【グラストンベリー・トーは、地球の心臓だった】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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にゃん丸さまのお世話と、今受けてる副業と、母校のトドーソーカイに持ち掛けられた相談事が同時進行中の今日この頃。

分けてきてくれたら助かるけれど、こーゆーのは一気にやってきて一気に終わるお約束(;'∀')

 

「大変そうでもなにも心配してないよ」←良い意味で。

と言ってくれた農園メンバーの言葉も力になるなぁ。

 

オーラを見る練習をしていた頃、いろいろ調べていたら空から霧雨みたいなのが降ってるのが見える、

とか

空気中に黄色いアミアアが見える、

とか

山の光が見える

とかが出てきて、試しにやる見たけどなんにも見えなかった。

 

それをすっかり忘れた頃に、精米してる待ち時間なナニゲに外の景色を見ていたら、山が呼吸するみたいに光っててびっくりした。

これかーって思った。

 

部屋では空から降ってくる霧雨みたいなのが見えたので、なにこれなにこれってぼーっと見ていたら、黄色いアミアミも見えるようになった。

 

見たい見たいと思っていた頃は見えなくて、ただぼーっとしていたら見えてきたのが面白い。

 

子どもとかどうぶつ達にはきっともっといろいろ見えてるんだろうな。

 

その頃肌を見ていて見えた面白いことがあったけど、また別の話。

 

 

ちゅーことで、

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

⇩⇩⇩

【グラストンベリー・トーは、地球の心臓だった】

 

イギリス南部にあるケルトの最大の聖地グラストンベリー・トーは、地球のハートチャクラだと言われている。ハートチャクラについて語るときにいつも思うのは、愛についての概念こそが、まさにハートの力を封じ込めるものになっているということだ。

 

愛というものが、難しく考えられすぎている。「愛はよくわからない」とか、「それは本当の愛ではない」とか言う。そこでは、自分を顧みないで人に何かを与えるようなことだけが、愛であるかのように考えられている。

 

しかし、ハートチャクラの愛とは、そんな面倒くさいものではない。「これ、いい!」とか「面白そう!」とか感じるときの、胸がワクワクして、パッと目が輝くときの感情。あれこそが、ハートチャクラに力を与える愛なのだ。そうした喜びの感情こそは、私たちを一気に活気づけ、心身すべてを生き生きとさせ、活動的にする力がある。

 

心臓は、みぞおちの上の、胸骨の後ろ、背骨との間にある、こぶしくらいの大きさの筋肉の塊だ。これは生きているかぎり動き続ける、とてもパワフルな血液ポンプだ。心臓が一回鼓動すると、同時に全身のすべての血管網が脈動し、全身のすべての血液が同時に循環する。それによって、身体中のすべての細胞が酸素を得、養分を送られ、不要物を運び去っていく。全身のすべての血管、すべての細胞が同時にだ。そして、これこそが生命現象なのだ。この循環が作り出されることこそは。だから、心臓とは生命そのものであり、その鼓動は、生命のパルスそのものだ。

 

地球のハートチャクラと言われるグラストンベリー・トーは、アーサー王伝説に出てくるアヴァロンだとも言われている。もともとこのあたりは沼地だったので、グラストンベリー・トーは、沼を渡って行ったところにある小さな島だった。アーサー王は戦いで瀕死の重傷を負い、傷を癒やす力を持つ女性たちがいるアヴァロンに、舟で行ったと言われている。

 

だから、グラストンベリー・トーは、蘇りの地でもある。瀕死の人間でも、アヴァロンで新しい生を得ることができる。脈拍が弱くなってくると、人は瀕死の状態になるけれど、心臓の鼓動が戻ったとき、人は再び生き返る。全身の細胞の循環が戻り、受けた傷を修復し始める。

 

絶望の淵から蘇る経験をした人なら、絶望のどん底まで行ったときに、生へと戻っていくきっかけになるのは、夜空の中のたった一つの星くらいのなけなしの希望の感覚だったりするのを、知っていると思う。すべてを失っても、それくらいに小さな希望なら、私たちはいつでも持つことができる。重要なのは、そんな小さな希望とでも、ともに生きていこうと思うかどうかだ。そう思えたとき、まるで瀕死の人間が蘇生するときのようなことが起こる。心臓が鼓動し始め、全身の循環が再び戻る。そして、まさにその力が、どんな傷も癒やし始めるのだ。

 

グラストンベリー・トーは、沈んだ大陸アトランティスと繋がっているとも言われている。グラストンベリー・トーを中心として、イギリス南部を東西に走る聖ミカエルのレイラインと呼ばれるレイラインは、西はセント・マイケルズ・マウントを通って、大西洋のアゾレス諸島へ至る。ここは、アトランティスの残りだとも言われていて、このあたりの海底には古代遺跡が沈んでいるという話もある。

 

アトランティスは人災によって沈んだと言われているけれど、大陸を滅ぼすようなことをしてしまった人々は、そのうちの何人かが救い上げられて、新しくできた大陸に降り立ったという話がある。これが事実かどうかはわからないけれど、グラストンベリー・トーは、そんな人々の記憶を感じるような場所だ。壮大な文明を丸ごと沈めるようなことをしてしまった人たちが、何もなくなった新しい大地に降り立ったとき、一体どれだけの絶望を感じたことだろう。すべてを失って、何もないところから、再び新しく始めていかなくてはならないなんて。

 

グラストンベリー・トーのエネルギーは、そんなときにでも、新たに始めていこうとする、とてつもない希望の力だと言えるかもしれない。すべてを失っても、ただ生きてさえいれば、私たちはまた新しく始めていくことができる。ただ、心臓が鼓動してさえいれば、すべては動き始め、傷を癒やし、活動を始めていくように。

 

公開セミナー「多極化世界を意識で作る」の第4回では、グラストンベリー・トーのエネルギーに画像から遠隔アクセスした。まだ封じ込めがなく、このエネルギーが完全な状態だった時代に戻って、トーの上に立っているように想像した。それぞれにいろいろなイメージやメッセージを受け取ったのだけれど、まとめて言うならば、それは「何が正しいという思考で生きるのをやめなさい」ということだったと思う。頭で何が正しい、何が悪い、と考えるのではなくて、心臓の鼓動を感じて生きろ、と。

 

絶望の淵から蘇生して、新たに始めていこうとするとき、まさにそのプロセスを私たちはたどっていく。それまで目指してきた目標を捨てて、どんな生き方でもいいから、とにかく生きていこうと思うとき、私たちは新しい生を得るのだ。こうすべきだとか、これが正しいとかいう考えを一切捨てて、ただ心臓が鼓動しているのを感じ、この心臓の鼓動とともに生きていこうと思うこと。

 

一極支配は、人々に「これが正しい」ということを信じさせ、それによって同じ方向へ向かわせようとする。これを推し進めていった末にあるのは、どちらかを抹消しようとする戦いだ。こうした戦いのエネルギーは、大陸を丸ごと沈めてしまうほどの破壊力を持ち得る。

 

しかし、生命の中心である心臓は、どの細胞に何をしろなどと指示したりはしない。ただ必要なものを送り、不要なものを回収する循環を作り出すだけなのだ。何をどうすべきなのかは、一つ一つの細胞が知っている。それにまかせておけばいい。ところが私たちは、細胞にまかせておこうとはしないで、何がいい、何が悪い、と考えて行動しようとするのだ。何が健康だからとか、理屈で考えて、食べ物を選んでいる。だけど、野生動物はそのときの健康状態に合ったものを、おいしいと感じ、ただそれを食べて生きていくのだ。そのときそのときの「これがいい!」「これがおいしそう!」という喜びの感覚に反応していく。そしてそれが、実は最も効率がいいやり方だ。それぞれの器官、それぞれの細胞にまかせておくこと。そしてただ、生命のパルスである心臓の鼓動とともに生きていこうとすること。

 

レイラインというものも、一種の封じ込めになっているのだとしたら、それは本来は網の目状になっているものを、一本の線に還元してしまうところなのだろう。おそらくは、グラストンベリー・トーのエネルギーも、レイラインに沿って流れていくだけではなくて、血管網すべてに同時に循環を作り出すように、あらゆる場所へ同時に流れているのだと思う。

 

心臓の鼓動が心電図で測れるように、心臓の鼓動は一種の電磁波を出している。それが、どの生命体も必ず作り出しているというトーラス状の流れになっているのだそうだ。だから、波動エネルギーの領域で見るならば、心臓の鼓動とは、血管システムの循環を作り出すだけではなく、生命エネルギーのトーラスを作り出す波動だということができる。

 

それで、レイラインから離れて、グラストンベリー・トーをトーラスの中心として、周囲にトーラス状のエネルギーの流れを作り出し、周囲一体が同時に活気づくイメージを作ってみることにした。それによって、一極支配の封じ込めを解き、多極的な構造を作り出そうと思った。周囲だけではなく、大陸全体、地球全体を、グラストンベリーを中心にしたトーラスで包むこともできる。

 

それで見えてきたのは、心臓とは陰と陽の二つの循環を同時に行なっているということだった。心臓は二つのポンプでできていて、一つは動脈へ血液を送り、全身の細胞に酸素と養分を送るポンプで、もう一つは静脈から戻ってきた二酸化炭素を運ぶ血液を、肺に送るポンプだ。動脈のポンプは細胞にエネルギーを与える陽のポンプであり、静脈のポンプは浄化を行う陰のポンプだ。心臓は、その両方を一つの鼓動で同時に行なっている。どちらも同時にあるからこそ、バランスが取れている。そして、それこそはまさに生命現象というものなのだ。

 

ある人は、地球の鼓動を聞く感覚を思い出したと言っていた。それは、遠くでドーン、ドーンと打つような音で、他の人には聞こえなかったそうだ。何の音だったかわからなかったのだけれど、その音を聞いたときのことを思い出して、あれは地球の鼓動だったのだと気がついたと言っていた。それを聞いて、私も子供の頃、地球の鼓動が聞こえるような感覚をよく感じていたのを思い出した。それは、地球との一体感を強く感じる体験だった。だから、あれはおそらく、私たちが地球の鼓動とともに生きているということを感じるときに、内なる聴覚で音としてその鼓動を聞く体験なのだと思う。

 

一極支配の世界では、私たちはつねに頭で何がいいか悪いかを判断して、その通りに行動するようにされている。だから、地球の鼓動とともに地球の一部として共に生きている感覚を忘れてしまうのだと思う。何がいい悪いという判断で動くのをやめたとき、ただ「これがいい!」「これが楽しい!」と感じるままにそれぞれが生きているだけで、全体として見事なバランスを作り出すのかもしれない。まさに、全身の細胞が、それぞれにそれぞれのすることをして、完璧なバランスができているようにだ。

 

家畜の群れは、外から導かれるままにどこへでも従っていくだけだけれど、野生の群れの中の個体は、そんなパッシブなあり方をしているのではないはずだ。それぞれに好きなように動くと同時に、群れ全体の一部としても動いていく知覚を持っているのだと思う。魚の群れは、敵が現れたときに、一斉に身を翻して別な方向へ泳いでいく。あれは、一つ一つの個体が同時に群れ全体の知覚も共有しながら動いているとしか思えない。群れ全体としてのコミュニケーションのネットワークが存在しているのだと思う。

 

地球の鼓動が聞こえる感覚というのは、まさにそうした感覚で、地球全体を一つの生命体として認識し、その一部として、魚の群れのようにそれぞれの機能を果たしながら生きているという感覚なのかもしれない。

 

地球の鼓動とともに生きる感覚とは、生まれたばかりの子供を皆で見ているときのような、ただ生きていることがすごいというその感覚だ。何がいいも悪いもなく、ただ生きていることがすごいという感動。それこそがまさに、心臓が鼓動のたびに伝えている、あの生命のパルスだ。生きる喜び、とか生きがいとかいう言葉で言ったら、何だか特別なことをしたときに感じる満足感みたいに思うけれど、そんなのではなくて、単に生きていることがすごい、というあの感覚だ。

 

それで最後に、グラストンベリー・トーが地球全体の心臓になって、その鼓動が地球全体を包むトーラスを作り出しているのをイメージして、その地球を宇宙から見てみることにした。それぞれに、金色に光っている地球のイメージが出てきたり、赤と青の動脈と静脈のような網の目が鼓動とともに点滅しているのが見えたりしたのだけれど、ほとんどの人が感じたのは、地球が生きているという驚嘆のような感動、そしてその鼓動を、自分が一緒に作り出しているという感覚だったと思う。その地球は、泣けるくらいに美しかった。多くの人々が地球の鼓動とともに生きていることを忘れてしまい、地球は瀕死の状態だったのかもしれない。それが息を吹き返して、新しい生を得たのだというような感覚がした。

 

2012年の総選挙のあとで、私は絶望のあまり地球人でいるのが嫌になり、宇宙まで逃げていこうとしていたのだけれど、あのとき意識上で宇宙の真ん中まで行って、帰れなくなったことに気づいたとき、宇宙船に救い上げられて帰ってきたことがある。すべては意識上のイメージなのだけれど、とてもリアルな体験だった。真っ暗な宇宙の中で、星の一点ほどの光が近づいてくるのを見た瞬間、私は宇宙船の中にいて、窓から地球を見ていた。「あれが君たちの星だよ。美しいだろう?」とシルバーグレーの小さな人に言われた。それで私は、地球に帰ってくることにしたのだけれど、あのとき見た地球の美しさは、まさにその美しさだった。地球が鼓動しているのを感じたときの美しさだ。

 

あの経験のあと、次の夏に私はイギリス南部にクロップサークルを見るツアーに行き、グラストンベリー・トーに初めて登ったのだった。あれが地球のハートチャクラで、地球の蘇りのカギを持つ聖地だったとは、あのときは知らなかったけれど、思えばあれが、私の地球の封印解きの始まりだったのだ。

 

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画像は、

グラストンベリー・トー

 

 

地球のレイラインとチャクラ

聖ミカエルのレイライン

 

 

 

 

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

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次回予告です↓↓

 

 

 

   

 

 

 

 

 

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