嘘を信じることについて | キセキを紡ぐ Rut of hope

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ちゅーことで、
チヒロサトさんのFacebookより転載させていただきます。
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【嘘を信じることについて】

封印解きセッションでハイハートチャクラを解放するのをやってから、このハイハートというのが、いかにこれまで封じ込められてきたのかということを、ヒリヒリするくらいに感じた。ハイハートは自分を愛することと免疫力に関連するエネルギーのセンターで、これこそはまさに現代社会で最も抑圧されてきたものだと思う。だから、ハイハートを解放するのは、自分と和解して融合するような、熱い感覚のものだった。

ところで、ハイハートがしっくり満たされると、頭と心がしっかりと繋がるからなのか、嘘に耐えられなくなるような気がする。頭だけで考えたら、嘘とも思わないのかもしれないけれど、頭と心が繋がっていると、両方で同時に考えている感じになる。頭で考えると同時に心でも考えていて、これはどうも嘘っぽいとか、まやかしがあるような気がするとか、そういうのがはっきりと見えてしまう感じがある。

おそらくは、こうした真実を見抜く感性は、自然の状態だったら、誰にでもしっかりあるのだろう。だけど私たちは、感覚的におかしいと思うことでも、理屈で思い込まされることにあまりにも慣らされているようなところがある。それがまさに、ハイハートを傷つけるのだと思う。自然の直感的な感覚がこれはおかしいと言っているのに、世間に合わせるためにそれを信じなくてはならないということがだ。

多くの人は、明らかにおかしいことでも、権威が言っているというと、容易に信じてしまう。そのことをこの3年ほどで、私たちはさんざん見てきた。こういう人たちも、心の声は何かがおかしいと言っているはずなのだ。だけど、そうした声を無視して、外の何かの権威が言ったことを信じるように、条件づけられてしまっている。そして、嘘を信じるたびに、私たちのハイハートは傷つけられていくのだと思う。

自分の心の声を信じないことは、自分を信じないことであり、自分を認めないことなのだ。そうやって私たちは、自分を信じることができなくなってしまっていた。自分を信じることができなければ、自分を愛することだってできない。つねに自分には何かが足りないと思い、他の人みたいにしなければならないと思い、誰かに従って、その人に承認をもらわなければならないように感じてしまう。そのすべては、真実を見抜いている自分の心の声を無視してきたことから生じていたのだ。

この3年ほどで、世界中でメディアも政府もいかにあからさまな嘘をつくのかがよくわかった。それも、感染症が流行っているとかいう自分の見えるところで起こっていたことを言っていたからはっきりわかったのだけれど、これまでも遠くの国の戦争やらで、まったく同じことをしていたことが、それで判明してしまった。

ウクライナの戦争では、8年も前からウクライナ軍がドンバス地方を攻撃していたのはまったくもってはっきりしていたことだったのに、ドンバスを防衛するためにロシアが軍を出したら、ロシアが侵攻したと世界中のメディアが報道し始めたのだ。

パンデミックの嘘を経験していなかったら、メディアが言ったことをそのまま信じていたかもしれない。だけど、パンデミックでメディアがどれだけ嘘をつくのかがわかったら、ここでもまた嘘をついているのがすぐにわかった。現地で見てこなくたって、嘘を言っている人の顔かどうかでもう見当がつく。表情やものの言い方で、かなり正確に見て取ることができる。

現実に惨劇が起こっているようなとき、これが真実だったら、人はあんな一方的に何かを攻撃するようなもの言いはしないものだ。だいたい現実に起こっていることだったら、何が誰が悪いのかは、そんなにはっきりとわかるものではない。それを最初からはっきりと一方を攻撃しているとしたら、背後にお金を払っている人がいることは、だいたい見当がつく。

実際、パンデミックが始まった頃すぐに、メディアや健康保健機関や衛生研究所やらが、すべて同じ財団から資金をもらっているということを見つけ出した人はたくさんいて、それはネットで探しただけでも簡単にわかるようなことだった。そして、その財団は、感染症を予防する薬に投資していたのだから、その時点で何が起こっているのかは、見当がつく。

そして、ウクライナの戦争でも、事態は同じだった。世界中の主流メディアのほとんどは、いろいろな財団やNGOから資金をもらっていて、それはまわりまわって軍需産業に繋がっていた。今、西側諸国はものすごい勢いで税金を使って武器をウクライナに送っているけれど、それはつまり、政治家たちが腐敗していて、税金を軍需産業にまわすことで、巨額の選挙資金を受け取ったりしているからだった。

そしてそれは、これまでに起こってきた多くの戦争でも、同じことだったのだ。すべては外から仕掛けられ、演出された戦争であり革命だった。民主化のためといい、実のところは外国のグローバル企業が自由に操れる政府に入れ替えるための戦争だったのだ。

ソ連が崩壊したのも、西側がしかけたことだったらしいのだけれど、そのあとの10年ほどで、ロシアは国中が外国に売り飛ばされたようなことになっていた。それが政治腐敗というものなのだ。政治家がお金をもらって、外国の企業に公共事業を売り飛ばしてしまう。企業は利益しか考えていないのだから、料金は上がり、サービスの質は下がる。税金は外国企業の懐へ行ってしまう。それで、90年代のロシアは貧困がひどかった。

その後、プーチンの時代になってから、政治腐敗を一掃して、ロシアは経済を立て直したけれど、すると今度はヨーロッパがEUでまるごと売り飛ばされたようなことになっていて、それ以来、中小企業がつぶれて、グローバル企業ばかりが独占しているような状態だ。何もかも私有化されてしまい、それがグローバル企業の手に渡っていく。グローバル企業は税金逃れにいろんなNGOに投資しているので、ほとんど税金を払わない。そして、そのNGOは、メディアや政府に資金をまわして操作したり、ファクトチェッカーみたいなことをやって、情報を操作していたりする。税金を払わないで、その分を政府を買収する工作に使っているというわけだ。

私たちは、そんな嘘だらけの時代に生きながら、そうした嘘に少しずつ慣らされていってしまったのだろう。それで、多くの人は、いかにおかしなことでもメディアの言っていることをそのまま信じるようになってしまった。でも、そうはいってもやはり何かがおかしいことを感じてはいるのだ。自分で自分の感性を抑圧している。だから、多くの人は頭と心がバラバラの状態になっていて、筋立ってものを考え判断することができなくなっているし、自分の健康を守ることさえできなくなっている。

今年は、2月にウクライナでの戦争が始まってから、戦争の報道がどれだけ嘘なのかを私たちは知ることになった。それは、この一年の大きな収穫だったとは言えるかもしれない。嘘だらけの世の中に生きることに、何度も絶望を感じながらも、私たちは真実に生きることを選んできたのだ。そして、その年の最後になって、ハイハートチャクラを解放することになったのは、ある意味すばらしい締めくくりだったと言える。

こんなに嘘だらけの世界に生きていなかったら、ここまでやっていなかったかもしれない。しかし、ハイハートチャクラが解放されたとき、嘘を信じることを拒否して生きていくことが、どれだけ重要なことかがよくわかった。結局のところ、世間並みに生きるためであれ何であれ、嘘を信じて生きていたら、自分から離れていってしまい、自分を守ることさえできなくなってしまうのだ。でも、たとえ世間とかけ離れても、嘘を拒否して生きていたら、自分を守る力が自ずと働いて、導かれていく。それこそは、ハイハートチャクラの力だ。

ハイハートが生き返ると、私たちは真実をはっきりと感じ取る感性を、ハイハートのところに持っていることがわかる。頭でも心臓でもないのだ。その間のハイハート。直感的にこれは嘘だとか、これは正しいとかを、ハイハートのあたりで感じる。そして、そこが正しいと感じるときは、だいたい現実にも正しい。

理論だの情報だのの問題ではないのだ。このハイハートの、真実を感じ取る感性こそが、これまで封じ込められていたものだった。そして、それをこの年の終わりに解放することができたのだ。

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画像は、白山の山頂