あなたの学会活動って、何に生かされていますか?? | 元創価学園生が本音を語る「創価学会との正しい付き合い方」

元創価学園生が本音を語る「創価学会との正しい付き合い方」

創価学会での人間関係や、恋愛、活動の仕方など、悩んでいる人が多いと聞きます。私も、生まれてからずっと学会員でしたので、お気持ちがわかります。なにか少しでも、皆様の心が軽くなるお話をこのブログでしていきたいと思います。


気がつけば梅雨が明け、夏本番に突入した。


1年も折り返し地点を過ぎ、
時の早さに驚くばかり・・・


私が最近最も感じることは、
この世で一番貴重であり、価値のあるものって
「時間」だってこと。


この1分1秒はどんなに後悔しても
過ぎてしまったものは取り戻せない。

お金はなくなっても

また稼ぐことができるし、
物も壊れれば、直すか、また買うこともできる。


でもみな平等に与えられた1分1秒だけは、
一生に一回だけ。


20歳であっても30歳であっても、
その年齢で迎える一つ一つはすべてが最初で最後となる。



だからお金持ちは、常に時間の大切さを知っているから、
なるべく時間を少しでも確保できるような
「時短になるもの」に、お金を投下する。

 

だからこそ、
私たちも自分自身に与えられた24時間365日という時間を、
何のために使っていくかをしっかり考え、
的確に行動する必要があると思う。


いくらそこに時間があっても、
受け身でいては

ただただ時間に流されるだけで、
そこに主体性がなければ、
せっかく過ごした時間の中にも

「価値」さえ生まれない。


だから常に24時間あるなかで、
何を選択し、

何に時間を使っていくかで、
人生は大きく分かれてしまう。

私は正直今まで学会活動だけに

ほとんど時間を使っていた。

TVこそもともと見ないものの、
一般書を読んだり、
どこかに遊びに行くことも

あまりしなかった。

時間があれば、
会合、
お題目、
池田先生の書物を読む。

そして鼓笛隊をやっていたから、
土日は欠かさず鼓笛隊の練習に専念した。

このように、日々が学会づけだった私は、
ほとんどの青春を自ら犠牲にしてきたと思う。

でもいざ社会に出てみると、
完全に私と社会の間には大きな溝が存在した。

一般常識や社会のルール、
賢く、時には要領よくやりこなすこと、
お世辞やものの言い方、
当たり前に知っておくべき情報や知識、
ユーモアや笑いを入れながら話す会話力・・


挙げればきりがないが、
全然何もわかっていなかった。

これだけ学会のために

時間を投下してきたにも関わらず、
その分、
TVを見ない、
一般書も読まない、
人と遊びもしないなどの理由で、
外部の人と話すネタがなく、
本当にコミュニケーションができないことに、
悩み苦しんだ。

内部の中ではいくら頑張っていても、
一歩外に出れば、
その頑張りなんてなんにも通用しなかった。


どんなにお題目をあげていようと、
会合に100%出ていようと、
選挙活動を頑張っていようと、
それは自分が学会を自ら選び、
自主的に勝手にやっているだけであって、
まわりにはまったく関係のない話。

社会人として生きる以上、
(社会人として生きることを選択した以上)
社会人としてやるべきことも

しっかりやらなければいけない。
と見られるのが当たり前だった。


例えば、
仕事をする以上、
全世界で読まれているような

ビジネス書や物語、小説などは

読んでいて当たり前だし、
人と友好的な関係を作る以上は、
人にきちんと伝えられるような会話力や、
言葉の使い方を学ぶ必要もあるし、
時には、
いろんな人とお付き合いしていくためには、
遊びやスポーツだって

することも必要になるわけだ。


もしあなたが、
学会員だから学会のことを

100%やりきっていれば
それでいい!!というふうに
満足していては非常に危険である。


学会の人たちに勘違いしてほしくないのは、
学会の中でいくら活動を頑張っても、
一歩外を出て、
実際に社会の現場で

役に立つ人間にならなければ、
私はその活動すら、

何のためにやっているの?
と疑問を投げかけたくなってしまう。


学会員だからこそ、
知識、知恵もあって、
仕事もできて、
話し上手で、
遊び上手で、
この人といると、
本当に楽しくて離れたくなくなる!
と言われるような魅力的な人になってこそ、
本物だと思う。

学会でないところで、
いかに普段の学会活動の頑張りを発揮できるかだし、
どれだけ学会活動を頑張っていても、
本は読まない、
会話力は磨かない、
人付き合いを避ける、
遊ばない、
そして挙句の果てには仕事すらしない
という立場では、
何の影響力もないし、
普段の活動すら、
自ら価値のないものにしてしまっていると感じる。


何のためにわざわざ大事な時間を
学会のために使っているのだろうか。


そして社会人として生きる以上は、
社会で生き抜いていくために
当たり前に、

知っておかなくてはいけない事を勉強し、
時には遊びや旅行をして

経験を広げたりすることにも、
時間を投下する必要があると思う。

私は正直、
ここ2年ほど、
学会活動を少し押さえて、
その分、
ありとあらゆる書物を読み、
仕事術や会話術を勉強し、
世間で一流とよばれるような

場所やモノに触れるようにしていったことで、

とにかく社会人として、
大人として、
そして一人の確固たる女性として、
今確実に社会の現場で影響力を与えられるような
自分に変わることができてきたなと、

実感する日々である。


仕事も遊びも、宗教でさえも、
何を選ぶかは自由であり、
選ぶ以上は、人に影響力が与えられるような
「価値」をそこに生み出していけたら、
時間はすべて無駄にはならず、
「有意義に人生が送れた!!」
とあとで振り返った時に、

自分で自分を誇れることができるだろう。

結論としては、

平等に与えられたこの時間を

一体何に投下し、

それをどう価値を見出し生かしてていくのか、


そして与えて頂いたこの命を

何のために使っていくのか、


これが人生を生き抜くうえで、

大事なポイントではないだろうか。