元朝鮮総督府官吏の西川清氏は安倍首相が従軍慰安婦は見直すと言われたので真実の手紙を | はちまんMatsuiコラム

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元朝鮮総督府官吏の西川清氏は安倍首相が総裁選で従軍慰安婦は見直すと言われたので真実の手紙を出された



動画重要証言】「慰安婦(위안부)の強制連行はなかった」~朝鮮総督府元内務課長の証言ロングバージョン【ザ・ファクト】 https://www.youtube.com/watch?v=56aX_8s5St4&feature=youtu.be


元朝鮮総督府官吏として当時を現地で生きた西川清氏(97歳)が慰安婦と言われているモノの真実について安倍総理に送った手紙はネットでは多く紹介されています。


動画をご覧頂きますと、西川氏の毅然とした曇りのない言葉の中に、当時の日本軍の「軍律厳しき」と言われる状況が目の前に映し出されてくる様な気がいたします。


特に氏の経歴でも朝鮮総督府地方官吏をされていたわけで、事実を知る者として、韓国の言いなりとなって朝鮮女性を性の奴隷にしたと世界に間違った発信をさせた河野発言などではどれだけ憤懣やる方なき思いをされていたのではないだろうかと思わずにいられないわけです。


Nikkyさんのブログでは

慰安婦問題についての真実、生きた証言 より
http://ameblo.jp/nikkyuk/entry-11898360818.html


「戦後の日本は日露戦争、大東亜戦争などの戦争に命を懸けて日本
を守るために戦ってきた方たちを戦争犯罪人として、社会の片隅に
押しやってきました。どれだけ多くの方たちが無念の思いで、生きてこられたでしょうか?」

と書かれています

また、当ブログでもお伝えしていますが、韓国が慰安婦を問題だとして世界に嘘の発信ができるには、そのバックに戦勝国があるという事なのです、その事では


「慰安婦問題は解決される気配はありません。
実際、中韓の背後にはアメリカがいて、従軍慰安婦なるものの存在を肯定する活動をサポートしているのです。

なぜならこの問題で日本の正当性が明らかにされることは、アメリカにとって都合が悪いからです。

それは、大東亜戦争での日本の正当性が明らかになり、広島、長崎に落とされた原爆、東京空襲、さらに東京裁判などがいかに国際法を無視した残虐な行為であったのか明らかにされることに繋がるからです。」


と真相を言われています。


元朝鮮総督府官吏の西川清氏が動画の中で、当時の日本軍人の精神を言われている言葉があります





欧米の司令官たちも日本軍人の精神には感服しています、この様な兵隊がいたらと彼らは本音を語っています


しかし国に対する日本人の感覚と言うのは残念ながら日本だけのモノである事を理解しないといけないわけです


日本人は国を信じています、だからお国の為と当然のごとき思いがありますが、世界はそうではないわけです


特に中国人や朝鮮人が一番信じていないのが国なのです、ですから日本を国際性がなかったと言われるのであれば、日本人からすれば全く逆の価値観であり、日本を理解するには真逆の民族性を持っている朝鮮人を、日本人と同じ扱いをした事ではないかという事になってくると思われるわけです


日本人の当然の感情や行動を理解できる歴史が中国や朝鮮の人々にはありません、日本人は戦死者を供養したりしてともらいます、しかし孔孟の教えにも儒教にも死者を供養するなんてものはありませんから、四川省の地震で亡くなった方に日本からの援助部隊の方が黙祷を捧げた姿に感動されているわけです。


日本には封建時代があり、主君に仕えるという考えが成熟しており、主君が腹でも切られる事あらば、お伴仕りまする、と言って当然の事の如く家臣も腹を切ったわけです


そんな武士達のあり方を戦いとは別の状況に置かれていた百姓・町民も、なんてバカなことするんや、というどころか、えらいもんや、という見方をしていますし、憧れをも感じているわけです。


この様な歴史の変遷は世界にはないわけで、特に三権分立というシステムを構築してきた西洋では考えられないのが日本の文武両道という考えであるという事が分かってきます


文武は別にしなければ絶対にいけない、として法体系も出来ている西洋の法体系を文武両道とする考えを長い歴史の中から構築してきた日本社会に適応させるという事を、文化の違いという事を深く論議もなく行ってきた事の無理矛盾が露呈されてきた時代でもあったと大戦当時を考える事も必要ではないでしょうか


日本人と同じやり方を当然と思って強いて行く事は欧米中(韓)にとっては逆の価値観を強いる事に思われますから、彼らにすれば大きな苦痛であり反発の元になったであろう事が想像されます。


つまり欧米中(韓)にとっては日本軍は世界一の兵隊がいた軍隊であり、世界はこの様な兵隊を持てないが為に恐れたわけですし、そんな兵隊が二度と現れない様にしたいと必死になったのも当然とも言えるわけです。


さらに、長い鎖国を経て明治維新が始まって日清日露の戦争に勝ち第一次世界大戦にもアジアでは日本だけが参加し12/8の真珠湾攻撃の1941年を向かえるまでにわずか73年しかたっていません、


800年以上国際戦をやり世界を植民地化している西洋諸国は、100年も経たない間に英仏も持てなかった連合艦隊を作るまでになった日本をどの様に見ていたと思われるでしょうか(彼らも日本を理解できなかったでしょうし日本もそうであるわけで・・・)


彼らにとっては自分達が理解できない事は脅威ととるわけです


日本の誤解や冤罪を解くにあたっては、世界が抱いた「自分の命なんかいらない国の為に尽くす」という日本人の当然の精神が文化や価値観の違いという説明責任が充分に理解されていないが為に欧米中に誤解され、それから生じている脅威を解く事も忘れてはならないと申し上げたいわけなのです。


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拝啓 安倍内閣総理大臣殿

和歌山県田辺市 西川 清 (97歳)


日夜国事に精励されている総理大臣に対し、
名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無礼をお許し下さい。

私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。
それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。


結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、
日本の軍や官が強制連行など関係したことは絶対ありません。


かく私が断言することができるのは、私が朝鮮・江原道の寧越群
及び原州群の内務課長を歴任した経験があるからです。

以下、当時の状況等について申し述べます。

私は昭和8年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、
敗戦により引き揚げてくるまで勤め、
その間一年間臨時召集により入隊しました。

朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、
群庁より府・邑・面(日本の市町村)を通じて施行されました。
(当時、江原道内には府はなく、邑と面のみ)。


群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、
内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、
人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました


内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、
朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、
兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。


朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、
総督府より道に対し人数の割り当てがあり、道はこれを群庁に、
群庁はこれを邑、面に対して割り当てをして、
集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。


女子に対してはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、
朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、
前述の系統をたどり集めるしかありませんが、
このようなことは一切ありませんでした。


売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、
女衒かその類の者の仕業であって、
軍や官は一切あずかり知らぬことであります。


日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、
一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。


日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、
敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、
あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。


今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも
当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。

然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、
従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、
朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、
カルボチビ(娼家)の戦前戦中の実態も知らぬくせに、
いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません。


国威を失墜し児孫に負の遺産となる河野談話の見直しは、
安倍総理を除いては望むべくもありません


ぜひぜひ誇りある日本の為に、
この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。
最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。

敬具

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西川 清氏の略歴

大正4年:和歌山県田辺市生まれ。

昭和8年:和歌山県立熊野林業学校卒業と同時に朝鮮江原道内部産業課勤務。

昭和12年:朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任官。

昭和13年:臨時召集により歩兵第76連隊入隊。

昭和14年:招集解除。

昭和18年:寧越郡内務課長。

昭和19年:原州郡内務課長。

昭和20年:道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。引揚。

昭和21年:厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。
和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを歴任。

昭和42年:依願免職

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facebook 『九人の乙女・正岡の赤い花』 より
https://www.facebook.com/pages/%E4%B9%9D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B9%99%E5%A5%B3%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E3%81%AE%E8%B5%A4%E3%81%84%E8%8A%B1/580968958579827

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転載は以上です


関連ブログです是非ご覧ください↓

死せる元ルバングからの帰還兵小野田寛郎氏「私が見た従軍慰安婦の正体」を残す
http://ameblo.jp/matsui0816/entry-11923362899.html



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