日本人の生活の中に生きている「~道」という考え方は自然の摂理を生活に取り入れた文化 | はちまんMatsuiコラム

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一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

ID:yqy414

日本人の生活の中に生きている「~道」という考え方は自然の摂理を生活に取り入れた文化


イギリスにお住まいで日本に多くの読者をお持ちのNikkyさんが感々学々・華の会 というブログの中で日本文化について興味深い内容を書かれていますので、その個所を抽出させて頂きます


開始>

何年か前に日本から来たゲストが、つけてくださったのがこのグループの名前「華の会」です。

「法華経」の中の華という意味だと思いますが、私達は50代~70代の年齢の日本婦人たちですので、年齢に相応しい素敵な名前だと思います。

ただし、この仲間が仏教徒の集まり、ということではありません。

私自身は宇宙を想像した「神」と言う存在があることを信じていますが、特別な宗教を信じるということはありません。

私は全人類は同じ星の下に生まれていて、その地域ごとに発生した土着の宗教はあったとしても、その最も中心的なところには宇宙を創造した神と呼ばれる元の存在があり、どんな宗教、哲学、思想にしても、本質的な意味、意義は皆同じだと言う考えを持っています。

実は、日本の神道こそが、一番自然の摂理を生活に取り入れた真の宗教といえるのではないかと考えている次第です。神の霊があらゆる自然や、人間一人ひとりの中に宿っていると信じています。

日本人の生活の中に生きている「~道」という考え方や姿勢は世界でも比類のない優れた生活の知恵だと思っています。

・・・抽出は以上です


国際的に活躍されている方や外国にお住まいの日本の方の方が、日本を客観的に深く見られるのではないかと思われるわけです


特にこれからは日本も今までの様なボヤっとしていても平和で安閑として生活が続けられるようにはなりません、特に若い世代は益々殺伐とした状況になり、年よりも犯罪を犯す人が増えると共に、長生きのリスクから老人破産が増える事で、社会不安の増大が懸念される様になって来ています


そこには日本人の良き価値観や知恵が喪失されて来たことの原因に気付く事になり、日本人としての生き方や、その事を知る事がより必要になって来ると思われます。


日本の心を失った、或いは持っていない日本人が増える事で日本社会が不安定になって行かない様にネットを使った日本文化の高揚は必要不可欠ではないかとおもわれるわけで、以下に、国際派日本人養成講座さんの現代科学と日本文明について書かれたものがありますので転載させて頂きます



国柄探訪: いのちの結び ~ 現代科学と日本文明
現代科学の自然観は、日本古来からの世界観に 近づいている

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog374.html


■1.日本料理と中華料理■
バンコクを旅行していた時である。たまたまミャンマーから の旅行者と一緒になり、いろいろ話をしているうちに、ひょいと「日本は中国文明の一部なんだろう」などというセリフが出た。悪気のある言葉ではなかったが、私はいたく機嫌を損ねて,「ノー、ノー」と激しく首を横に振った。もう少しでむち打ち 症になる所だった。
しかしいざ反論しようとすると何と言ってよいか分からなかった。確かに、日本人と中国人は外見では見分けがつかないし、日本ではチャイニーズ・キャラクター(漢字)を使っているじゃないか」と言われたら、言い訳もややこしい。文明論の専 門家でもない限り、「日本は中国人から別れた一民族」などという認識を持たれていても、仕方ないだろう。
しかし、最近、一般人でもすぐに分かる言い方を見つけた。まずは「ハチントンの『文明の衝突』でも述べられているように、日本文明は中国文明とは異なる独立した文明である、という見方が文明論者の間の『定説』です」と、虎の威を借りて先 制パンチを繰り出す。その後で、こんな具体例を話す。
あなたは日本料理、たとえば寿司を知っているでしょう。(寿司ぐらいならこの頃は欧米では一般人でも食べるし、アジアでも外国旅行をするほどの富裕階級なら知っている。)
魚やエビ、タコなど海の幸のさまざまな素材を生のまま、それぞれの独特の味を楽しみます。しかし中華料理は何でも熱を通して原形をとどめないほどに加工してしまいます。 この点では中華料理は西洋料理に近いのです。
また寿司は、それぞれの素材の色や形も生かして、見た 目にも美しく飾ります。自然のさまざまな恵みを、それぞれの味や美しさを最大限に生かして楽しむ。言わば、素材の多様な個性をそのままに生かしながら、それらが総合的なハーモニーを生み出す。これが日本文明の特徴です。
日本料理と中華料理を食べ比べてみれば、両者が本質的に異なる文明である事が体験的に理解できるでしょう。

■2.竜安寺の石庭とベルサイユ宮殿の庭園■
多様な個性が相互の関係性を通じて、全体的に優れたパフォーマンスを発揮するというのは、日本文明の得意のパターンだ。日本庭園もその一つである。
西洋の庭園は幾何学的な法則性に美を求める。たとえば、ベルサイユ宮殿の庭園は四角な池の左右と正面に樹木が並ぶ。樹木は種類と高さが揃っており、一本一本の個性は目立たないようになっていて、全体として直線性が強調されている。個々の要素の個性は捨象して、その奥にある抽象的な法則性を際だたせるという手法である。
京都・竜安寺の石庭はそれとは対照的だ。大きさも形も不揃いのいくつかの岩が砂地の上にとびとびに置かれている。それが静かな入り江に浮かぶ島々を連想させて、不思議な静謐感を醸し出す。
幾何学的な対称美を求める西洋人の精神は、自然の多様な有様の奥に唯一絶対の法則性を求める近代科学にも現れている。そこでは岩の大きさや形などという個性は捨象されてしまう。それに対して、日本人は様々の岩の持つ個性をそのままに楽しみ、それらが生み出すハーモニーを感じ取る。
この点では、中国も西洋人に近いようで、唐文化の影響を受けた薬師寺は塔も回廊も左右対称に対置されているが、法隆寺は左手に塔、右手に金堂と非対称の美しさを醸し出している。

■3.「千年を過ぎた木がまだ生きているんです」■
法隆寺の建築の技法そのものにも「多様な個性の関係性を通じて、全体としての優れたパフォーマンスを発揮する」という思想が見られる。
法隆寺の五重塔は千三百年前に建てられた現存する世界最古の木造建築である。代々、法隆寺に仕えてきた宮大工・西岡常一氏は、こう言う。
それもただ建っているというんやないんでっせ。五重塔
の軒を見られたらわかりますけど、きちんと天に向って一
直線になっていますのや。千三百年たってもその姿に乱れ
がないんです。 おんぼろになって建っているというんや
ないですからな。
しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。
塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反
りが戻ってきますし、鉋(かんな)をかければ今でも品の
いい檜の香りがしますのや。これが檜の命の長さです。
[1,p26]
 長寿の秘密の一つは「ヤリガンナ」という独自の工具によっ
て、木の繊維に添って「割る」という工法にある。それぞれの
木の個性に従って加工するので、格子にしても不揃いで同じも
のがない。現代の工法では一本一本の木の木目など無視して、
直線的に削ってしまうので、繊維が千切れて、耐用年数がはる
かに短くなってしまう。

■4.「木の命」■
宮大工の技術は「口伝(言い伝え)」として残されているが、その一つに「木は生育の方位のままに使え」というものがある。同じ檜(ひのき)でも南斜面に生育した木と北斜面に生育した 檜では、硬さ、しなやかさなど性質が異なる。また風の吹く方向によって、捻れがある。
一本一本の性質を見ながら、加重のかかる部分は丈夫な木を使い、またねじれがゆっくり戻っていく過程で、より構造がしっかりするよう、組み付け方向を考える。
飛鳥の建築は、外の形にとらわれずに木そのものの命をどう有効に、生かして使うかということが考えられているんですな。・・・
法隆寺のことでは、いつも学者といい合いしていました。学者はこういうものを木の命だとか、一本一本のくせとかで見ませんのや。形や寸法だとかからばかり見ています。それでは分かりません。[1,p151]
現代技術は、一本一本の木のくせなど無視して、機械的に同じ形と寸法に加工して、建築物を作る。それに対して、日本古来からの建築技術は自然界の多様な「いのち」をどう生かして、組み合わせるか、というアプローチからなりたっている。

■5.自然治癒力を重視する新しい医学■
興味深いことに、現代科学は従来の西洋文明の捉え方から、日本文明に近づきつつある。医学を例にとれば、今までは人間の身体をさまざまなパーツからなりたつ機械であると捉えていた。病気はその特定のパーツの故障であると考えるため、分析的な検査により故障箇所を発見し、その部分の修復を行う。はなはだしきは病んだ臓器を他人の健康な臓器と交換してしまおう、などという発想まで出てくる。
こういう分析的な見方をするので、例えば精神的な悩みから、体調を崩すなどという症状は、精神と肉体をはじめから別々に 分析する西洋医学では治癒が難しい。
このような反省から、人間を精神と身体の統合された全体として捉える新しい「ホリスティック(holistic)」医学協会が1978年にアメリカで結成された。ホリスティックはギリシャ語 のホロス(holos, 全体)という単語を語源としており、個別の要素を分析的に見るのではなく、全体的に、かつ各要素の関連性を重視する捉え方を指す。
近代医学とホリスティック医学の違いを端的に表すのは、然治癒力」の考え方である。近代西洋医学では自然治癒力という概念そのものがなかった。身体を機械であると捉えれば、機械は壊れても自らを治す力など持たないからである。ホリスティック医学では、患者を自然治癒力を持つ存在ととらえ、医師はそれを助ける役割を持つ。また医師も機械修理工ではなく、全人的な存在として、患者との間での人間的な触れあいを重視する。

■6.自律的な連携■
ホリスティックな立場から生命現象を観察すると、いろいろ面白い現象が見つかってきた。ネズミの心臓細胞を一つ一つバラバラにしてから、体外で高密度に培養する。培養開始直後は、それぞれの細胞が勝手なリズムでピクピクと脈動しているが、一日もすると培養器内のすべての心臓細胞が揃って同じリズムで脈動するようになる。
心臓の鼓動はこのような細胞同士の自律的な協調から生まれるもので、外部からの刺激による強制的な振動ではない事が分かる。まるで指揮者のいないオーケストラで、演奏者たちが互いに調子を合わせていくようなものだ。
それだけでなく、細胞は互いの連携を通じて、自分自身の機能まで変えてしまう能力を持つ。たとえばニンジンの葉の細胞と根の細胞は異なる機能を果たしているが、葉の細胞を培養して、ある程度成長してから土に植えると、一本のニンジンが育つ。葉の細胞の一部が、必要に応じて根の細胞となって、全体を再構成するのである。一つの細胞の中には、個体のどの部位の細胞にもなれる能力が備わっており、全体の必要性から自律 的に根になったり、葉になったりする。
これはあたかも地震災害の救援に集まったボランティアたちが、特定のリーダーがいる訳でもないのに、それぞれが自律的に判断して、ある人は瓦礫の片付けをし、別の人は炊き出しをするというように、協力しあうのと同様の現象である。

■7.「いのちの結び」■
西洋近代科学がようやく発見したこのような自律的な連携現象を、我々の先祖は自然の中に直感的に見つけていたようだ。古事記の冒頭は以下のように始まる。
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)になれる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神。つぎに高御産巣日(たかみむすひ)の神。つぎに 神産巣日(かむむすひ)の神。
本居宣長の『古事記伝』によれば、「産巣日」は借字で、産巣は「生(むす)」の意で物が成り出る様子をあらわす。「むすこ」、「むすめ」とは、「生まれ出た男子、女子」である。
日」は「霊」の意と説明されている。この他にも、五穀を実らせる和久産巣日(わくむすひ)の神、火を産み出す火産巣日ほむすひ)の神などがいる。
むすひ」は「結び」に通ずる。男女が結ばれて、子供が生まれる。家々が結びついて、村や国が生まれる。このように自然の生成とは、様々な要素が自律的に結びついて生み出されるものである。細胞の結びつきが新しい個体生命を生むように、さまざまな個性の木材の組み合わせが五重塔を生み出し、大小の岩の組み合わせが見事な石庭を生む。「いのちの結び」が新しい「いのち」を生むのである。

■8.我々は「いのちの結び」に生かされている
我々は自分自身を一個の存在、すなわち「個人」だと考えているが、「いのちの結び」という視点から考えてみると、自分自身もさまざまな「いのち」が結び合って生かされていることが分かる。
まず、前述のように心臓の鼓動は、無数の細胞が互いにリズ ムを合わせて生み出している。食物も植物や魚、動物など「いのち」あるものであり、それらの「いのち」の一部が我々の体内細胞と結びあわされて、身体が作られ、活動エネルギーが生まれる。大腸内には約100種類、100兆個もの微生物が存在し、それらが老廃物の処理に重要な役割を果たしている。人体は孤立しているのではなく、自然との結びの中で生かされているのである。
同時に人間は社会のさまざまな結びつきの中でも生かされている。家族の中で生まれ、また自ら家族を作って子供を産む。職場では、同僚達との結びつきの中で仕事が進められる。一国の中で、警察や軍隊に守られ、教育や福祉を受ける。
人間は肉体と精神の結びつきから成り立っているが、その精神も文化や歴史の中で生み出されたものだ。言語はその中核であるが、それ自体が長い歴史の中でさまざまな人々の結びつきの中から、徐々に生成発展してきたものである。
「個人」と言うと、いかにも他から独立した一個の存在である かのように錯覚してしまうが、このように見れば、実際には自然や社会、歴史の無数の結びの中で生み出され、生かされている存在だという事が分かる。

■9.「いのちの結び」が見えないガン細胞■
正常な細胞は、常に人体の状況に関する情報を受け取り、それをもとに他の細胞と連携しながら自律的にそれぞれの働きを調整している。ところがガン細胞は正常細胞からの情報が伝わらないので、周囲の状況が「見えなく」なり、その結果、人体のニーズや周囲の正常細胞の動きとはお構いなしに増殖を続け、ついには人体の結びを破壊して、「いのち」を失わせる。
近代の人類は、科学技術によって自然とのつながりを見失い、勝手な増殖を繰り返して、今日のような地球環境破壊を招いた。 自然から見れば、まさにガン細胞のようなものであった。
戦後の日本では、西洋の個人主義を曲解し、個人の自由のためには国家社会の秩序を無視しても良いという思想の持ち主が現れた。また自虐史観から自分自身を生み育ててくれた歴史を断罪し、そこから断絶しようという一派もあった。さらにはフェミニスト達のように伝統的な家族という結びつきを破壊することに熱をあげる人々もいる。これらも社会や歴史の中の「いのちの結び」が見えないガン細胞の類ではないか。
自虐史観をもたらしたマルクス主義もフェミニズムも、地球環境破壊を招いた近代科学技術と同様、「いのちの結び」を見失った近代西洋思想の一種である。これらから社会や歴史の「いのち」を守るには、まず自分自身が自然、社会、歴史の結びの中で生かされている事に気がつかなければならない。 (文責:伊勢雅臣)
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転載は以上です

日本文化を表しているモノに如何に多く触れるかという事が大事なんですね、日本人は感化という事を大事にしているわけだからです

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