【西洋文化の終焉】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

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【西洋文化の終焉】


ちょうどマヤの新年、7月26日に行われたパリオリンピックの開会式が、あまりにも悪趣味だというので、世界中で話題になっていた。隠そうともしないあからさまな悪魔主義で、黙示録に出てくる悪魔的な存在、牛の神を崇拝する場面や青白い馬に乗る死神が登場し、きわめつけはレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」を模した場面をLGBTの人たちが演じていて、晩餐のテーブルにのっているのが、花輪を頭につけた裸の男だというアブラモビッチ風のものだった。この「最後の晩餐」については、ル・ペンの姪の欧州議員が、「すべてのキリスト教徒の感情を傷つけた」と言った言葉が、世界中で拡散されていた。


西側世界でこういうショーがどんどんグロテスクになっていくのは今に始まったことではない。しかし、この開会式はついに臨界点に達してしまったといったものだったのかもしれない。世界中からあまりにも批判が来るからか、2日後には、開会式の動画が削除されて、あたりさわりのないセーヌ川のシーンなどだけになっていた。


あの開会式は、西洋文化の終わり、キリスト教文化の終わりを示している、などと評価されていた。西洋が誇ってきた普遍性や民主主義、自由・平等・博愛の精神が、すべて倒錯した引っくり返された形で表現されていたと言っていい。差別はいけないという口実で、少数派が多数派の口を封じて、従わせているというのが、今の西側世界の現状なのだ。ポリコレが倒錯の押しつけになり、普通に生きようとすることがもう差別主義だとして抑圧されるようなありさまになっている。これはもう自由と平等とは何の関係もない、全体主義そのものだ。


この数年で、世界を支配しているのが、実は少数の悪魔主義者たちだったことが表に出てきていた。彼らはそれによって、暴力と洗脳による世界支配を進めてきたのだ。戦争もパンデミックも、すべてはこの悪魔主義的なコネクションで起こされていたからこそ、まるで一枚岩のように突き崩しがたいものになっていた。そうしたことが、幼児売買の現状などから少しずつ表に出ていって、今では世界中の多くの人が知るところとなった。


こうした背景を知っている人にとっては、この開会式が何を意味しているかは明らかだ。オリンピックは、もはや世界平和の精神に基づいたスポーツの祭典などではなく、世界を支配している悪魔主義者たちがプロパガンダに使っている腐敗したイベントにほかならないということをだ。


今回のオリンピックは、開会式の前にも、すでに腐敗した性格がいくつも示されていた。ロシアとベラルーシの選手は、国の代表としての出場を拒否されたのに、ウクライナとイスラエルの選手は出場できることになった。イスラエルは国連でジェノサイドを行なっているとして批判されさえしているのに、それはオリンピック出場を拒否する理由にはならなかったのだ。


フランス政府は、ロシアにだけオリンピック会期中の停戦を申し入れ、ウクライナに対する軍事援助は止めようとしなかった。敵対する国同士も、オリンピックでは平和的にスポーツを行うというのがオリンピック精神だったはずだけれど、それが西側の正義を宣伝するものに使われている。そして、その宣伝をしているのが、世界を裏で支配している悪魔主義者たちだったということを、この開会式は暴露してしまったようなものだった。


6月にカザンで行われたBRICSスポーツ大会は、どの国からの参加者も受け入れていた。参加者たちは、いたれりつくせりで歓待されていたそうだ。どの国が何個メダルを取ったとかいうことよりも、世界中から同じスポーツを愛する人たちが集まって、競い合うということが中心になっていた。オリンピック委員会は、何とかしてこのスポーツ大会に参加させまいとして、この大会に参加した選手はオリンピック参加をボイコットするとまで言っていた。それは、BRICS大会を見てしまったら、今のオリンピックがいかに腐敗したものかがわかってしまうからなのに違いない。


それに対して、今回のパリオリンピックの参加者たちは、歓待されていたとは言い難い。街は貧困化してホームレスがあふれ、選手たちの多くは持ち物を盗まれたりした。開会式も、大雨が降っているというのに、観客は屋根もないところで、カッパを着て座っていた。開会式が世界中で放映されることを計算して、宣伝の効果しか考えていないようだ。オリンピックに参加する選手たちや観客のことは、二の次のようなのだ。その上、開会式にスポーツとは何の関係もない悪趣味なポリコレの押しつけを見せられるなんて、参加者たちをバカにしているようなものだ。オリンピックのために集められた巨額の資金が、こんなものに使われているのだから。


開会式があまりにもグロテスクなので、トルコなどいくつかの国のテレビ局は、ライブ中継を中断しさえしたそうだ。オリンピックへの資金提供を引き上げると言ったスポンサーたちもいた。翌日には、世界中のSNSで、開会式の悪魔主義を揶揄する動画が作られて、拡散されていた。ロシア外務省報道官のマリア・ザハロワは、これは破滅的な大失敗だ、と言っていた。開会式の数日前に、ロシア人コックが開会式を邪魔しようとするスパイだとして逮捕されたけれど、いったい何人のスパイを潜入させたら、これだけ破滅的なことになるんでしょうね、と。


そして2日後には、開会式の録画が削除されたのだ。これまでだったら、いかに悪趣味でも、これこそが画期的な芸術表現で、新しいトレンドなのだと、メディアやSNS工作員を使って押し通していたところだろう。フランスは芸術の都なのだから、フランスのやることに世界中が従うべきなのだと。


ところが、西洋文化の権威に世界中が従う時代は、もう終わったらしい。一年前くらいから、フランスのかつての植民地であるアフリカやアラブの国々も、もうフランスに従わなくなっていた。フランスは開発援助といいつつ、地下資源をいいように搾取していただけだったのだ。それでアフリカの多くの国は、フランスの企業から地下資源の採掘権を取り返して、BRICSとともに経済を建て直していこうとしている。


西洋文化が最もすばらしくて、それ以外の文化は遅れている、という西洋の神話は、もはや信じられてはいないのだ。西洋は、他の民族文化に敬意を示さない、高慢で自己中心的な文明だと、今や多くの国からみなされている。おまけに、悪魔主義的なグロテスクなものを押しつけてきて、それが進んでいると言っているのだから。


パリオリンピックの開会式は、まさにそのことを世界中にはっきりと突きつけてしまったようだ。西洋文化の権威を信じて、ここまで悪趣味なものを受け入れるのかと。世界中の多くの人々は、それを拒否した。西洋以外の人たちも、西洋の人たちもだ。


ウクライナやパレスチナの戦争で、西側諸国の対応は明らかに公正でも民主的でもなかった。EU外務大臣などは、ヨーロッパの外には野蛮な土地が広がっているとまで言っていた。ウクライナまではヨーロッパだけど、その向こうは野蛮な土地だから、ヨーロッパを蛮族から守らなくてはいけない、と。イスラエルのネタニヤフ政権も、まったく同様な論理を使っている。イスラエルは野蛮なイスラム教徒に攻撃されているのだから、西洋文明を守るために、西欧諸国はイスラエルを助けるべきだと言っていた。


こうした論理は、まともなヨーロッパ人たちからは激しく批判されているけれど、戦後の世界を支配してきた西側の悪魔主義者たちは、こうした植民地主義的な差別意識で今まで動いていたのだ。そのことを、この2つの戦争は世界中に示してしまったようなところがある。そして今、ウクライナでもパレスチナでも、西側勢力はもはや勝ち目がない状況だ。


そうした状況の中で、パリオリンピックの開会式が行われ、それを世界中が拒否して、オリンピック委員会も動画を削除する事態にまでなったのだ。これは、これまで世界を支配してきた西洋文化の権威が、決定的に堕ちた瞬間だと思う。


しかし、そうなって始めて、本来の西洋の価値、公正さと普遍性、自由と平等と民主主義といったものが、本当の意味で生きられることになるのだと思う。結局のところ、そうしたものは、フランス革命以降、悪魔主義者たちに乗っ取られて、歪められていただけだったからだ。


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画像は、10年前のソチでの冬季オリンピックの開会式



 

  

 

 

 

 

  

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