P.B. ゴバン著「演劇テーマとしてのコミューン」(その2) | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

P.B. ゴバン著「演劇テーマとしてのコミューン」(その2)

 

p.88 ここには何もない。庶民の娘ジャンヌ・ボードワンやヴェルサイユの貴族ヴェルネ夫人が革命派の頭目となるブルジョアの知識人ジャック・ブリヤを愛するゆえに、感情的な筋立てはイデオロギー的・社会的計画を覆い隠すとしても、そうした筋立てが内面化されているわけではない。ジャックは己に献身的に奉仕する2人の女性を選ぶ必要はなかった。なぜなら、一人は彼が自分の生命をかけるほどの利害を代表し、他の一人はその努力にもかかわらず、自分の息子に腹を立てる計算高い出世主義者の母親のえこひいきを惹いていたからだ。もう一つの愛情関係 ― ヴェルネ夫人の兄弟たるボンマル将校を、彼がその父を処刑したジャンヌ・ボードワンのために倒してしまうという情熱。娼婦アドルと落ちぶれた裏切り者のラカテルの汚くもあり、また感動的でもある関係 ― はイデオロギー的紛争がメロドラマの味わいを強調する。

 ヴァレスはヴェルサイユ派の一人に主役をあてがうことにより、あるいはまた、変節漢の心理を真に同情的に描写することにより、彼のイデオロギー上の反対派を武装解除できると考えているようだ。しかし、彼は超えがたい美的困難にぶつかる。シェイクスピアがロメオをジュリエットにおいて政治闘争に嵌った愛人をわれわれに示すとき、シェイクスピアは恋仲2人を取り囲む一味を解散させてしまう。ジョルジュ・サンドが書いた階級のカップルに関してその筋立てを集中するとき、彼女は危機的舞台設定での政治紛争を捉えようとはせず、「そっけなく」それを為しとげる。これら2つの場合には個人のために集団を犠牲にする例が見られるが、このことは演出が比較的容易になるし、西洋演劇の美的伝統に非常に自然に入り込むことができる。これとは逆に、ヴァレスにとって個人的諸関係は集団的熱狂に依存する。しかし、そうした関係は明確な用語で示されるため、19世紀の演出家は別の政治的配置を好みがちであった。

 

 なおいっそう悪いことに、歴史は視野狭窄症に陥り、行動は「出来栄えのよい作品」をつくるために統一化される。コミューンを「問題」として取り扱うこともできたはずである。それは小アレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas fils)の諸作品における離婚に対比されるべきものである。サルセイ(Sarcey)の偏見は非常に厳しいが、彼が課す美的要求ほどには強制的ではない。

 

 心理的要素の相対化を可能にするブレヒトによる叙事詩的演劇美学の形成以後の作品を考察する前に、クローデルの『街』にちょっと立ち止まってみるのがよいだろう。ここではその演劇はもはや一連の記録描写にもとづいていない。記録描写に走れば、集団的計画の弁護と歴史的ビジョンの注解を可能にする。詩人はもはや展開される歴史に何らの配慮をしない。p.89 彼はもはや時代の承認ではなくて、一つの物語の創造者である。それ以来、彼は登場人物を自由に動かすことができ、登場人物間の関係はもはや心理的正当化を必要とせず、事件の因果関係は黙示録なサイクルの機能を帯びはじめる。男の登場人物が重力に引かれるのは祭祀と鼓吹者の対象としての従順で、かつ威圧的なラーラ(Lâla)の周りである。ラーラとそのパートナーの関係は一人の人間とその側近の関係の全体像を明らかにする。彼女は、娘、生徒、既婚者、愛人、そして母となっていく。彼女を取り巻く男たちはけっしてライバル関係にならない。これらの登場人物は補助的、かつ政治的シンボルの役割を演じる。権威主義的技師のベーム(Besme)によってまず支配されるラーラは彼女の「後見人」、すなわち、委員会の活動家と婚約する。彼女は詩人のクーヴル(Cœvre)と結婚するが、彼の口の利き方のせいで「2人は別れる。」彼女は最後に、大変動の火蓋を切る無政府主義の演説家アヴァール(Avare)に惹かれる。作品の最後のシーンで年老いたラーラは灰燼に帰した街が自然に平穏に戻っていくように怨恨も懐かずに立ち去っていく。そこから新たな展開が始まる。彼女が産み棄てたイヴォール(Ivors)公は「街の真只中で身を立て法律をつくる」。母の生命力によって育まれ、アヴァールの強力な武器となり司教となったクーヴルの叙任。… 事実上の主役ベームと委員会に従属するランベールがまったく合法的でないのに対し、主役の機能を演じる。一連の展開は重なりあい、そして、互いに応酬しあう。太陽の月、すなわち秋から秋まで、アヴァールを陶酔させた「春の真っ盛り」を数えつつ、人生、政治史、絶頂期を抱擁する神秘的な物語、一つの文明の崩壊と再生。したがって、歴史諸関係は縮小させられると同時に、登場人物間の単純な関係として代表させられる。ランベールとベームを引きずる政治的変動(槍の穂先に首を突き刺して行進されるのが見られる)は特に変わったことではなく、『街』の風景以外のなにものでもない。ここではパリが主題であり、コミューンが主題であるばかりでなく、すべてのシテ、すべての革命が主題なのである。場所と時間は破壊者であると同時に豊穣そのものでもある。クラウディスのテーマは真似できない。

 『コミューンの日々』を著したブレヒトはこれとは逆に、われわれにより明示されたイデオロギーと明瞭に定義された美的意識に適合する一貫したモデルを提供する。それ以来、歴史は神秘において埋められたり、道に迷わされたりすることがなく、その展開において公然と示されるようになる。歴史は悲劇におけるような口実ではなくて、また、歴史「小説」におけるような装飾である。ブレヒトはコミューン史をマルクス主義の枠組の中で読む。このことのゆえに、登場人物のテーマの結果を重視することによって、彼らをぶっきらぼうに呼び寄せる。p.90 時間と地理の隔たりの必要な距離は別の意味において見事に異化効果(Verfremdung)の技法〔訳注:劇作家ベルトルト・ブレヒトのよる舞台芸術の概念。 ブレヒトは、1936 年に出版されたエッセイ『中国の演技における疎外効果』でこの用語を初めて使用し、その中で『観客が単に劇中の登場人物と自分自身を同一視することを妨げられるような方法で演じている』と説明した〕の適用に役立つ。なるほど。ドイツの観衆は幾人かの同胞の登場を何らの関心をはらわずに鑑賞することはできないであろう。コミュナールに加担する負傷した胸甲騎兵は商人の役割を取り戻す。ビスマルクは政治的関係を厳格に取り扱わない。ヴェルサイユ政策の現実の野蛮に引き戻すのである。しかし、これらの登場人物はジュール・ヴァレスの登場人物ジャック・ブリヤ(Jacques Bryas)がそうであるように、作品の中心に位置しない。

 幾人かの登場人物が曖昧な中心に居座る作品、たとえば『勇気ある母』あるいは『ガリレオの生涯』で展開されるものとは異なり、ブレヒト作品には真実の主役がいないと読み取ることさえできる。ここでは観衆を幾人かの人物と同一視させうるような傾向 ― 理想主義の女教師ジュヌヴィエーヴ(Genneviève)あるいは若き国民衛兵ジャン・カベー(Jean Cabet)のように ― ほとんど反対されるようなことはない。プルーク(Plœuc)がヴェルサイユへ廻した列車と軍用金庫を妨害するその時に制止されたジャンや、ヴェルサイユのスパイであるフィアンセの逮捕に直面し無力かつ沈黙したまま立ち竦むジュヌヴィエーヴのように、登場人物を客体としての状況におくためには、「名誉を剥奪された人々」を置くだけで十分である。赤旗を振りまわすジュヌヴィエーヴの挑戦の最後の叫び声は一斉射撃により短く搔き消される。ミリタンや理論家は別の存在である。著者は唯一人の代弁人しか選ばない。彼がひとまとめに、あるいは幾つかのまとまりの教訓を公式化する責任を押しつけるのはこの人物に対してだ。主人を少なくとも指摘することができる。老いた連盟兵、「お父さん」「友人」「ココ」コミューン派遣委員ランジュヴァン(Langevin)、いずれの登場人物も作品の「良心」として表わされているのではない。

 にもかかわらず、あべこべに、教訓的作品にしばしばあらわれるような純粋漫画の、あるいは、たとえば『洗濯屋会議』におけるような、群衆的要素の抽象的状態に追い込まれるような人物は一人もいない。第一場面の『太っちょ』のような奇人たちさえ、必ずしも完全に人間性を失っているのではない。戦争から利益を引きだそうとする人物は複雑である。このような戦争から引きだされるあらゆる仕事を成就した厚顔無恥を彼は利己心および天真爛漫さと混ぜ合わせる。「太っちょ」はその良心の欠如を、日給30ス―の国民衛兵を享楽者として非難するにまで押し進める。「だが、ちょっと注意せよ。パリの辛抱はその目的に関連している」、つまり、国民衛兵は仮死状態にとどまる。したがって、批判は間接的に二重の皮肉を取り扱う。コミュナールの歴史的登場人物は葉巻きタバコをプカプカふかし、ジュール・ファーヴルに野蛮な助言をなすオペラ芸術家に関する露骨な注釈を述べ、深遠な政策の考察を述べるビスマルクと同列に扱うのである。「幸福を知りなさい、幸福を知りなさい。それは一つの外国政府の助力によってつくられてはならないものである。」p.91 「諸君らはやがてわれわれが釈放した20万の兵士を自由に動かすことができるだろう。」

 登場人物たちが不機嫌であるとき、あるいは勇気ある男や犠牲者が問題になる際に感動的であるとき、作品に歯の浮くようなユーモアを与え、また、「相違によって一つの心理をかたちづくるのはこの継続的な対位法である。対語次元でのこの対位法に対し、平行的シーンの器用な盛り上がりが対応するのだ。こうして、ビスマルクとファーヴルが革命を葬り去るために共謀するシーンは議長がアウグスト・ベーベルのドイツ国会議事堂(Reichstag)での精神的支持を想起させ、ヴァルランが万国の労働者よ、団結せよと呼びかけるコミューンの演説のちょっと前の出来事である。最後のバリケードが崩壊し、フランソワ、ジャン、ジュヌヴィエーヴ、そして「親父さん」が死ぬシーンは眼鏡越しに野外パーティの食糧が荷解きされるのを追うヴェルサイユの麗しい夫人らを示すエピソードを何らの注釈もなしにくりひろげる。

 それゆえ、教訓的メッセージを明白に発する必要はもはやない。数語の格言で十分であろう。シャンソンとバラードは合唱隊の役目を演じたり、行動に注釈を施したりする必要はもはやなく、何らかの調子を与えたり、あるいはまた作品の地平を越えて今日の観客に激しい感動を与えることで十分である。特に「すべてか、それとも無か」「今日は復活祭である」の役割である。これこそ、将来への信頼が現今の苦渋に勝るという主題を木霊するのである。

 ベルナール・ドール(Bernard Dort)が強調しているように、「アダモフはけっしてブレヒトではない。」だが、『71年の春』の著作者は偉大なドイツ人劇作家の影響を秘密にしない。殊に美意識がそうであり。また、アダモフの作品は多くの点で『コミューンの日々』以上にブレヒト的だ、と主張することさえできるだろう。なぜなら、その作品は異化効果の技法をより系統的に駆使しているからであり、歴史と劇の筋立ての関係、劇的効果と作品を見る観衆の経験の間の熟考の「鍵盤」を極限にまで拡大しているからである。じじつ、『コミューンの日々』が距離を明確化するために専ら対位法と重畳法を弄んでいるというのであれば、アダモフは散漫とはいえ、大当たり劇の展開をかたちづくる架空の登場人物が動く場面の間に裂け目をつくりだす。後者によって、しかも適度の様式化によることなく演じられる寓意的注解者としての道化師たち、しかし、そのほとんどすべての語りは公文書から引用され、しかも彼らの登場は現実主義的な遊びではなく、ドーミエ(Daumier)やピロテル(Pilotell)、その他の援用による漫画で上演される。その推移は視聴覚的技法(映写とレコード)の助けを借りる。

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