【次元の扉を開く ー 直線思考から平面思考へ】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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今日、農園でゆりりんと話しながら作業をしてた。

ゆりりんが「マツジュンさんは現実化が速い」と言ってくれたので、そー言えばそうかも、とちょっと嬉しくなった。

会いたいと思っていた方にはだいたい会えてる。

芸能人でも会えて話せたのにはびっくりした。

(中村あゆみさん)


遠いけどいつか会えたらいいなー

と思っていた赤坂のヒーラーi神。さんにも会えた。

しかも、自分で作ったものにはなにかしらのエネルギーチャージができてることも分かった。

(i神さんにエネルギーチャージしてもらいたいヤツをどっさり段ボールに詰めて渡したら、中も見ずに「これもうエネルギーチャージしとるやろ」って言われた)


運が良かった。

運も実力😸😸😸


ちゅーことで

チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。

いつもありがとうございます。

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【次元の扉を開く ー 直線思考から平面思考へ】


次元移動のセミナーを、いきなり公開ライブストリーミングでやろうと思ったのは、何だかもう集合的に次元の扉を開く時が来ているような気がしたからだった。少人数で少しずつ広げていく段階ではなくて、集合的に開いていけるような気がした。それがもう必要なときなのだと。


折しも、マヤ暦で9回目の20日サイクルが始まるイミッシュ(赤い龍)の日に、4回シリーズの第一回のセミナーを行うことになったのは、その直感が正しいことを示しているように思えた。9回目のサイクルは、頂点を越えて、一番大きな転換が起こったあとで、新しい世界を創造し始めるようなステージだからだ。革命が終わって、新しいシステムが作られていくように、だ。


地球のレイラインをひとまわり解放してから、日本の龍脈を解放し始めたら、毎回多次元的な世界が開けてくることに驚いた。まるで、銀河に繋がっている力が存在していて、それが今まで封じ込められていたといった風だった。それが今出てくるということは、宇宙的な次元まで越えていかなければ、世界は変わっていけないということを意味しているように思える。そして、そのときがもう来ているのだということも。


次元について語るのは、容易なことではない。それというのも、私たちは3−4次元の意識で生きてきて、それだけが現実だとする社会の中で教育を受け、それを前提として人とコミュニケーションしたり、仕事をしたり、取引したりしているからだ。だから、それ以外の現実を語る言葉が、共通認識として存在していない。そしてまた、3−4次元を前提としている意識のままで、そうした概念を理解しようとしても、理論としては理解できたように思えても、結局それを3−4次元の枠組みで解釈しているだけだったりする。そうではなくて、5次元以上の世界を現実感覚として感じられないと、やっぱり本当にはその次元を生きることができないのだ。その壁を乗り越えようというのが、今回の公開セミナー「次元移動の魔法」の課題だった。


だから、一体本当にうまく行くかどうかもわからないのに、ぶっつけ本番で始めてしまったような具合だった。しかし、参加者に例を挙げてもらって、それを皆でディスカッションし、それからイメージワークを皆でやっていくうちに、確かに次元の扉が開いたという感触があった。公開セミナーで100人以上の人が同時に意識を合わせているようなとき、意識の波動が強く共鳴して、意識エネルギーのパワフルなフィールドができるのがわかる。次元移動の魔法のセミナーでは、それがまるで、次元の扉が集合意識的に開けたような感覚があった。


次元というのは、私たちが「これが現実だ」と思っているような世界を表している。だから、移動してみないとわからないけれど、移動してみると、実は前からそういう世界に生きていたことに気づく、といったようなものだ。それは、子供のときには当たり前に知っていた世界かもしれないし、いつかどこかで魂が知っていた世界かもしれない。それまで何だか無我夢中で前へ前へと進んできたけれど、ふと立ち止まって、まわりを見渡してみれば、それだけが世界ではなく、もっと大きな世界が広がっていたことに気づく。そんな風な感じのことだ。


次元について、よく誤解されているのは、次元が上がれば上がるほど、上に行くのだという風に思われていることだ。だから、高次元領域に行けば、魔法のようなことができ、三次元的な現実からは離れていって、足が地に着かなくなっていって、宙に舞い上がってしまうみたいに思っていることがけっこう多い。だけど、次元というのは、現実を測る軸の数なのだ。だから、数が多ければ多いほど高くなって、上に行くのではない。そうではなくて、視界が広がり、現実の捉え方が深くなっていくのだ。そして、その結果として、魔法のようなことが当たり前にできてしまうようになる。次元シフトとは、実はそうしたものだ。


一次元というのは、軸が一本だから、数直線の世界だ。数学でやるX軸Y軸のグラフは、軸が2本だから二次元で、これは平面の世界だ。これにZ軸が加わると、空間的になって、立体を認識することができる。これが三次元だ。ここにもう一本軸が加わると、この3つの軸が表す空間世界が一直線上に変化する。これが4次元の時間の概念だ。ここまでが、私たち人間が普通に誰でも認識している世界だ。


私たち人間は、そういう現実認識が当たり前だと思っている。だけど鶏はそうではなくて、一次元の現実認識で生きている。つまり、鶏にとっては、自分の頭が向いている前に一直線に続いている世界だけが、現実に存在している世界だ。だから、目の前に餌があっても、その前に一枚金網を置くと、鶏は餌に行き着けなくなってしまう。金網は右も左も空いていて、まわっていけば容易に餌に行き着けるのだけれど、鶏にとっては、「餌の間に金網がある」という現実しか見えていないのだ。それで、餌に行き着けないとなって、向きを変えると、今度は金網はないけれど、餌もない、という現実認識で生きることになる。鶏は三歩歩くとコロッと忘れてしまう、と言われるのは、そういうことだ。


鶏にとっては、餌の間に金網があったら、餌のところには行き着くことは不可能だ。ところで、犬は二次元までの意識がある。つまり、世界を平面的にとらえることができる。だから、目の前には金網があっても、右も左も空いていることがわかる。だから、まわっていけば餌にたどり着くということがわかる。犬は当たり前に金網をまわって餌に行き着くのだけれど、鶏から見ると、これがまるで魔法のように見える。まるで不可能なことを現実化しているように見えるのだ。鶏にとっては、餌の前に金網があるという現実しか存在しない。だから、犬はとつぜん姿を消して、再び向こう側に現れたように見える。それは、魔法のように思えるわけだ。


私たち人間は、金網をおかれても、まわっていってその向こうに行くのは当たり前にできる。だけど、これが時間軸となると、できなくなるのだ。私たちは通常4次元までの現実認識で生きているから、時間は直線的に流れているように見える。過去から現在へ、現在から未来へと、一直線の道しかないように見えている。


私たちは、いつも何かしらある目的を目指して生きている。仕事をしてお金を稼ぐとか、勉強して資格を取るとか、パートナーを探して結婚するとか、あるいは何かの芸術作品を作って完成させるとか、イベントを企画して実行するとか、あるいは単に掃除をして家をきれいにするとかいうときにもだ。そういうとき私たちは、まるで目の前に一本の道しかないみたいな現実認識で生きている。だから、何かしら思うようにいかないことがあると、まるで金網を目の前に置かれた鶏のようになる。壁の前で落ち込んだり、絶望したり、壁に何度もぶち当たってみたりする。


ところで、これが5次元の意識になると、実は他にいくらでも道があることがわかる。ふさがっているのは目の前だけで、右も左も開いていることがわかる。だけど、4次元の意識の私たちは、そこで別な道から行けるということが、なかなか信じられないのだ。それは不可能なことのように思える。向きを変えたら、目的から離れていってしまうように思える。それで、自分がこれと思う道から、離れることができない。これが、4次元の現実認識に囚われている私たちの状態だ。


5次元に移行するとは、つまりこの4次元の直線的な時間認識に、もう一本軸を加えて、平面にすればいい。それで、一本の道の上を進もうとして、道をふさぐ壁にぶつかっている自分をイメージし、その姿を上から見てみるというイメージワークをやってみることにした。そして、参加者の一人に自分がぶつかっている問題について話してもらい、他にどれだけの可能性があるのかを皆で7つくらい考えてみることにした。


「岡目八目」という言葉があるけれど、当人には目の前に壁が立ちはだかっているように見えても、他の人から見たら、一目瞭然に抜け道が見えたりすることがある。当人にとっては目の前しか見えていないけれど、何の関係もない他人には、状況が上から見るように見えてしまうことがあるからなのだ。岡目八目というのは、将棋とか碁とかを指しているときに、脇から見ている人の方が、どうすればいいかが容易にわかってしまう、ということを言っている。やっている本人たちは、勝つか負けるかで必死になっているから、目の前しか見えていない。だけど、何の関係もない傍観者には、事態を丘から見渡すように全体の状況が見えてしまう。


その際に、それが現実的かどうかは一切考えないで、これは絶対無理だろうと思うようなことでも、突拍子もないようなことでもいいから、言ってもらうということにした。それというのも、4次元までの現実認識の私たちが、普通に「これは現実的ではない」と思うようなことは、直線的な時間軸の世界に囚われている認識にすぎないからなのだ。私たちは、何か望みを叶えようとするときに、それに向かって努力していったら行き着けるように思っているけれど、実際には、そんなのではないことが、実はけっこう多い。パートナーに出会うとか、新しい仕事が見つかるとか、あるいは外国に移住するとか、何かしら人生に変化があるとき、計画して努力したからそうなったというのではなくて、たまたま何かの偶然で出会いがあり、縁が繋がって、ということの方が、実は多かったりする。


これは、変化の多い人生を送ってきた人は、よく知っていると思う。むしろ、一回絶望して、崖から飛び降りるように、すべてを断念したときに、不思議な縁で導かれるように、新しい人生が始まって、気がついたら望みが実現していた、というようなことがよくある。それは、壁にぶつかっているのをやめて、向きを変えたら、いくらでも道が空いているのがわかった、というようなことにも似ている。それは、4次元の意識では、まるで不可能なことが可能になったような、魔法の力でも動いたかのように思えるけれど、平面的な時間認識で見たら、まったく当たり前のことが起きたにすぎないということになる。


参加者の男性の一人が手を挙げてくれて、お金持ちになって女性と恋愛したいけれど、収入が減る一方で、どうしていいのかわからない、という悩みを語ってくれた。それで、解決法を皆で出してもらうと、「自分で通貨を発行する」「宝くじで3億円当たる」「ユーチューブ動画を作ってヒットする」といった案が出た一方で、「タロットの愚者みたいに、一回崖から落ちてみると、人生が開ける」とか、「女性を所有するような関係性の概念を捨てる」「お金に対するこだわりを捨てる」というようなことを言ってくれた人もいた。


実際、パートナーに出会うのも、お金が入ってくるのも、何があったから、というようなものでもないことが多い。出会いもお金も、がんばったから得られるというようなものでもなくて、縁があったら何もしなくても出会うし、お金も本当に必要なときには、どこからともなく入ってきたりする。


それで、お金のない男性と一緒に幸せに暮らしている人の例を、参加者の皆に挙げてもらうことにした。これは、家族が聞いているから言えなかったという人も多かったようなのだけれど、お金がないならないで、楽しく暮らしている人はけっこういる。それで、お金に困ったら、安く住める家が出てきたりといったことを経験した人も少なくない。


私たちは、多くの場合、それぞれの思い込みで、「こうするには、こうでなくてはならない」ということにしがみついていることが多い。それには、過去のトラウマが働いていて、前にこういうことでうまくいかなかったから、今度もそうなるに違いない、という思い込みから離れなくなっていることも多い。ところで、「今度もそうなるに違いない」と思っていると、私たちは見事にまったくその通りの現実を引き寄せていたりする。それがまさに、たった一本の道しかないかのように、同じ壁に何度もぶつかっているというような状況を作り出している。


それで今度は、それぞれに自分のぶつかっている問題を、一枚の壁みたいにイメージして、その壁の前で動けなくなっている自分を、空の上から見て、その自分に「すべてが可能だったらどうする?」と聞いて、どういう反応をするかを見てみるというイメージワークを皆でやってみた。すると、お金がないからと思っていた人は、お金じゃなくて好きなことをすればいいんだと気がついたとか、本当はお金が問題じゃなかったことに気がついたといった人が多かったようだった。


現代に生きる私たちは、お金を追いかけさせられることで、直線的な時間軸に生きさせられていることがいかに多いかということなんだと思う。何でもお金がなければと思う習慣がついていて、だからとにかくお金が稼げるようになるために、有名な学校を卒業するとか、資格を取るとか、就職して会社に従うとか、そういう道に駆り立てられていくわけなのだ。そして、まさにそうした社会の構造が、今の世界の奇妙な状況を作り出しているということに気づく。お金が稼げなければと、多くの人は、おかしなことにでも従ってしまう。それも、それしか現実がないかのように思えているからなのだ。


このイメージワークをやったときに、直線的だった現実認識が平面的になるという意識が大きく共鳴して、パワフルなエネルギーのフィールドを作り出したのを感じた。それはまるで、5次元の扉が集合意識的に開いたかのようだった。多くの人は、具体的なイメージは見えなくても、何だか気持ちが軽くなって、世界が広がったような感覚を感じたようだった。ある一点にだけ意識が向いて、何とかしなければと焦っていたのが、ふいにこのままでいいのだと思えたような、そんな感じだった。


ハワイのシャーマニズム、フナ(ホオポノポノ)では、私たちの意識を、クー(無意識、身体意識)、ロノ(顕在意識)、カネ(宇宙意識)の3つに分けて考えている。ある望みを実現しようと思うときには、実現する目標を決めるのは顕在意識であるロノで、それを実現するのは身体意識と潜在意識であるクーだ。クーは、有能な右腕のようなものだから、部下を信頼する社長のように、クーを信頼して任せるのがいい、とフナでは言っている。


それというのも、私たちの潜在意識は、4次元に囚われている私たちの顕在意識が知らない可能性をすべて知っていて、一番簡単に行ける道をちゃんと知っているからなのだ。だから、顕在意識で、それは違う方向なんじゃないかとか、それは無理なんじゃないかとか思っても、クーはちゃんと知っているはずだから、と信頼して任せておけばいい。私たちは、顕在意識で何でも判断して、こうするべきだとか、これは無理だとか思っているのだけれど、まさにそれによって直線的な現実認識に囚われてしまっている。ところで、私たちのクーは、ちゃんと平面的な次元を知っているのだ。


それで最後に、自分のクーをインナーチャイルドみたいに想像して、自分の望みを言って、「どうすればいいか知ってるよね。任せるから、頼むよ」と信頼を示すというのを、皆でやった。4次元の直線的な世界観に囚われていると、ロノがクーを信頼しないで、ああしなきゃダメ、こうしちゃダメ、と支配している状態になっている。それで、自分で自分に絶えずダメ出しして、自己イメージを下げていたり、自分で自分を罰してガチガチになっていたりする。ところで、自分のクーを信頼するのをやってみると、 分裂して戦っているような状態になっていたクーとロノが和解して、自分自身を信頼できるモードになる。そして、この分裂が解けて潜在意識と顕在意識が一つになったとき、実現不可能に思えていた望みも、何ということなく実現してしまう状態になるのだ。


すると、多くの人が、自分の中に実はこんな力があったということに気づいたという感覚を持ったようだった。自分の中に天使がいたとか、龍がいたという風に感じた人もいたし、自分が巨人のように大きい存在になったような気がした人もいた。


4次元の直線的な時間認識が封じ込めていたものは、まさにこのクーのありとあることを知り得る能力だったのだろう。私たちの潜在意識は、4次元の意識からすると、絶えずとんでもないところへ行こうとする、やっかいな子供のように思えるのだけれど、実はすべての可能性を見て取って、最短の道を見つけることができる、最も信頼できる相棒だったのだ。


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転載ここまで、、、



告知です。

 


7月30日

9:00~14:00

第16回 

オーガニックマルシェ日土水市(福岡県古賀市)

(いつものマルシェ)

今回もリーフレット担当大臣(^^)v↓イラストはジジョ画伯 空だけ私が描いた。

 

  


近くの方も他県の方も遊びに来てくださいねー