ある、田舎暮らしの方の物語
北海道に若いころから住んでいる方のドキュメンタリーをテレビで放送していた。その方は、バスの運転手としてその地に住み仕事をしてきた。廃線になった鉄道に変わり地域の交通を担っていた。昔は木材の生産地として、多くの木がここから切り出されていったという。
なぜそこに住むか、「ここがとても好きだから」とても自然な理由である。
その方は、もう何十年とそこで人生を送り、時を重ねてきた。その方の若かりし頃バスを運転している映像と、現在の映像が映し出される。かつては集落があった地が更地になっている映像も映る。人生の年月の長さと深さ、そしてせつなさといとしさを感じさせる。
そして、テレビの映像は山に入り、木を植えている姿が映し出される。仲間と一緒に植林活動をしている。
自然が豊かなところなので、植林を不思議に思うかもしれないが、
人が介在して木材を切り出していたために、自然が人為的に加工されて自然はあるが不自然な状態になっているのだという。
そして、彼は一息ついてこう言った。
「この木が大きくなるのを私が見る事が出来ないのだけど、ここに自然が将来戻ってくるのがとても楽しみ」
この方の「成長の軌跡」を感じた。
自分自身の命の時間を超えた楽しみの為に、今この瞬間の行動を行っている。生命である人間は時がくれば自分の死や、命の残り時間を意識することになる。限りある自分の命の事実をどう超えていくか。それは生きている今の行動に時間を超える価値観をもつことも一つの成長なのかと思う。まだ、私が達していない人生を超える感覚がこの成長を経た方にはあると感じた。