戦前の軍部台頭の裏にデフレ政策あり!危うきは白川氏であって黒田新総裁に期待する | はちまんMatsuiコラム

はちまんMatsuiコラム

一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

ID:yqy414

戦前の軍部台頭の裏にデフレ政策あり!危うきは白川氏であって黒田新総裁に期待する

黒田新総裁に「危うさ感じる」 日銀の白川総裁がさよなら会http://sakoraee.exblog.jp/18385572/ (まずは記事↑をご覧ください)


日銀総裁が白川氏から黒田氏に交代になって白川方明(まさあき)総裁が19日、退任の時に「黒田東彦(はるひこ)新総裁らが唱える市場の期待に働きかける金融政策に「市場を思い通りに動かすということなら、危うさを感じる」と語った。」と報じられたが白川氏が言われるべき事ではなかったと申し上げたい内容です。

特に円高に関しては白川日銀時代のやり方が問われています、白川総裁時では市場への円の供給を足りない分を足す、という教科書的なやり方で対処してきた為に円の量はそのままなのにヨーロッパの金融界がドンドンお金を刷った為に世界市場での円が少なくなり、円が少なくなる関係で市場では円高が進む事になり、日本の経済失速、デフレ進行で日本経済は貿易を中心として大きな打撃を被って来たわけです

しかし安部政権誕生で金融の緩和政策を打ち出したとたんに円安に転換する現象が世界的な雪崩を打って起こってきたわけなのですが、私は白川氏が日銀総裁就任の5年間を「激動の5年間」と振返えられていますが、日銀は独立機関と言われてはいるものの、5年間の大半が民主党政権であった事に影響がなかったと言えるだろうかと思えるわけなのです

民主党政権時代は鳩山・菅・野田と中国・韓国寄り政策が実行され、急に中国の圧力が増え尖閣・竹島問題をはじめ日本が戦争に巻き込まれるかも知れない様な事態も生じて来たわけなのです、しかもデフレによる経済の疲弊が日本の国の価値を世界的に低下させ評価を下げる事態になったわけです

しかしこのデフレによる国の危機招来という事は戦前にもあった事を忘れてはいけないと思うわけなのです、なぜなら戦前の政治に軍人は関与すべからず、という御言葉を無視して、軍人が政治に関与する様になった舞台裏にデフレ政策があったからなのです


この事実を書かれた「誠」さんの「桜会」を紹介させて頂きます、やはり戦後半世紀以上経ちまして、機密文章や発禁書籍などが出るようになり、これまでどうしても不可解であった裏の事実がドンドンと分かるようになって参りました、


では必要個所を転載させて頂きますので是非ご覧ください


桜会
http://risingsun555.blog.fc2.com/blog-entry-17.html


『桜会(さくらかい)とは、日本の軍事国家化と翼賛議会体制への改造を目指して
1930年(昭和5年)に結成された超国家主義的な秘密結社である。』

この認識が、多くの国民が持つ桜会の知識ではないでしょうか。
しかし、この桜会のスポンサーが、ソ連のスターリン《資金元は、1923年にレーニンの指示で、吉田一がヨッフェから60万円(現在の貨幣価値で約40億円)を受け取った。この資金が後に、桜会に渡ることとなる。〈更に、この時に受け取った資金の残金が、戦後、日本社会党の結党資金となっている。〉》であることを知る者が一体どれだけ存在しているのか。

日本軍人を共産勢力のコントロール下に置くという陰謀を成功させる為にコミンテルンの秘密結社でありながら、表向き日本軍の軍閥として結成されたのが「桜会」だったのです。
この会を設立後、どのような事件が起き、日本国が翻弄されていったのかを調べていくと、当時の左翼の陰謀が見えてくるということである。
戦前の日本は、軍部が暴発して戦争へと向かっていったとする起点として名が挙がるのが、所謂226事件です。

しかし、この226事件は本当に国粋系組織である皇道派と呼ばれる青年将校たちが起こしたクーデター未遂事件で、皇道派は政財界と結んでいた統制派を倒して天皇をまつりあげようと目論んでだとされていますが、226事件に至るまでの過程にどの様な動きがあり何故226事件に至ったのかを調べていくと、左翼の念密に練られた日本国を貶める計画が明らかになってきたのです。
この情報を知ることで、今行われている日教組教育の異常なほど日本軍を貶める教育が成されているのかが理解できるのではないか。
この日本近代史の闇の部分を紐解く事で、当時の共産主義者達の陰謀が解読されるのではないかと思い「桜会と共産主義者」の謀略を世に示す事を目的として今回、戦後の捏造教育からの解脱の進める事を目的に記載しました。
日本国をどの様に戦争へと導いたのかが読み取れると思います。


先ず桜会は、参謀本部の橋本欣五郎中佐、長勇少佐らが、政党政治が腐敗している{当時、共産主義者は、「共賊」と呼ばれ党として政治活動することが出来なかった為、大学やメディア等で一定の発言力を得た段階に於いて、国民に対して戦争へと向かわせる扇動工作で謀略を浸透させ、国民を窮地に追い込むことにより支持拡大を企てた共産主義者にはインテリ(自分が騙される筈がないという暗示を自らに懸けてしまう)が多い事が1つの特徴である}とするとともに国民の大多数を占める農民{岡田内閣がデフレ政策を執り、緊縮財政下での農作物の豊作(デフレにより、物価が下落した時に米が豊作となり、米価の価格が暴落した)と不作(不作により収穫量が減少し、それを補うためにコメを半島から輸入した為、米価に変動が無く収入が激減)により、東北地方では生活苦で身売りするまでに至った農家が急増した}窮状に日本の将来が危惧されるとして、朝鮮や満州への投資の不当性を主張して農民の指示拡大を謀った、左翼(共産主義者)の自作自演の人為的不況だったのです

このデフレ不況からの脱却に白羽の矢が立ったのが、後に226事件で射殺された高橋是清だったのです。
このデフレ政策と採算が取れない状態に追い込まれる米価により、農家出身で桜会の主張に同調する東北地方出身者の若者が多く参加している要因となっているのが特徴と言える。
この東北出身者である彼らの大半が後に、皇道派として226事件に参加したのである。
このデフレ政策というのは左翼が国民の生活を窮地の追い込む時に頻繁に使う手法ですので皆さんで左翼の動きを注視していきましょう。

当時は第一次世界大戦後のハイパーインフレを改善する為に、金本位制を復活させてハイパーインフレを脱却しようとする世界の金融方針が金本位制に統一され、後にアメリカ発の金融恐慌に陥ったのが桜会設立1年前の1929年です。
世界が金本位制を導入してデフレへと突入して、世界恐慌へと陥った事を日本国を不況に落とし入れる手段として活用したのが、翌年の1930年、濱口内閣によって行われた金解禁(昭和4年大蔵省令第27号)で、日本国の金本位制導入だったのです。
この時の大蔵大臣は、1932年に血盟団事件で射殺された井上準之助です。
正に、金本位制を導入した年に、桜会設立という左翼が日本滅亡を企て、左翼の言う革命計画が実行に移されたのです。

この時既に、官僚を支配下に置いていた官僚は当時から帝大法学部出が占め、この帝大法学部を中心に存在した新人会で日本共産党の下部組織として存在し、卒業後各官庁に入省していた。新人会は、1918年12月結成、1929年11月に解散するまで、戦前の日本における学生運動の中核的存在で、判明している会員数だけでも延べ、約360名に達している。)



左翼が、次に目指したのが、軍部を支配下に置く(1928年に行われた第6回コミンテルン会議で、スターリンが指示した「敗戦革命」を実行する為)ことだったのです。

官僚支配下に置く為の活動は、1918年~1929年の11年間活動した新人会が主導的役割を果たし、官僚をコントロールできる体制を整えた後新人会を解散した。

その翌年、日本国崩壊の序章として金本位制を導入したのである。
この金本位制とは、それまで好調を維持していた日本経済を緊縮財政政策に切り替え、デフレ不況を演出して国民に政府への不満を抱かせ、国内に不満分子を増発させて左翼勢力の拡大を企てた政策なのです
このデフレ状態を人為的に発生させ、日本国を混乱に陥れ国体の破壊を企てた左翼の陰謀と、現在の日銀指針であるデフレ維持策がどの様な意味を示しているかが想像できるだろう。
インフレとは成長であり、過度な成長はバブルを生む、インフレがバブルに至らない様に、インフレの上限値であるターゲットを設定してコントロールすることが、日銀の本来の仕事なのです。

今の日銀が行うデフレ容認の姿勢は、戦前の好調だった日本国経済を人為的に窮地に追い込んだデフレ政策が、ダブってしまうということに気付かれた方も多いと思います。

左翼にとって、国の存在は悪で、国境無き世界の構築が究極の目的なのです。
ですから、国の象徴である皇室(君主制)の崩壊を模索し、今も活動しているのが左翼なのです。
 

左翼の手法としてよく用いられているのが、国民が非難し辛いネーミングを団体名に付け、活動していることです。
「自由」、「平和」、「市民」、「平等」、「共生」左翼の団体によく使用されている名称であり、事業名であるのです。
この名称が目に入ったら、裏で『利権』を得て活動している左翼団体と考えることが出来る。
何故、この様な記載をしたかというと、戦前もこの手法で国民を欺いてきたからなのです


「桜」とは、日本人の心であり、桜=国家を印象するのがある意味正常な思考であり、戦前もこの思考は同様というか、現代以上といってよいのではないか。
 桜会=日本人の会と感覚的に思ってしまう、正に国民を欺く最適なネーミングだったのです。
この桜会が、まさかコミンテルンの秘密結社だなんて謀略した者以外、その疑義を持つ者は誰も居なかったのです

少し、話が飛んでしまったので、1930年から導入した金本位制は昭和恐慌を生じさせた。
では、金本位制の導入で日本国がどの様な経済状況に至ったのかを説明しましょう。
1930年の農家は豊作に恵まれ、本来ならば文字通り豊かな生活が送れると思いきや、金本位制の導入により、国内には通貨が不足する状況にあり、且つ朝鮮や満州からの米の輸入によるコメのダブつきが米価の暴落に拍車をかけたのです。
所謂、豊作貧乏という状況でした。
この時の農家不況は昭和農業恐慌といわれているが、この恐慌が、後に日本国が戦争へと踏み出す要因を生み出したのである。
このコメのダブつきを回避する為、半島から本土へのコメの輸入が一時的に禁止されたのです。
金本位制は、昭和恐慌を生み出したが、昭和恐慌からの脱却の命運をかけ、白羽の矢が立ったのが先にも記載した高橋是清である。
日本崩壊の寸前で、高橋是清が再度現れ、日本経済を立て直してしまったのです。
つまり、左翼にとって高橋是清は、正に目の上のタンコブだった事を頭に置いておいて下さい。

この時に共産党が目を付けたのが東北地方(東北地方は)で、共産主義を根付かせる為にデフレ不況を意図的に起こし、国民の思想に共産思想を浸透させるのが狙いだったのです。
自らが保管するコミンテルンの資金価値を上昇させ、(デフレ下では、現金を有する者がそれを保管するだけで、その価値を増していくのですつまり、60万円を箪笥貯金して置くだけでその価値が上がるのである同時に、国民を苦しめることで、共産思想の浸透を謀り、その支持を拡大させる。


これが、当時国内で支持基盤が無い左翼の初期段階での戦略だったのです。
 これは、関東大震災に於ける日本国政府の対応として、朝鮮への出資を抑える事無く、国内の財政縮小(デフレ誘導)による対応で国難に対処するとする政策への疑問を呈し、東北の住民が生活困難に陥った事を利用し、皇道派の多い東北出身者を天皇陛下に「暴徒」として制圧させ殺害し、この地方での皇室に対する不信感を植え付けることも同時に行っているのです。

更に、日本軍の中枢で統制派が主導権を握り、日本が戦争へと至る切っ掛けとなったのが、226事件である。
桜会は、十月事件後に解散しているんですが、この解散にも大きな疑義が生じているのです。

この解散に、あれっと思った方はいい感性を持っていますね。
これは、官僚を牛耳る為に設立した新人会が解散したことと、ある意味同じで、既に最終局面に入った事を意味していると同時に、解散することで批判の火の粉が飛び散らない様に前もって解散したのです。
その証拠に、あの226事件後、統制派が日本軍の中枢に潜り込むことにまんまと成功したのです。
このことは、天皇陛下が後に、1936年の226事件を起した皇道派を憎み、この事件を軍部支配のために利用していった統制派を批判されていたことでも理解出来るでしょう。
つまり、陛下は226事件の本当の黒幕(仕掛け人)を認識していたです。

 では、その事を頭に置き解析していきましょう。
 同会に所属していた多くの統制派(共産主義者)将校が226事件勃発後、陸軍内で台頭していったのである。
つまり、226事件とは、共産主義者が日本軍の中枢で発言力を得る為の自作自演だったのです。
この事件後、従来の反ソ路線を廃して反英反中へと転換させたことも、ソ連の意図が関与した考えると関東軍が駐屯している戦略的意義を蔑ろにして、対ソから対中へと方針転換させた近衛内閣(朝食会や昭和会という知識人(共和国主義者)による政策意見交換の場を設け、日本国崩壊の謀議を繰り返していた)の意図が理解できるだろう。
それを裏付けるように、この政策の根拠となる決定が、1928年の第6回コミンテルン会議でスターリンが指示した「敗戦革命」なのです

敗戦革命とは、国軍同士(日本軍と国民党軍)を戦争に追い込み国家体制を弱体化させた後、共産革命を起こし共産圏を拡大させることをいう。

つまり、国民を戦争という大義名分により殺害し、且つ、尊皇派への国民の支持を軽薄化した後、革命を実行する事が敗戦革命と並行して実行されたのが、大東亜戦争なのです。
 

桜会は政党内閣を廃して軍事政権を樹立する国家改造構想を抱いていました。
これは、統制派のリーダーである陸軍省軍務課長の永田鉄山が1931年に書いた「皇政維新法案大綱」に繋がっているのです。
コミンテルンが描いたシナリオは、あくまでも戦争は天皇を元帥とする帝国主義、富国強兵の国策が至らしめたものであり、日本国政府はその動きを抑えきることが出来なかったと主張する為の軍人主体での戦争であるとする工作であって、国民は日本軍の被害者(左翼勢力はこの方針を悪用し、天皇陛下に戦争の責任を負わせ、反君が代、反日の丸に結び付けて、国体の解体を謀り、実行している)であるとする為のカモフラージュを行っているのです。
彼らは1930年9月にコミンテルンの指示で「桜会」を結成し、参謀本部や陸軍省の中佐以下の中堅将校100余名を巻き込み、その一部の共産主義者が主導した巧妙な茶番劇だったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このブログでの転載は長くなりますのでここまでですが是非全文をご覧になって下さい、http://risingsun555.blog.fc2.com/blog-entry-17.html 現在にもあてはまるなあ!と思われる内容があるわけです、


何故終戦当時、日本軍の事を占領国から軍国主義と言われた時に、何故そうだと日本人が感じたのか・・・、そこには日本人や軍が他国の為の考えで動かされていた事に、分からないのですが疑問や違和感を感じていたからではないでしょうか。



戦前の5.15や2.26事件に日本国内に入り込んだソ連のコミンテルンにより、レーニンの指導のごとくデフレ政策で国難を作ると言う戦争動員、軍の台頭誘導・天皇の無視化が進められていたわけなのですね


これがさきの民主党政権下ではソ連が中韓に代っていたのではないか、という事が伺い知られるわけなのです。


(本当の歴史を知る事は今日を知る事、相手を知る事にもなるのですね)

私としましては、現状は日本がアメリカに負け、TPPをはじめ対米従属政策などと日本の政治力や外交力の無さが指摘されています、


しかし事実は日本が戦争を仕掛けたのではなく、アメリカのアクション映画にもあります「はめられた」というべき事であり、そのアメリカも資本主義国同士を戦わすというレーニンの指導を実行するスターリンの策謀によって利用され、米対日が10対1位の軍事力の差があり日本陸軍などは絶対開戦は避けたいわけだったのが、なぜか北進が南進(太平洋)に変わり、本来戦前の日本はアメリカを攻撃するなんて思ってもいないわけですし,アメリカ国民も戦争するは気なかったわけですから全面戦争する様な決定的原因のない日米同士が、作られた疑心暗鬼によって太平洋に血を流し、憎しみ合い、アメリカはやってはいけない民間への爆撃や原爆投下をやって、その事がばれて大きな非難や反発が来るのを恐れ日本の占領時に徹底した日本が全て悪かった教育をし、中国や韓国が反日で日本に脅しをかけられる歴史環境を構築して今に至らせているわけです。

今アメリカは99%の国民が1%の人によって占領されていると言われていますが、その正体もこの嘘が発端になっています

日本の歴史を正す事はアメリカの国民の自由と権利を取り戻す事にもなるのではないかと感じられるわけなのです

それにしてもソ連のスターリン達の分からない様に真意をすり替え、日米を利用し、結局ヨーロッパの半分をソ連圏に、そして本来アメリカが一番欲しかった中国も共産化されて当時はソ連圏になっていたのですからアメリカもまんまとソ連に利用されていたとも言えるわけです。


(その様な指摘もアメリカでされています)

アメリカでは戦後数十年かけてソ連の暗号を解読してベノナ文章(ベノナファイル)を公開していますが、ここからルーズベルト大統領の周りに300人位のソ連のスパイがいたと言う事が分かっています

(日本軍の不可解な行動は何かの策謀が存在しているのではと感じていたのですが、やはり出てきました)


私達はこの様な戦後出て来ています公文書や当時の発禁にされた書物の再出版等の事実を踏まえて、これまでの戦前・戦中・戦後の再確認をする事が、今日の世界的な危機を回避し逆に大きな理解と平和を出現させる事ができるベースを得る事になるのではないかと申し上げたいわけなのです


関連ブログの紹介↓

軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/191/

尾崎秀実の手記を読めば共産主義者が軍部や右翼を自家薬篭中のものにした事がわかる
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/192/


はげみになりますので宜しくお願いいたします

ブログランキング・にほんブログ村へ
ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 政治ブログへ

にほんブログ村


関連サイト

日本経済の再生に不可欠なのは正しい歴史認識の再構築であり安部政権に期待!
http://ameblo.jp/matsui0816/entry-11443318536.html


ニコニコ記事一覧http://ameblo.jp/matsui0816/entrylist.html