会社で人事査定をするのだけど、その時「人との比較しないでください」と言われたのを思い出した。
その人の能力に対しての査定をつけるようにと言われたのでした。
査定って難しい。
で、点数高めにつけてますよと注意されてしまった。
むーん
ちゅーことで、本文一部転載↓↓いつもありがとうございます。
アシュタールのメッセージをお伝えしますね^^
「こんにちは こうしてお話出来ることに感謝します。
基準を手放してください。
基準を手放せば比較しなくなります。
比較することがなくなれば、軸があなたに戻ってきます。
分かりますか?
身体柔らかいほうですか?と聞かれたら、自分が柔らかいと思っているなら柔らかいですと答えればいいのです。
自分では固いなと思っていれば、柔らかくないですと答えればいいのです。
あなた達は常に誰かと、何かと、比較するように教育されています。
軸をあなた以外のところに持っていくように教育されているのです。
だから、自分のことがよくわからないのです。
何かと比べて私はこうです・・という答えはとても得意なのです。
特に数字を出されるとその数字をもとに自分に評価を下します。
自分で考えるのではなく、数字で考えるのです。
まだ数字ではっきりと比較出来ることならばいいのですが、数字で比較出来ない事にはとても迷い、困るのです。
たとえば、ピアノは上手ですか?と聞かれたら、とても困るのです。
上手の基準が定かではないからです。
ピアノの何かの資格があればまだいいのですが、資格などなければ 何を基準に自分は上手かそうではないかと答えればいいのかわかりません。
Aさんよりは上手だと思うけど、Bさんにはかなわないな・・ということになるのです。
そして、聞いている方も上手の基準がはっきりとしているわけではないのでもっとあやふやな答えしか出来ないのです。
上手ですか?という問い自体がもう比較を基準としている問いだということなのです。
上手ですか?・・ではなく、お好きですか?と聞かれたら答えは自分で出せますね。
でも、あなた達はそこでもまだ比較の概念が頭をもたげ、好きっていうほど好きなのかな?好きって言えば上手だと思われるのではないかな?などと訳の分からないことで悩むのです(笑)
好きですか?と問われたら、好きですと答えれば済むことなのです。
自分が演奏することが好きならそれでいいのです。
好きですと答えればいいのです。
それが自分に軸があるということです。
自分の中に軸が戻ってくるととても楽になります。
他の人のことはいいのですと思えるようになります。
何の根拠もないあやふやな基準も必要なくなりますし、基準がなくなれば比較することもなくなるからです。
あなた達はすべてにおいて比較して決めようとしてしまいます。
比較する必要などないのです。
比較していればずっと自分の中に軸を取り戻せなくなります。
自分以外のところの基準に振り回されることになってしまいます。
それはとても疲れます。
私がこう思う・・それがあなたの軸なのです。
あなたが思うことでいいのです。
他の人と比べてどうかな?・・という思考は手放してください。
特に誰かが勝手に作った数字を基準にしないでくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」