高校生のための小論文 8-⑰ マルコ | matsui michiakiのブログ

matsui michiakiのブログ

横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

 ゴールとしての民主主義

 

 民主主義は多くの国家が目指しているゴールだろう。課題文は「デモクラシー」の訳語に「民主主義」をあてたことに問題があると述べている。確かに、「デモクラシー」は一般的に「民主主義」と訳されながらも、これより広義な意味をもつことがある。たとえば、「大正デモクラシー」は上記と同様に訳すと「大正時代の民主主義」となるが、大正時代の民主主義運動やその運動が起きていた時期と認識されることがしばしばある。ではなぜ、「デモクラシー」の訳語に「民主主義」を当てたのか。

 それは多くの人々が「民主主義」という言葉を広義に理解しているからだ。人々に「民主主義」の定義をいたとしても、正確に答えられる人はほとんどいないだろう。また、学者や専門家などによっても異なるはずだ。これらを考慮に入れても「民主主義」に対する人々の理解の差は顕著だ。たとえば、日本では「民主主義」を社会主義や共産主義の対義語であると認識している人が多い。大人や一部の社会の教師までもが社会主義国や共産主義国は基本的に民主主義国家ではないと考えている。確かに、日本の近隣に民主主義国家とは言えない社会主義国もある。しかし、社会主義国は他にもあり、モンゴル、キューバ、ベトナムなどが挙げられ、これらの国すべてが民主主義国家でないわけではない。このような間違った理解は偏見だとも言える。

 このように、「民主主義」という言葉の定義は理解しにくく、それゆえに人々の解釈が大きく異なる。「デモクラシー」という言葉も同様に理解が難しく、「民主主義」と訳すのに好都合だったのかもしれない。世界での致命的な理解のずれを防ぎ、「民主主義」をゴールに掲げるのならば、皆の理解が一致する表現を探す必要がある。(マルコ)

 

【短  評】

 よくまとまった趣旨の論考である。前回と同じ誉め言葉になってしまうが、文章上で何らのひっかりもなく読めるところがよい。感想文の域を抜け、論文らしい雰囲気を湛えているところもよい。

 

  「課題文」の主旨をほぼ正確に汲み取っている。ひとつだけ疑問に思うのは、「大正デモクラシー」「大正時代の民主主義」と訳した教科書はないのではなかろうか。「大正デモクラシー」を代表する論客と目される吉野作造自身は「民本主義」の語を使ったのであり、「民主主義」ではない。そもそも「大正デモクラシー」という命名は戦後になされたものである。この語は信夫清三郎『大正デモクラシー史』(1954年)が初出である。

 

 「民主主義」を初めて使ったのは1880年代の民撰議院の樹立運動に参画した福地源一郎〔注〕であるが、単に「民」を代表する政見発表の場の確保を目途したのであり、今ふうの「民主主義」ではない。そもそも福地においても「民主」の中身は多義的であり、自らは天皇主権および欽定憲法の制定に参画するなど、政治的立場はもともと明治政権寄りだったため、左派からは煙たがれていた。彼は1880年代の過激な自由民権運動とは距離をおいている。1906年の死去であり、「大正デモクラシー」は体験すべくもなく、もし運動に際会しても吉野らとは対立したものと思われる。

〔注〕福地も長崎の医家の出身で幕臣として頭角を現す。幕臣という点で福沢諭吉と並ぶ「双福」と称される逸材であり、日本の言論界の基礎を築いた人物である。福沢と同じく、明治新政府には付かず離れずの距離を保った人物で、生涯の後半は劇作に腐心する。

 

 「民主主義」が現代ふうの意味あい ― これとて多様な解釈があるが ― をもつのはポツダム宣言(1945年7月26日)がきっかけである。この第10条に「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」の文言を受け、その「民主主義的傾向」とはいつのことかを訊ねる過程において大正期をこれに当てたのである。したがって、戦勝国側に「大正時代の民主主義」の観念がまず先にあって、憲法制定と同じように、「民主主義」の復活も占領軍によって企図されたことが分かる。

 当の「大正民本主義時代」「デモクラシー」「民主主義」の文字が見られなかったこと自体を問題視しなければならない。信夫清三郎自身にもなんらかの違和感ないしは遠慮心を懐いたせいだとも思われる。語はひとたび定着すると踏襲されるのがつねで、その後も「大正民主主義」なる語は使われていない。

 

 「民主主義」の響きに一般人が心地よさを感じるのはそうなのかもしれない。そして、筆者(マルコくん)がいうように、世人が「民主主義」「社会会義」「共産主義」の対語と理解していることは評者も知っている。社会主義国と目される国自体が「民主」「人民」の修飾句を使っているのも周知のとおりである。モンゴル、キューバ、ベトナムがいわゆる独裁主義でなく、治下の国民がそれなりに幸福感に包まれていることもおそらく真実であろう。しかしながら、社会主義のシステムでは生産性向上のカベは突き破れない。技術的に自由主義経済の後塵を拝していることは否定できない。とはいえ、今のドイモイ主義(ベトナム)が成功するかどうかはジッと見守っていく必要はあるだろう。ベトナム人の精神力の強靭さは驚嘆に値するものがあるからだ。

 

 評者は他の受講生の論考へのコメントで書いたように、「民主主義」にもいろいろありで、その直接民主主義重視の解釈は究極的に無政府主義につながり、その権力集中主義重視の解釈は究極的に一党独裁ないしは個人独裁につながるとみている。無政府主義と独裁主義の実態を同時に表現したのが1871年のパリ・コミューンである。この矛盾を参画者自体が自覚しないままにコミューン運動は73日の天下で幕を閉じてしまった。

  また、同じような中身を本格的に歴史上で短期間に実演したのがフランス革命時におけるロベスピエール独裁バブーフ陰謀事件である。ここで評者が言いたいことは、「民主主義」が理念であるうちはよいが、それの実行段階になると理想とは正反対の悲惨をもたらす。

 

 目下、展開中のアメリカ民主主義の迷走ぶりをみると、「民主主義」の多義性を文字どおりに実演しているのかもしれない。まさに「民主主義」「民主主義」の抗争である。理念と実態は相互に影響しあうのだが、われわれとしては実態に合わせて理念解釈を変えていかないと、理念追随主義は破綻してしまいかねないのであり、夢想は悲惨に変貌しかねない。とりとめない話になりそうなので、これで止めることにしたい。

 上掲文の評価は(65点)としておく。

 

【文章作法】

(1)読点不足(1か所)。主語が重なっているから、読点を打ったほうがよい。

(2)欠語。印の箇所に「科」を入れよ。