさせていただきますので、乞うご期待!
髭を剃る際、誤って口の周りをカミソリで切ってしまい、テンションが下がっていることを報告させていただき、今回の記事の結びといたします。
最後に一言・・・大分に元気とまつき!!