論文執筆上の心得【3】 | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

8.文章作法について          

      -明快・短文・平易の3つが絶対条件! 中学3年生が読める文を-

 

1  論文は読者に感動を与えることを目的としない。論文とは論証付き主張文であり、正確さと明快さが命である。したがって、美辞麗句、やたら多い修飾語、曖昧模糊とした表現、度のすぎたレトリックなどは差しひかえたほうがよい。

 

2 正確第一といっても、最初からあまり細部にこだわったのでは文全体が錯雑化し、主張の中心がぼやけてしまう。枝葉部分は思いきって削ったほうがよい。また、不必要な挿入句を入れると文の流れが悪くなるし、字数が増える。

 

3  文章が長すぎるのは読者に負担をかける。てきぎ小見出しをつけて負担を和らげる。ただし、叙述順には留意せよ。すなわち、部-編-章-節-(小節)-項の順になる。また、小見出しをことさらセンセーショナルな表現にする必要はなく、おとなしく要約的なものにとどめたほうが無難。

 

4  漢語や外来語の濫用は考えもの。外来語はできるだけ日本語に直す。ただし、人口に膾炙している外来語や、日本語に翻訳語のないものはこの限りではない。漢字熟語は概念の縮約に役立つが、平易な事がらをわざわざ漢字で書く必要はない。逆に、漢字熟語を使えばすっきりするのに、「すること」「であること」というように名詞節を多用すると、長たらしくなってかえって読みにくくなる。

 

内容面から見てひとまとまりになっているところで改行し、段落を設ける。このとき、「段落改行後1マス落トシ」の原則を忘れないように。段落改行は多すぎても、少なすぎてもいけない。少なすぎると読みにくいし、逆に多すぎると散文のようになって、モヤモヤとした情感のみが残る。

 

6  2つの概念を1つの文で表現するのはたいへん難しい。まず2つの文をつくってから、必要に応じて接合することを考えたほうがよい。長すぎる文(初学の徒によく見られるが)は筆者の背伸びの態度やペダンティック(衒学的)な知的態度に発する。

 

7  長文を引用するばあいは、引用符「 」を付けたうえ、改行(1行空ケも可)したうえ2~3段下ゲにする。短い引用文であれば、改行せずに「 」を付して文中に挿みこんでかまわない。

 

 8  注記と本文の使い分けを適切に行おう。注記を使うのは、本文を脱線から救うためである。注記にまわすのは次のようなケースである。[後で詳述する]

① 論証不十分の、あるいは強すぎると思われる個人的見解 

② 学術上の論争点 

③ 多すぎる例示

④ エピソードの類

⑤ 出所・出典

⑥ 本文で述べると論旨が不明快になったり、本文主旨から外れたりする場合

 

9  本文と注記は同時並行的に書く。注記を後まわしにすると、なぜそこに注記をおいた

のか理由を忘れ、結局、書けなくなってしまう懼れがある。

 

10  主語と述語の対応関係に留意せよ。「…事件は…事件である」はよくない。どちらか一方を別の語に置き換えたほうがよい。また、主語と述語があまりにかけ離れるのは考えもの。これは初学の徒がやりがちである。

 

11  文末(述部)をこねくりまわすのはよくない。これも官僚の答弁や、初学の徒によく見られる事例である。悪い例:「…と推定せざるをえないというのももっともなことと考えられる。」

 

12  修飾語は、被修飾語にできるだけ近いところにおく。語順によって意味が変わることもあるからだ。

 

13  修飾語は多ければ多いほどよいというわけではない。二重形容はさしひかえたい。修飾語は短めのほうがよい。また、修飾語または修飾語句で、使っても使わなくてもさほど意味の違いが出ないばあいは、使わないほうがよい。文の流れを悪くするだけであるからだ。

 

14 論文は小説や物語と異なって、読者に感動を与えることを目的としない。したがって、形容詞や副詞の多用は慎まなければならない。たとえば、「すこぶる」「きわめて」「ひじょうに」「たいへん」「あまり」「たいてい」「さほど」などは本来的に曖昧語であることを知るべし。

 

15  形式名詞、接続詞、感嘆詞、形容動詞、副詞、連体詞、助動詞、接尾語、接頭語、複合動詞の後ろの漢字はひらがな表記にする。漢字を避けたほうがよい例を挙げておこう。

する事」「併し」「十分」「益々」「出来る」「~なし得る」「~する限り」「等」「中」「様に」「の形で」「動き始める」「考え直す」

 

16  接続助詞「が」は慎重に使わなければならない。接続助詞「が」には順接、逆接、つなぎなど多様な意味があり、それらをはっきりさせるために、「が」の濫用は慎んだほうがよいからだ。とくに逆接の意で用いるばあい、「が」の代わりに、「けれども」とか、「にもかかわらず」とかを用いることによって、はっきり逆接の意味であることがわかるようにする。

 

17  格助詞「は」「が」「も」の用法の違いに留意すべし。

 

18  「さて」とか「ところで」とかの接続詞はできるだけ使わない。なぜなら、論文はつながり(筋道)を命とするにもかかわらず、このつながりを執筆者自らが切断するに等しいからだ。全面禁止というわけではないが、これを使いこなすには、相当な文章技術が必要である。とくに、前置きをまったくおかないで、「さて」「ところで」をいきなり使うのはよくない。

 

19  読点の使い方はたいへんむずかしい。学者、研究者、プロ文筆家でもまちがえる。多すぎても少なすぎてもよくない。時や場所を表わす言葉が出るたびに読点を使う人がいる。以下、よくない事例を示しておく。[後述の「9.読点の打ち方」を参照

 ①「1871年にフランスでは大異変が生じた」⇒いずれも読点不要

 ②「私は 彼が出発してから行く」⇒読点必要

 ③「ガソリンエンジンは 煤煙を吐き出す蒸気機関と較べいくつかの利点をもつ」

  ⇒読点必要

 ④ 「形を変え 今のようになった」「形を変えて今のようになった」⇒前者は

  必要だが、後者は不要

 

20  読点[、]とナカグロ[・]の違いに留意せよ。切断のニュアンスは読点のほうが強い。2字熟語、3字熟語、4字熟語以外にナカグロを使ってはいけない。また、外来語などのカタカナ語においてナカグロを使ってはいけない。

悪い例1:「都市・農村・閑静な郊外」「都市、農村、閑静な郊外」一番最後の語句の

   前に修飾語がきている。こうした場合はすべて読点でつなぐ。

悪い例2 :「イギリス・フランス・アメリカ」⇒これら3語は読点でつなぎ、「イギリス、

   フランス、アメリカ」とする。   Cf.「アダム・スミス」

 

21  「前述のように」「上述したように」「このように」を使うばあい、内容がはっきりしているときはよいが、何を指しているか判然としないとき、あるいは、ずいぶん前に述べた事がらを再論するときは、改めて簡潔にくり返すか、または「第4章第2節でふれたように」と明示する。読者は必ずしも、書き手の望むようには意味を受け止めてくれないことがある。

 

22  表現法の平板さは避けよ。口癖および読者の鼻につくようなワンパターン表現は避けたい。また、同一内容を示すとき、同じ箇所で同じ表現を重ねて使うのはできるだけ差しひかえ、別表現にしよう。

 

23  「こういった」「そういった」「ああいった」話しことばであり、また言外に情緒的意味を含んでいるため、さしひかえたほうがよい。類する語句に「~という」がある。同じことは「こそあど言葉」全般についていえる。いずれも論文書きに少し慣れた人がやりがちである。

 

24  複雑な事柄を述べるとき、前もって文頭で要約しておくのもよい。つまり、演繹法もたまには使えということだ。このように、演繹法と帰納法はてきぎ混ぜながら使う。いずれか一方のみだと、文が単調に流れやすく、読者は飽きてしまう。

 

25  受動態のみや能動態のみの表現はいただけない。これも口癖の一種で、読者を辟易させる。

 

26  「~とか~とか」「~たり~たり」「~ならびに~および」「まるで~ように」のような対応語はしばしば後ろのほうを忘れがちである。

 

27  「において」「における」「および」「すべく」「に関する」「に対する」などの文語表現はできるだけ避けたい。文が厳めしくなって、若い読者は逃げ出してしまう。

 

28  カタカナ語の濫用はやめよう。宣伝チラシ文書が悪い見本である。外来語を使うのは日本語として常用されるようになったものに限る。英語などの外国語を断りなしに使うのもよくない。だれが眼にしても意味が解せるものに限定しよう。

 

29  初学の徒に頻繁に見られる例だが、「私は」[思う「感じる」「考える」など、一人称を連想させる語は導入(イントロ)以外は用いないこと。論文は紀行文、小説、随筆文ではない。

 

30  日本語には身体行為に関連づけられる語が多い。転じて抽象的意味で用いる場合はひらがな表記が望ましい。(例)「恨みをいだく」「敵と手をにぎる」「心の琴線にふれる」

 

31  2つの事柄を述べる場合は「と」または「や」でつなぎ、3つ以上のときは読点またはナカグロでつなごう。

(良 い 例)「罪と罰」「京都、大阪、奈良」

(良くない例)「罪、罰」「京都と奈良と大阪」

 

 

9.読点の打ち方

 

 句読点は文章符号の一種である。句読点を打つことによって言葉の切れ目を明示することができる。句点は文の終わりを表わす。読点には、意味の切れ続きに応じて語や句を区切り視覚的なまとまりをつくる働きがある。句読点のない文章は読みにくかったり、意味が曖昧になったりする

 つまり、句読点は、書き手が述べたいことを正しく伝えるために役立つだけでなく、読み手にとっても文章の誤読や難読を避ける働きをもつ。もし人が句読点のまったくない文章に接したとしたら、読みにくすぎて逐一ひっかかりを覚え、内容を的確に汲みとるどころではなくなるだろう。

 一方、句点を打つのは容易で、ほとんどの人は正しく使うが、読点の使い方には現実的に各人各様のやり方がおこなわれており、誤った使い方のためにかえって文の流れが悪くなっている例が少なくない。たとえば、大学1年生が400字から成る文章を書くとして、読点をまちがわずに打つ者は皆無というほどだ。書き手自身は意味あることを書いたつもりでも、読み手にとっては何のことかさっぱりわからないこともある。

 専門研究者においても、これほどひどくはないにしても、読点の打ち方がぞんざいなため、読みにくい文章となっていることが少なくない。新聞や雑誌の記者のばあいは、入社とともに徹底的に指導されるため、まちがいはない。よって、新聞記事などがひとつのモデルとなりうる

 そこで、ここでは読点の打ち方に絞って例を挙げて説明したい。

 

(1) 文の主語を示す語句のあと

   (例) この話は、昔からこの地方に語りつがれてきたものである。

     ただし、主語の後にすぐ述語が来るばあいは不要。  (例) 彼は学生です。

 

(2) 文を中止するところや、並置の関係にある語句の間

 (例) サル、タヌキ、ウサギのぬいぐるみ。

   (例) 赤い、美しい花が咲いた。

 (例) 日が沈み、月が昇る。

   (例) 私は家に帰り、夕食をすませた。

 

(3) 感動詞や接続詞のあとなど、他の成分と独立の関係にある語句のあと

 (例) さあ、出かけよう。

   (例) しかし、結果は意外だった。

 

(4) 限定を加えたり、条件や理由を挙げたりする語句のあと

  (例) 彼は気が弱いので、彼女に何も言えなかった。

  (例) 金と暇があれば、旅行に行く。

 

(5) 助詞を省略したところ

  (例) 私、知っていました。

  (例) 何が好きなのか、言ってごらん。

 

(6) 文頭の副詞や副詞的な語句のあと

  (例) 昨夜、やっと原稿を書きあげました。

  (例) もし時間があれば、伺います。

 

(7) 語句を隔てて修飾するとき、その修飾語のあと

  (例) この、針のように細いものは何ですか。

  (例) 大きな、町の中央を流れる川が見える。

 

(8) 提示した語のあと

  (例) 愛、これこそ私の求めていたものだ。

 

(9) 誤解を避けるために必要なところ[注、読点の打ち方しだいで意味が変わる]

  (例) ここで、はきものを脱いでください。

  (例) 慌てて、逃げた男を追った。

 

(10) 文を倒置したとき、倒置部分の前

  (例) だれだ、私のお菓子を食べたのは。

 

(11 )2つの文から成る文の場合、主部の前

  (例) 彼は無実だ、と人々は信じている。

 

(12) 息の切れ目や、読みの間(ま)の部分

  (例) ジャン、ケン、ポン

  (例) リリリリ、リーン、とベルが鳴った。