傘寿の母 | まつ子の気まぐれ旅日記

まつ子の気まぐれ旅日記

家にはじっとして居られず、時間があれば旅に出ています
こんな私ですが宜しくお願い致します

*以前はグリーとyahooのサイトにて簡易ブログを記しておりました。
許容量オーバーとブログサイト閉鎖の為、こちらでお世話になります。

今回は80歳の母の話…

 

私は20代の頃までは勤務先が実家から通勤圏内ということもあり、実家住まい。

30代になると転職もあり、独立別居。その後、父の病と他界もあり休日には実家に戻る生活をしていました。

 

 
しかし、実家に戻る度に食パンが2~3斤あったり、卵のパックが複数あったりと「初期の認知症かな?」と思わせる兆候。当時の母は60代。

「何故、こんなに買い溜めているの?」と質問をしても『安かったから』『つい、うっかり』との返答。

その後は、通院等の予約時間を失念したり、法事などの場で親類に対し 今までにない、失言をしたりという言動が出始めました。

(若い頃から今でいうADHDかASDの兆候はあった様子ですが)

 

 

 

運転免許は取得していない母。免許更新等は無いので「認知症検査」を受診をする機会も無い。

「一度、認知症の検査を受けてみないか?」と問うと

『私には問題は無い』『もっと判断力の鈍い知人は居る』『私をそんな色眼鏡で見ていたのか』と激怒する。

そして、子供の様な癇癪(かんしゃく)行動。『一人で生きれるから 出ていけ』との叱責。

(「私には問題は無い」という心理。母は運転免許を取得していなかった事は、救いであったのかもしれません)

 

この10年は、母は半年に一度ほど半日掛かりで大きな病院へ検査通院をしている。

私のスケジュールとコロナ禍もあったので付き添わずに、病院に送り届け、診察後は連絡をもらい迎えに行く流れでした。

 

しかし、半年前。

『診察が終わったから迎えに来て』と連絡があり、出向くものの母の姿はない。

「精算が長引いているのかな?」と思いつつ、送迎ロータリー内は待機や逆走も出来ないので、病院の1.5キロ程の周回路を進み、時間つぶし。

周回路を2/3程進むと、歩く母の背中が。何故にここを歩いているのか?と問うと

『歩いて帰っていた。だって、この道を真っ直ぐでしょ?迎えに来て欲しい なんて頼んでいない』と語り、何故か病院の周りを歩いていた様子。

お互いに「何故、ここに居るの?」という目で見つめ合う。

 

 

「ここで、見つけられなければ、警察に捜索願い案件だよ!!」と指摘をすると

『もう、二度と歩かない』と反省をしている。

数日後に、病院のでの出来事を話題にしつつ、認知症検査の提案をすると以前の通り激怒。

その後は忘れない様にメモを取る事を心掛けているのですが、メモをしたことを忘れる現状。

「忙しいから、後で書く」等と理由を付けて何もしない現状。

 

 

あの日から半年。先日も検査で病院に送り届ける。

「付き添おうか?」と聞くと『大丈夫』との意思。

「歩いて帰ろうと思わないでね?家まで健脚でも3時間位は掛かるよ!?」と念を押すと

『そんなに掛かるはずが無い!!あなたは大袈裟すぎる!!』と笑われる。

ならばと、車で家を出た時と病院の到着の時計を見させ、車の距離メーターも確認をさせる。

「20分弱。10キロ強」これを見て納得したのか

『診察が終わったら連絡するね』『昼過ぎには終わると思うから昼食を採って帰ろう』と返答され別れる。

 

しかし、

13時…連絡無し。

15時…連絡無し。

17時…連絡が無いので「返信を欲しい」とメールを入れる。

17時半…返信無し。日没も近いので、通院先の受付に出向く。

看護師さんによると「お母さまは13~14時頃にはお帰りになったはず」とのこと。

 

 

17時40分…母から連絡。『今歩いている。だって、一旦帰って買い物に出て来たじゃないの!?』と逆にお叱りを受ける。

私は、「ずっと夕方まで家に居て、帰ってこないから、病院まで探しに来た。今は何処にいる?」伝えると

『○○駅近くの森のある公園で休んでいる』と返答。○○駅の近くには森も公園も無いはず。そもそも、病院の最寄りでも 実家の最寄りでも無い駅。

「違う場所では?公園名を教えて?」と確認を促すと

『その先に線路が見える』というので「線路の近くまで行ったら何が見えるか連絡してね」と電話を切る。しかし連絡なし。

(線路を目印の誘導…NGかもしれません。昨今の線路や高速道の誤進入による事故へと繋がる可能性も)

 

18時過ぎ…母に電話をすると『歩いているんだから、うるさい!! こっちに曲がれば××駅だから電車に乗って帰る』と切られる。

病院から○○駅や××駅までも歩いては行けない距離。そちらの方面への1本道を追いかけるも母の姿はあらず。両駅の構内も探すもおらず…

(いざとなれば警察に電話をする様にと伝えるも『そんな恥晒しは出来ない』と感情を逆撫でさせていた様子。警察は大まかな通報位置を把握出来たはずなのに…)

 

 

19時半…周囲の道沿いも探しつつ帰宅。すっかり暗くなり 捜索も困難なので、日付が変わる前に警察に捜索願を依頼かな?と思っていると

 

20時前…隣町の男性から「お母さまを保護しています」との連絡(先程の2駅とは別方向)

その男性は「ご住所を話されていますのでお送りしますよ」と好意を伝えて下さいましたが、申し訳ないので辞退。

しかし、男性のご自宅も少し判りづらい位置らしく、途中で合流をし保護していただいていた母を迎える。

 

お話を聞くと、電話をいただく少し前(19時頃)男性のお母様が散歩をされていると、草むらで何かの気配を感じたという。

「強盗か?獣か?」と恐怖になり、ご自宅に戻られ 息子様と共に草むらを確認しに来たそう。

すると、高齢者が現れ保護したという。息子様は母が持っていた携帯電話を預かり私に連絡をくださったとのこと。

 

 

翌朝には、この出来事を失念している様子の母

歩き疲れたのか『足腰が痛い。何故だろう?』と聞いてくるので、前日の様子を伝える(そりゃ5時間も歩けば…)

自己の認知・判断力の衰えを感じ取った様子。しかし…数時間後には同じ質問の繰り返し。

そして、自己嫌悪に対する癇癪行動。お前は出て行けのやり取り(質問に対して、オブラートに包んでの返答も不満がるし…)

以降、この数日間は同じやり取り。疲労骨折の可能性もあるのでレントゲン診察も考えるも『情けないから医者には行けない』と表情が変わる。

若い頃から「プライドが高いかな?」と思わせる性格の母。老若問わずに譲れない様子です。

 

後日、同院に検査結果を聞きに行く(こちらは異常無し)

同伴した際に医師に体の痛みの事を話すと、

別部門なのですがと前置きをされ「放置するのは良くは無い」と医師から軽く注意を受ける。その場では医師に対して『そうですよね〜。つい…。私としたことが』と返すものの、帰宅後は『レントゲンには行かない』『私が判断するから、命令しないで』とのこと。

 

埒が明かないので「週明けに改善されなければ病院へ…」とは伝えているもののどうなることやら…

強引に通院をさせて血圧上がって……とも考える私。どうしたら良いのでしょう?

(半年前の件もあるのに、母の意思に任せてしまった私に落ち度はありますが…)

 

もし、早期段階で認知症のカウンセリング等のケアを受けて居れば、現状は緩和を出来ていたのかもしれない。

しかし、受診は頑として拒否し続けた母。今の状態でカウンセリングやケアを受診をしても本人は理解できるのだろうか?

今回の件があって、自己の非は認めるものの認知症診断などを受診する気は無いらしい。

 

 

旅日記などで何となくお気づきかもしれませんが、転職とコロナ禍も重なり現在はフリーな私。

再就職も優先をしなくてはなりませんが、母の現状を考えると落ち着いて仕事の出来る大きな器の無い私です。

そして預貯金を切り崩し、実家を拠点に 不定期ながら自己のガス抜きを兼ねて旅に出ていました。

介護認定を受けて、デイサービスなどの手助けもあれば、私の気持ちもプラスになるのでしょうが、難しいところです。

 

本来はブログに記す予定ではありませんでしたが、母はこの出来事を紙に残したいと語ったものの『面倒くさいから まとめて欲しい』と依頼もありましたので時系列順に記しました。
母にとっても辛い内容になってしまったのでしょうが、自己の言動を考えるきっかけになった様子です。
今後は旅に出れる機会は減りそうな様子ですが、我が家の現状報告でした。
もし、ご家庭内で介護をされていましたら、情報の共有になればと思います。

 

今回、母を保護していただいたご家族の皆様。

時間外に母の院内での診察履歴をお調べいただいた病院関係者様。改めまして感謝を申し上げます。ご迷惑をお掛け致しました。

 

ブログを閲覧いただいた皆様。愚痴って申し訳ありませんでした。最後まで閲覧をいただきありがとうございました。