【絶望に飛び込んだときに、新しい次元の扉が開く】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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タイトルを見て先日試し読みした『絶望に効くクスリ』ってマンガを思い出した。

作者の山田玲司さんのゆー粒なかなかおもしろい。

いろいろ分かってらっしゃる。

マンガには書けないんだろうけどね。

ニチべーゴードーイーンカイとかプラザ合意とか、

ちょいちょい出てくる。

ゆー粒がいっぱいあって、どれでそんな話題になっているのかを確認してないけど。


マンガの話もおもしろいよ。


今日は大雨で走れまてん。

津波とかいってるから、皆さま気をつけてお過ごし下さい。


ちゅー話。


ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

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   【絶望に飛び込んだときに、新しい次元の扉が開く】

4月1日に世界を変える魔法セッションを開催することにしたのは、このところあまりにも先が見えない状況で、絶望的な気分になっている人、混乱してクラクラしてる人が多いように思ったからだった。もちろん、どこでどういう情報を見ているかで、見ている状況も違うわけなのだけれど、地政学的な領域を見ていると、日本もヨーロッパもかなり危険な方向へ向かっているように見える。世界が大きく多極的な方向へ向かっていることも確かなのだけれど、多極化を阻止しようとしている陣営がやっていることが、あまりに自滅的なようだ。

その一方で、地政学的な状況とは一見関係ない個人的な領域でも、同じような八方ふさがりと混乱の状況を経験している人もまた多い。このことは、単に地政学的な状況が変わろうとしているだけではなくて、あらゆる領域、あらゆるレベルで深い転換が起こっているということを示しているようだ。

地政学的な領域では、実のところは、特に今何かが変わったというわけではない。今になって、実は私たちが深い闇に支配されていたことがわかってきた、と言った方がいい。これまでは何十年もそんな闇に支配されてきたことを知らないでいたわけなのだから、今それが表に出てきたということは、ついに出口に近づいてきたということでもある脱出の可能性が見えてくるまでは、闇の深さにめまいを感じている余裕はない。そういうときには、私たち人間は、闇が見えても認識しないで、ともかくも生き延びていこうとするものだからだ。

波乱の多い人生を生きてきた人なら知っていると思うけれど、どうにもならないような状況に追い詰められたとき、何とかしようと抗うのをやめて、「もうどうにでもなれ」と自暴自棄みたいな気分になる瞬間がある。そして、まさにそういう気分になって、自分でがんばるのをやめた瞬間から、事態が思いもしなかった展開を見せ始めて、導かれていくように抜け出していったりする。

それで初めて、それまで何とかしようと思ってがんばってきた方向が、実は違う方向だったということに気づくことになったりする。私たちは、生きていけなくなるからとか、世間的にかっこうが悪いからとか、あるいは単に他に選択肢がないと思い込んでいて、何とか進んできた方向に突き進もうとしてがんばるのだけれど、それが本当に進むべき道ではないことがある。何をどうがんばってもうまくいかないというときは、そうした時が多い。私たちの魂、インナーチャイルド、ハイヤーセルフ、そういった意識は、世間的に何が現実的で常識的だとか、そういったことは気にしていない。それで、魂が地上でやろうと思ってきた方向へ、私たちを導いていこうとするのだ。思った方向へ何としてでも進もうとするのをやめて、「もうどうにでもなれ」と力を抜いた瞬間、事がスルスルと運び始めるのは、そういうときに魂が本当に進みたい方向へと飛ぶように進んでいくからなのだと思う。

そういうときには、まったく予想もできないような展開があったりする。何か不思議な力が働いているとしか思えないようなシンクロで、繋がりができていき、道が開けていく。私たちの潜在意識、インナーチャイルドやハイヤーセルフは、多次元的な領域と繋がっていて、私たちが思いもつかないような答えを知っているのだ。だからそういうときには、あれこれと考えるよりも「どうにでもなれ」と身をまかせてしまう方がうまくいったりする。

それで、まずはしっかりグラウンディングしておいてから、絶望なり恐怖なり怒りなりを自分に完全に許して、力を抜いてドブーンと飛び込んでみるのを皆でやってみることにした。これは、公開セミナー「フナの解放」の第2回Kala のときにもやったけれど、いわゆるネガティブな感情といわれるものは、完全に自分に許してしまうと、最も簡単に効果的に抜け出していくことができるのだ。これは理屈で考えるよりも、やってみた方が容易にわかる。恐怖は安心感に変わり、怒りは喜びに変わっていく。それも、単に変わるだけではなくて、切り離されていた自分の部分が統合するように、より大きな調和と安定感ができるのがわかる。

力を抜いて絶望に飛び込むのは、まるで断崖絶壁に落ちていくような感じがして、慣れないと勇気がいるのだけれど、飛び込んでみると、どこにも落ちていかないことがわかる。やんわりと受け止められた感じになって、「何とかなるさ」という根拠のない安心感が湧いてきたりする。とにかくそれで、さっきまでざわついた感じだった参加者が、しっくり落ち着いて、足が地に着いて、軸が通った感じになった。

それから、現在の状況から何がどうなっていくのかということは考えず、望むような未来がパラレルワールド的にすでに存在しているとして、そういう未来にアクセスして、どうなっているのかそれぞれに見てみることにした。すると、参加者がサードアイが開いて、希望が見えている表情になりはしたのだけれど、はっきりとしたイメージが出てこなかった人が多かった。多極的な調和の世界ができているようなのはわかるのだけれど、抽象的な概念だけで、具体的にどんな感じなのかはあまり見えてこなかった。お金がなくなっていて、人がたがいに物を交換し合ったり与え合ったりして、経済が豊かに回っているとか、手を当ててヒーリングする力があるとか、誰もマウンティングしようとする人がいなくて、違いが尊重され、創造的な繋がりができていっているとか、テレパシー的にコミュニケーションしているとか、そういうイメージがあり、自分がやりたいことで人を助けられている未来が見えたりした人もいた。

望む未来のイメージがはっきりと出てこないのは、今の私たちがまだ知らないような次元の世界だからなのだろう。だから、感覚としてはわかるのだけれど、具体的にどういうことになるのかが把握できないのだ。それで、どういう未来になったらいいと思うか、それぞれ考えて意見を出してもらうことにした。すると、医療のあり方が変わっていて、病院みたいなものがなくなっているとか、病院はあるけれど、ヒーラーみたいな人たちが治していたり、単に暇な人たちが話に来るようなところになっていたりする未来、お金がなくなっていて、誰もが豊かで、好きな仕事ができている未来、といった具体的なイメージが集まってきた。

それで、そういう未来がすでにパラレルワールド的に存在していて、私たちは今そこへ向かっていると考えて、その未来にアクセスして、どうなっているのか見てくることにした。そして、何よりもその世界でそれぞれに楽しんでくることにした。すると、今度は具体的な未来のイメージが見えてきたようだった。何よりも、まるで宙に浮いているかのように、身体が軽いのを感じた。おそらく今まで、私たちは三次元的な世界に押し込められ、多次元的な感性を封じ込められて、いつも重荷を背負うように生きてきたのだろう。それが当たり前だと思っていたのだけれど、未来ではそれが変わっていて、すべてがずっと軽々とできるようになっているらしい。

何よりも、テレビとか学校とかで、皆が同じことを知っていなくてはいけないという価値観がなくなっていて、そうしたことが昔あった悪いやり方のように思えていた。まさにあれが、一極支配の根幹になっていたものだったのだ。皆が同じように考えて、同じように行動しなくてはいけないという。それはつまり、奴隷的な支配と言うべきものだったのだけれど、それによって私たちは、つねにどちらが偉いとか、どちらが上だと争って、互いに違うからとバカにしたり、バカにされるのではないかと恐れて生きてきた。その代わりに、インターネットみたいなありとある情報が流されているメディアがあって、皆がそれぞれに見たいものを見ていて、だから知っていることも見ているものもそれぞれ違うのだけれど、それで互いに専門分野を分担するようにして、協力し合って創造的に仕事をしているようだった。

政府みたいなものはあるのだけれど、それは権力的な機関ではなくて、町内会の世話役みたいな感じのものになっていて、いろんな人の言い分を聞いて、皆にいいように公共投資をしたり、利益を還元したりするようなことをしているようだった。実際、生産性が昔と比べてものすごく上がっているので、搾取されてさえいなければ、別に利益を争う必要もなく、皆にいいようにまわすことが容易にできるはずなのだ。

軍隊みたいなものもなくなっているようだった。防衛する必要があるときはどうするのかといったら、シャーマンの集団みたいなものがあって、そういう人たちが祈って守っているから大丈夫なのだそうだ。警察みたいなものはあるけれど、それは犯罪者を逮捕して刑務所に入れるようなものではなくなっていた。問題行動を起こす人がいるところへ行って、調停したりカウンセリングみたいなことをしているようだった。皆ヒーリングの力が使えることがわかっているので、病院みたいなものはなくなっていて、地域ごとにヒーリングがうまい人がいて、人々の健康管理をしているようだった。

それで最後に、そういう未来が来ることを世界中の人々が信じられるように、その未来の世界を光の玉に入れて、世界中に送ることにした。日本やヨーロッパ、アメリカなどの人たちは、なかなか信じられなくて、受け取れない感じだったけれど、アフリカとかは、ついに来た、と感動して受け取っている風だった。すると、ロシアから光の玉がヨーロッパやアメリカにものすごく飛んできて、繋がりができていくようだった。

それで、ザワザワした不安感は消えて、皆が希望が見えているモードになったようだった。希望が見えているというより、すでにそうした未来に生きているように思えた。現実の世界はそうでないにしても、それはもう終わっていく世界にすぎないように思えていた。そうした現実にいらだつよりも、すでに未来に生きるように生きていたらいいのだろう。結局のところ、私たちの意識が変わって、もはや支配されないようになれば、支配の世界は自ずと終わっていくわけなのだから。

だから、たとえ数十人でもすでに未来の世界を意識に持ちながら生きていれば、それは自ずと広がっていくのだと思う。それというのも、この世界がそうした未来に向かって進んでいっているということを、私たちの潜在意識、私たちのインナーチャイルドはちゃんと知っているからなのだ。だから、それを意識して生きる人が増えるほど、この意識は多くの人の中で顕在化していく。そして、顕在化していくことで、そうした現実が作り出されてもいくはずなのだ。

望む未来の世界を意識で作るのは、思ったほど簡単にはいかなくて、セッションは三時間半に渡った。終わってみて、簡単に行かなかったのは、本当に次元の違う世界に転換しようとしていたからだとわかった。私たちが想像できないような世界に切り換わろうとしているので、なかなかイメージ化できなかったのだ。今、世界は本当に次元シフトしようとしていて、だからこそ、これほどに混乱した状況にもなっているし、どこに向かっていくのかわからない不安感も激しいのだろう。意識がこれほどに大きく変わる必要があるからなのだ。

このセッションを、復活祭の最後の日にやることになったのも、おそらく偶然ではなかったのだろう。復活祭は冬から春へと切り換わる時なのだけれど、それだけでなく、まるで次元が切り換わるように世界の状況が変わるような時でもある。まさに冬から春へ、闇の季節から光の季節へと切り換わるようにだ。それは、まるで奇跡のようにさえ思えるけれど、時が来れば必ず春が来て、新しい生命が芽生え始めるように、単に時が来れば自ずと起こっていくようなことなのだ。

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画像は、
熊野のおながみの森の磐座。グラウンディングに使った画像。


アクバル(青い夜)のイメージ画。セッションを行なった4月1日は、マヤ暦ではアクバルだった。


ウルルを表したアボリジニの絵。多次元的世界のイメージ化。


 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

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