【ベルリンの花戦争】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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昨日聞いたはなし。
愛が一番と言うけれど、
愛は日本語だと感謝の方が近いらしい。

折しも今、某霊園への新作デザインに、感謝って大きく入れたのが採用されたタイミングであります。

あとでまとめるけど、数年後には素晴らしい世界がくるらしいよ。
もう少しこの激動の時期を楽しんで過ごしましょー



ちゅーことで
チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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【ベルリンの花戦争】

ベルリンでは、土曜日に初めて反戦デモが行われたそうだ。それは、これまでよく行われていたウクライナへの武器援助を訴えるデモではなくて、ドイツのウクライナへの武器援助に反対し、和平交渉を行なうべきだと訴えるデモで、5万人ほどが集まったということだった。こうしたデモは、ドイツではこれまでずいぶん申請が出ていたのに、許可されなかったらしい。ウクライナによるドンバス攻撃を批判することさえ、危険思想として禁止されていたくらい、ドイツでは統制がひどかった。

このデモが行われる数日前に、ベルリンのロシア大使館前に、ウクライナの戦争で破壊されたロシアの戦車が、ウクライナの人たちによって運び込まれていた。彼らにとっては、ロシアの戦車はウクライナへの侵略の象徴であり、それをロシア大使館の前に置くことで、ロシアの軍事行動を非難し、ドイツに武器援助を求めるということならしい。ところでこの戦車は、実のところは、ドンバスをウクライナ軍の攻撃から守るためにロシア軍が出していた戦車だった。それがウクライナ軍によって破壊されたわけなので、この戦車に乗っていたロシア兵たちは、ドンバスを救うために犠牲になったということになる。

ドンバスから戦争の状況をレポートしていたドイツ人ジャーナリストのアリーナ・リップさんは、ウクライナ人たちによって挑発的に置かれたその戦車に、花を供えたらどうだろう、と提案していた。その戦車を、犠牲になったロシア兵たちを讃えるための記念碑のようにして、そこに花やキャンドルを供えたらいいのではないかと。

それに応えて、土曜日にブランデンブルク広場でデモがあったときに、数百人の人たちが戦車のところにやってきて、赤いバラの花で戦車を埋めつくし、キャンドルを灯し、犠牲になったロシア兵を讃える手紙を置いたのだ。戦車全体が花でいっぱいになり、平和を祈る美しいオブジェのようになっていた。ドイツの初代首相の曾孫にあたるアレクサンダー・フォン・ビスマルクがやってきて、武器支援ばかりではなく、和平交渉を進めるべきです、と言っていた。2000本のバラの花を用意したと言っていた。

ところがその翌日、ウクライナ側の人たちが、その花を撤去して捨ててしまえという呼びかけをSNS出して、ベルリンにいるウクライナの人たちが集まり、花を投げ捨てていった。それをまた元に戻そうとする人たちも来ていたのだけれど、花を捨てに来た人たちに、「ウクライナから出ていけ!」という言葉を投げつけられていた。しかしとにかく、花はまた戻されて、新しい花も届き、再び戦車は花で飾られたらしい。

ドンバスの人たちにとっては、破壊されたロシアの戦車がウクライナの人たちによって、そのようにさらされたことは、戦死者に対する侮辱なのだと、ちょうどドンバスに行っていたドイツ人ジャーナリストのトーマス・レーパーは言っていた。その戦車に乗っていたロシア兵は戦死したのだから、それへの哀悼の念もなく、このように路上にさらすとは、あり得ない無礼なのだと。実際、ロシア兵たちは、戦死者にはどちらの側であろうとも、それなりの礼を尽くすのだそうだ。だから、あるドンバスの人が、ベルリンにいる友達に連絡して、戦死者への哀悼を示す赤いカーネーションの一本でも供えてくれるようにと頼んだのだそうだ。それが、始まりだったということだった。

戦車を運んできたウクライナの人たちは、ロシア軍がウクライナを占領しようとして侵略していると信じているのだろう。ウクライナ政府はそのように言っているし、ロシアは恐ろしい敵だということを、2014年以降、学校でも教えているそうだ。そしてドイツでは、一年前にロシア軍がドンバスで軍事行動を始めてから、ロシアのニュースを禁止して、すべてはロシアのプロパガンダだと言っていた。その中で、ドンバスに行って真実を伝えているドイツ人ジャーナリストたちは、ロシアの工作員だみたいに言われている。こうした情報操作のやり口は、パンデミックの時にもさんざん見たから、もうわかっている。そんな激しい妨害を受けながらも、こうしたジャーナリストたちが活動しているおかげで、ドンバスで何が起こっているのかを知っている人たちも、ドイツ語圏にはたくさんいるのだ。ベルリンのロシア大使館前の戦車に花で飾るプロジェクトは、ともかくもそうした人たちの存在を世界に示してくれていた。

その戦車をめぐる花争いを見ても、この戦争が何よりも情報戦争なのだということがよくわかる。一年前に、ロシアがドンバスで軍事行動を始めたとき、西側諸国が最初にやったことは、ロシアのニュースサイトRTを禁止することだった。パンデミックが始まってから、西側のメディアがあきらかにグローバリストのお金で動かされていることに気がついた人たちが増え、そういう人たちは西側の主流メディアを見るのをやめて、RTを見るようになった。RTはグローバリストのお金で動いていないので、報道が西側主流メディアのように歪んでいなかったからだ。それで、増えていたRTの読者たちが、ウクライナの戦争の真実を知ってしまうと都合が悪いということになったらしい。

パンデミックもそうだったけれど、これもまた最初から情報戦争だったのだ。いかにして情報を操作し、人々を心理的に一定の方向へ動かすかがカギだった。人々が、ロシアが一方的に侵攻していると思い込むように持っていって、巨額の武器援助を国民に受け入れさせるのが目的だった。これもパンデミックのときとまったく同じだった。多くの人々が、メディアが言う通りに、ロシアが一方的に侵攻してきたのだと信じ込んでしまったのだ。

実のところ、ドンバスは2014年からずっと内戦状態だった。ウクライナ政府軍がドンバス地方を攻撃していたのだ。それについては、西側ではまるきり報道されていなかったから、ほとんど知られていなかった。それで、一年前にロシア軍がこの内戦に介入したら、ロシアがとつぜん理由もなく侵攻してきたかのように世界中で報道し始めたのだ。

そう言えば、2014年にクリミア半島での紛争が起こったときも、まるでロシアが急にクリミア半島を取り返したくなって、侵攻してきたかのような報道のされ方をしていた。そのことについても、私は今のウクライナの戦争が始まってから知ったのだけれど、クリミアは、ロシアが侵攻してきたのではなくて、住民投票でウクライナから独立してロシア連邦の共和国として併合されることを、住民が決めたのだ。それを阻止するために、ウクライナ軍がクリミアを攻撃してきたので、ロシアが軍を出して、クリミアを守ったということだった。

それというのも、2014年にキエフでアメリカが裏で操ってのクーデターが起こり、もともと親ロシア派だったウクライナ政府が、アメリカのマリオネットである政府に入れ換えられたからだった。この政府が、反ロシア政策を強硬に推し進めて、その結果、ウクライナ東部に住むロシア系住民までが差別され、ロシア語を公に話すことさえ禁じられるという事態になった。そのため、クリミアやドンバス地方の人たちは、ウクライナからの独立を望み、ウクライナ政府軍と内戦状態になったのだ。その状態が8年続いたあとで、再びロシアが軍事介入すると、またクリミアのときと同じことが起こった。世界中がまるでロシアが一方的に侵攻してきたかのように報道し始めたのだ。

この頃、イスラエルの元首相が3月にトルコで行われた和平交渉が成立しなかったのは、ロシアのせいでもウクライナのせいでもなく、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの4国が戦争を継続するように決めたからだったということを地元のテレビで暴露していた。この戦争は、2014年の当初から、この4国が計画して、ウクライナにやらせていたのだ。2014年の当時からドイツ首相だったアンゲラ・メルケルは、最近ロシアのいたずら電話に引っかかって、当時のウクライナ大統領ポロシェンコと話していると思い込んで語った会話が、ネットで公開されていた。それを聞くと、元イスラエルの首相が言うとおり、この4国がすべてを決めて動かしているというのがよくわかる。4国というより、4国の首相にすえられたグローバリストの工作員たちが、だ。メルケルもマクロンも、グローバル・エリートのロビーである世界経済フォーラムが養成した政治家だし、彼らは国を乗っ取るために首相にすえられた工作員のようなものなのだ。国民のことなど考えてはいないし、彼らが考えているのは、グローバリストたちが指示するように政治を動かすのに、どのように国民をごまかすかといったことでしかない。

ポロシェンコは、2014年のクーデターでウクライナ大統領になったのだけれど、彼を裏で指名したのは、アメリカ国務次官のヴィクトリア・ヌーランドだったことがわかっている。このクーデターも、ヌーランドが国庫から資金を出して、仕組んだものだった。ポロシェンコとメルケルは、ファーストネームで呼び合っていて、メルケルは、この会話は内々にとどめて欲しい、決して公表しないで欲しい、と何度も頼んでいた。メルケルは、マクロンもバイデンもウクライナを支援することで一致しているのだから、とポロシェンコに言っていた。その言い方は、まるでその4人で何でも決めてしまえるかのようだった。国民がどう考えているとか、そんなことはまったく関係ないようなのだ。4人がつるんで決めれば、何でもできてしまうかのようだ。事実、一年前から西側の国々は、巨額の税金をウクライナへの軍事支援に使われ、ロシアへの経済制裁に協力させられている状態で、それに抗議したりすれば、ロシアの工作員だとか危険人物だとか、寄ってたかってものすごいメディア攻撃に遭うようなことになっていた。

ロシア大使館前に置かれた戦車は、ウクライナの戦争で破壊されたものだったのだけれど、ベルリンにロシアの戦車といったら、第二次世界大戦のときに、ベルリンを陥落させて、ナチスからドイツを解放したのは、ロシア軍だった。ベルリンには、その記憶がある。当時のドイツのナチスというのも、つまるところ、英米のグローバルエリートたちがロシアと戦わせるために作り上げたものだったのだけれど、その役を今はウクライナがやらされているというわけなのだ。ウクライナは2014年から、ウクライナ民族至上主義で軍国主義化しているのだけれど、それはまるきり第二次世界大戦時のナチス・ドイツと同じ状況だ。ウクライナの子供たちは、右手を挙げるナチ風の挨拶さえさせられているくらいだ。

それで、アメリカの指示でその戦争に協力させられている今のドイツもまた、情報統制され、軍事援助が強行され、まるで80年前のナチの時代を思わせるような状況が作られてきている。そのことに気づいているドイツ人たちは、ロシアがあのときと同じように、ドイツを解放してくれることになるのではないかと思っている。そして、そうした思いがあるからこそ、ロシア大使館前に置かれた戦車に、花を供える人々が少なくなかったのだ。あの行動は、ロシアに対して、ドイツにもロシアに理解を示す人たちがいることを、示してくれたのだと、トーマス・レーパーは言っていた。

去年の3月にも、ほとんど和平交渉が成り立ちそうなところまで行っていたのに、その戦争が一年続いてもまだ終わりそうにないとは、まさか思わなかった。しかも、それもグローバル・エリートたちがそうと決めて、西側の4つの国を動かしてやらせているからなのだ。しかし、ベルリンで反戦デモがあり、戦車を花でおおう行動があったのは、ヨーロッパもグローバリストにやられたままになっているだけではないということを世界中に示すことになった。それはともかくも、あまり希望が見えない今の状況の中で、一つの大きな希望ではある。

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画像一枚目
ベルリンのロシア大使館前に置かれたロシアの戦車


画像二枚目
ベルリンにあるロシア軍の記念碑。第二次世界大戦のときのロシアの戦車に、昨年誰かが「もう一度私たちを解放して下さい!」と書き込んだ。


転載ここまで

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