日本人の美意識と甘えの文化
今日の講義で印象に残ったことは、ヨーロッパ人が人工のものに美を感じるのに対し、日本人は自然のものに美を感じる、ということであった。
日本においては、その温和な気候によって、人間と自然との深いかかわりが可能になった。しかし、ヨーロッパにおいて、それは困難なことであった。つまり、日本人が自然に美しさを感じることができたのは、このような自然との密接な関係があったからこそであり、ヨーロッパ人が自然のものよりも、人工のものに美しさを感じたのは当然のことといえる。やがて、ヨーロッパ人の美を人工的に造り出そうとする積極性が主張の文化へと変容していき、日本人の美に対する受け身の姿勢が甘えの文化を生み出したのだと考えられる。日本人がはっきりと言いたいことを口にせず、婉曲表現を好むのは、こうしたことが原因なのではないだろうか。
【短 評】
本批評文の独自性は結論部分にある。すなわち、「美を人工的に造りだそうとするヨーロッパ人の積極性が主張の文化へと変容していき、美に対する受け身の日本人の姿勢が甘えの文化を生みだした」がそれだ。
この論の是非については俄かには決定できない。たしかに、筆者の主張に首肯できる面もあるにはある。しかし、筆者が言うように、日欧における美意識と「甘えの文化」または「主張の文化」とのあいだに厳密な意味での相関関係があるかどうかとなると話は別で、これについては考え方しだいで「是」にも「非」にもなりうる ― これが評者の見解である。
まず最初に、「是」の見地の検討から入ろう。自然が人間に優しくなければ、そこに「美」はなく加工を必須とする。これが西洋における自然と人間の関係である。ここでは荒々しい自然はなんとしても克服すべき対象であり、そこに積極的な人為が加わることによって初めて「美」が誕生する。だから、自然に対しての人の無為は価値をもたず、積極的に改造することが「美」を生みだす根源となる。この積極的行為を「主張の文化」と見なせば、その説は妥当する。
これとは反対に、自然がもともと人間に優しい存在であれば、人間は「受身」のままでいてよく、何もしなくても「美」に浴すことができる。優しい自然、これが日本人の美意識の底にある。これを「甘えの文化」と見なせば、その説も妥当性をもつ。
次に「非」の論議に移ろう。「非」の基礎となるのは、別次元の問題をいっしょにして論議しているところから生じる。つまり、人間の自然に対する無為または人為の姿勢と「甘えの文化」または「主張の文化」とは別次元の問題と捉えなければならない。自然を加工すること、つまり「美」を創造しようとする態度を人間社会または国家間の軋轢を「甘えの文化」または「主張の文化」に擬えること自体に論理の飛躍がある。自然に対する人間の態度で比較すると、日本も西洋も大差ない。西洋のほうが自然の加工を随意におこなうのに対し、日本人は多少の躊躇を感じるほどの差でしかない。日本人も自然の「美」を人工的につくりだそうとする努力(たとえば、盆栽や生け花)をおこなっている。
「甘えの文化」または「主張の文化」は個人と個人のあり方 つまり社会的紐帯の態様を示す概念である。日本では同一言語、同一人種、同一文化、歴史の共有を基礎に据えた同質性の高い社会が形成されたため、そこに「和」「以心伝心」「相互信頼」「相互扶助」の精神が育まれる。西洋社会の仕組みを考察するためには、それを日本社会の仕組みの対極とみればよい。西洋では多言語、多人種、多文化、慢性的な紛争をかかえており、ある民族または国家が油断していれば、たちどころに隣接する強国に併呑されてしまう。そこを貫くものは絶えることのない鬩ぎあいと慢性的な戦争状態である。じっさい、歴史を回顧してみると、ヨーロッパほどの紛争多発地帯は外に例を見ない。そのような状況下でキリスト教がとかく弛みがちな国家群の結束を固めるセメントの役割を果たしてきた。
また、EUが出現したのは、二度の大戦による大惨禍を経てどの国も壊滅状態に陥り、文字どおりシュペングラーの予言「西洋の没落」が現実味を増したの対し、諸国に「小異を捨て」広域経済圏の樹立により、今度は共同して台頭著しい米・日および新興勢力に対抗しようとする復興運動、いわば防御的な外交姿勢から出てきた運動である。
本批評文の評価は60点。
【文章作法】
(1)読点。文中で下線の引かれた読点は削除せよ。
(2)語順。後段6~7行め:「ヨーロッパ人の美を人工的に造り出そうとする」⇒「美を人工的に造り出そうとするヨーロッパ人の」
*同8行め:「日本人の美に対する」⇒「美に対する日本人の」
(3)引用符。次の語は特別の意味をもつため、「 」で括ったほうがよい。「主張の文化」と「甘えの文化」。
(4)漢字。後段7行めの「造り出そう」は漢字、ひらがなのどちらで書いてもよい。[注]ただし、「作る」「造る」「つくる」「創る」の意味の違いに留意したい。