ちゅーことで、
チヒロサトさんの2020年のFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
【死ぬのが恐い人、恐くない人】
パンデミックは良くも悪くも、人を死生観に向き合わせる。
コロナが恐くて自殺した人の話を聞いて、いろいろなことを考えてしまった。
人を死ぬほど恐れさせるなんて、恐怖をあおるのも本当に罪だと思う。
私も若い頃は死ぬのがとても恐かった。
死というものは、私の意志とはまったく関係なく、防ぎようもなく来てしまうのだと思っていた。
実際、死については恐ろしいイメージしかなかったような気がする。
テレビでは、毎日のように人が死んでいる。
ニュースは人が死んだニュースばっかりだし、事故とか殺人とかあれこれで、ある日とつぜん死ぬような話ばっかりだ。
犯罪のドラマとか、戦争映画だとか、歴史ドラマ、どれも人があまりにも簡単に死ぬ話ばっかりだ。
テレビの座談会で、人がどれだけ感染を恐れているかの調査の話をしていた。意外にも、最も危険が高いと言われている高齢者層が、一番感染を恐れていなかったそうだ。
その座談会で最も年長だった旧東ドイツの女性が、「人間歳を重ねるうちには、実にいろんなことを経験しますからねぇ。コロナごときではビクともしませんね」と言っていた。
その女性は、旧東ドイツで民主化運動をしていて、逮捕され刑務所暮らしをしていたこともあるという強者だった。
確かに、歳を取るうちには、誰だってもうこれで終わりかと思うようなことを一度や二度は経験するから、危機に強くなるというのはある。
もうダメかと思っても、何とかなるものだということをどこか肌で知っているようなところがある。
若い頃は、まだ本当の危機なんて経験していないから、いろんなことがかなり恐かったような気がする。
若いということは、恐いもの知らずなところもある一方、危機を乗り越えていくことをまだ知らない。
女学校時代に戦争を経験した母の友達は、「私たちは戦争で一度すべてを失う経験をしているから、もう恐いものはあまりないわね」と言っていた。
失う経験をしている人は、要するに「そんなことになっても何とかなる」ということをもう知っているのだ。
結局、死ぬのが恐くないという人は、「人間そう簡単に死ぬものじゃない」ということを知っている人なんだと思う。
私はホメオパシーの勉強を始めてから、病気が恐くなくなった。
自然医療とか勉強していたら、免疫とか自己治癒力というものの力がどう働くのかがわかってくる
。そうすると、病気になるということがまったくの無防備で害にさらされるようなことではないのがわかるようになる。
仮に病原菌やらウィルスやらに感染しても対処できるのがわかるから、身体の奥に入り込むまで何もしないで待っている必要はないのだとわかる。
だから、たとえ肺やら脳やらに行くような病気でも、食い止めればいいのがわかる。
食い止め方を知っていれば、たいていのものはそれほど恐くはない。
だから、感染が死ぬほど恐い人が多いのは、医療依存にさせられている社会のせいだというのもかなり大きいと思う。
それを思うと、コロナが恐くて自殺した人が本当に気の毒だ。彼らはまさに医療依存の社会の犠牲者だ。
西洋医学の世界では、ある病気で死ぬかどうかは確率の問題でしかない。
1%なのか、60%なのか、あるいは0,1パーセントなのか。いずれにしても、自分が死ぬ方に入る可能性はつねにある。
確率の問題でしかないというのは、実に恐ろしい感覚だ。
このパンデミックは、そういう現代の死生観の弱点を見事に突いてしまったような気がする。
この騒ぎが終わったら、もうこんな世界的なパニック状態を引き起こさないために、免疫についての再教育が必要なんじゃないかと思っている。
私たち人間は、病源に対して無防備に明け渡されたような弱い存在ではないのだ。
一人一人の中に、ちゃんと守っている力がある。その力を皆が思い出す必要があるんじゃないかと思う。
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