野草さんぽでも話題に出たけど、キノコは怖くて手賀出せまてん。
レターパック裁判主催者さまが、キノコのワークショップに参加して、採れたキノコを判定してもらったら、ほとんど「分かりません」と言われたらしい。
(;´∀`)
野草でもその場その場で姿が違う。
葉っぱ1枚取って「これ何ですか?」と聞かれても分からないからな。
キノコも同じなんだろうな。
どんな場所でどんな環境にあったのか、とか分からないと分からないかも←日本語変(;´∀`)
野草さんぽに参加された方が、野草が目に入るようになったと言われていたのを思い出した。
キノコは分からないや、と諦めているから見つからないけどキノコを知ったら目に飛び込んで来るんだろうな。
キノコ名人が現れますようにー
ちゅーことで
チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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【今年初めてのカラカサタケ】
5月も半ばを過ぎると、最初のキノコが生え始める。最初はまだ、森でたった一本だけだったりするんだけど、その最初の一本が、何故だか道の脇に生えていることがよくある。
この季節だと、まだキノコを採ろうと思って森に行くわけではなく、たまたま森を歩いていたら見つかる、というくらいだから、道の脇にでも生えていなかったら、見つかるものでもないのだけれど、それじゃ他にもまだあるかと思って、道を逸れて森の中に入ってみると、他にはキノコがあるわけではなかったりする。やっぱり、たった一本の最初のキノコが、道の脇に生えていたということになる。
植物は、人の意識を読んで、望んでいるものを生やしてくれるんじゃないかと思うことがよくあるけれど、キノコもまたそんなところがある。
最初のキノコは、必ず私が通る道沿いに生えているし、キノコがたくさん生えているときには、何故だか森に行かなければという気分になる。それで森に行ってみると、足が勝手に動くみたいに進んでいって、思ってもみなかったところでキノコに出食わしたりする。だけど、まるで知っていたみたいに、その場所へまっすぐ歩いてきていたりする。
昨日は、たまたま森の向こうにある整備工場にスクーターを取りに行くのに、森を通っていったら、その途中の道の脇にカラカサタケが一本生えているのを見つけた。
カラカサタケは、秋になって初めて生えてくることが多いんだけど、初夏に真っ先に生えてくることもたまにある。かなり大きなカサが開くキノコなので、離れていてもすぐわかる。
大きくても、スポンジみたいに軽くてスカスカのキノコだから、それほど量があるわけではない。カラカサタケは、独特のいい香りがして、天ぷらにするのが最高だ。
オーストリアの人は、シュニッツェルみたいに卵とパン粉の衣をつけて揚げるんだけど、これだと衣の味だけみたいになるので、私はあまり好きじゃない。それより、天ぷらの衣で揚げるのがいい。揚げるのは油をたくさん使って面倒なので、私はフライパンに薄くオリーブオイルを敷いて、両面を焼いている。カラカサタケの他に、庭に生えている西洋ヨモギとルコラも一緒天ぷらにした。
西洋ヨモギは、日本のヨモギより筋があって、あまり香りがないので、草餅とかは作れないんだけど、天ぷらならヨモギの香りが楽しめる。
そんな風にして、キノコが見つかると、それをどうやって食べるかで、その日の料理が決まるのだ。あとは、庭に生えている野草や野菜で合いそうなものを集めてきて、料理する。
年によっては、7月になって初めてキノコが生えてくることもあるし、いろいろだ。昨年は、とにかくキノコが少ない年で、夏の間はほとんど採れなかった。キノコは虫たちの食糧でもあるので、キノコが少ない年は、生えても虫が先に完食していたりする。
最初のキノコはポルチーニ茸のこともあるし、毒々しいオレンジ色のウラベニイロガワリのこともあり、ヤマイグチのこともある。そういうのが、たまたま歩いていた道の脇に生えていると、私にとっては、キノコの季節が始まったということになる。
というより、森の精霊たちが、最初のキノコを持ってきてくれているように、私には思える。いや、思えるだけじゃなくて、それは本当に森の精霊たちの贈り物なのだ。だから、そう思って受け取らなかったら、彼らはきっと気を悪くするだろう。
毎週どこかで上映会⇩
表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓
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え?