参政党とはファンダムである…世界最先端の新しい民主政治のプラットフォーム…藤和彦氏との対談 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

 4・13の池袋公園に続き5・31の日比谷公園のデモも…全国から普通の一般国民が日本のためにと自然と立ち上がって集結した画期的な現象でしたが、報道はなく、メディアは全く無視。似たようなことがみられたのが一昨年の参院選に向けた「参政党現象」でした。

 日頃から私のチャンネルに出て頂いている経済産業省の藤和彦氏から過日、「実験の民主主義」という某東大教授の著書(中公新書)で参政党に言及されていると聞き、そもそもこの党は、世界全体の社会的、歴史的な流れの中でどう位置付けられるものなのか、一度、きちんとした議論をする必要があると考えました。

 そこで過日、藤氏とともに、各国の民主主義でいま何が起きているのかにも触れながら、参政党を国政進出するに至らしめた新たな政治の潮流について対談番組を配信しました。

まず、表舞台での政治の潮流として、インテリが多いとされる「リベラル」が不寛容になっているというのは興味深い論点だったかもしれません。世界中で大卒が増えたが、社会には彼らの知的レベルにふさわしい職や処遇が不十分、それが潜在的な不満となって、リベラル勢力が支配する主要メディアとともに、愛国心を掲げるごく中道の勢力を「極右」、「ポピュリズム」として叩きまくる…。

トランプが不倫相手の口止め料問題で、リベラルな州であるNY州での陪審員裁判で有罪とされましたが、前代未聞のトランプ叩きが続いている一因には、このこともあるのか…?参政党も主要メディアからは、カルトだのオーガニックだのとレッテルを貼られるか、無視され続けるかですが、それでも日本のためにと草の根の活動を、全国の心ある党員たちが続けています。

 実は、いま世界では「ファンダム」という現象が広がっているそうです。これは活動形態としては一種の「推し活」(アイドルやキャラクターなど自分の「推し」を応援する活動とされています)で、そうしたファンたちが自ら主体的に活動し価値を創出していくプラットフォームとして参政党を捉えられるのではないか…。

ただ、参政党の場合は特定のカリスマ人物ではなく、そこで活動する人々が日本という国、あるいはその理念の「ファン」であるという点で、ファンダムより先を行く、世界でも最先端の政治現象だと、藤氏は捉えています。

 そうであるからこそ、政治とはカネや利権であるという固定観念から抜けきれないジャーナリズムには、この現象を理解できるだけの能力が未だになく、カネや利権でないのであれば新興宗教かカルトのようなものだとしてしか捉えられないでいると、藤氏は分析しています。

これは、そんなメディア報道に深く影響されてきた日本の世間一般にもあてはまることかもしれません。つまり、新しい時代を先取りする現象であるために、これまでの多くの人々の頭の中に位置づけがない…これが、参政党叩きや無理解として表出している可能性があります。

国民を主体とする政治の実現に向けて、日本の民主主義にとっては画期的な出来事として、ジャーナリズムにとっては「特ダネ」のはずなのですが…。

この参政党の意義が正しく社会の中で位置づけを得るためには、自ら決してカリスマ集権的な組織になることなく、当初の分権的な姿を地道に発展させ、国政選挙で議席を伸ばしてその存在や意味が国民に広く浸透するようにしてほしい…これが藤氏からの要望でした。

参政党の党勢拡大それ自体が日本の民主主義が次の時代を拓く上で大きく貢献する。そんな思いで引き続き微力を尽くしていく所存です。

 

◆「混迷する時代の民主主義の新しい潮流を考える!」ゲスト:経済産業研究所主席研究員 藤 和彦氏

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政治を動かす原理が、これまでの利害から価値観へと変わりつつある。利害調整は足して2で割れるが、価値観だと分断とか衝突に。個々の組織の団結力が大事になってくる。

欧州では「極右」政党が台頭しているが、極右と言っても、そもそも右左の座標軸がずれている。今の政治はリベラル中心だからだ。真っ当な中道が極右になっている。

政治のリベラル化が進んできた原因は、世界で大卒者が増えていること。自分たちに見合った職にありつけないルサンチマン。気に入らないと思った相手に対するバッシングが強まる。自分たちはこんなにインテリなのに、世の中が報いてくれないはみ出し者に辛く当たる。不寛容に。

自国が大事だと言うと許せない。民族差別主義者だと。昔のリベラルとは違う。

 

「ドイツのための選択肢」AfD、ドイツ政府がことさらAfD狩りをしている。危うさを感じる。米国ではトランプに対して露骨だ。トランプ支持者はトランプが大統領になったからと言って自分たちが豊かになると思っておらず、エリートから虐げられた負け組のコミュニティとして、トランプ氏を支持している。エリートが注文をつけるのが許せない、トランプが出てきたら俺たちも発言できる。宗教的カタルシスに。

 

そうした分断が起きている一方で、若い世代はどうかといえば、米国と日本ではかなり違う。米国のZ世代、イスラエル・パレスチナで彼らがなぜ、あれだけパレスチナを?彼らは自分たちも世の中の不条理に苦しめられていると感じている。

 

しかし、日本は少子化が進み、若い人たちは様子見をしている。なぜなら若い世代はもはやマイノリティになったから。恐竜全盛期における哺乳類のような存在に。日本では今の社会のマジョリティは高齢者。マジョリティが世の中を変えると。

逆にいえば、高齢者自らが世の中を変えないと、日本は変わらない。若者は完璧なマイノリティ。人類史上稀な逆ピラミッドの日本ではそう。少し違う軸があったほうがいい。

 

年配者が自分たちの経験を政治にぶつけていくというのはあり得る。「実験の民主主義」によれば、米国のプラグマティズムは見ず知らずの人をまとめていくテクニックだし、若い人にはそのスキルがないが、高齢者の方が組織化のスキルがある。そこから始めないと、何とかの遠吠えで終わる。

点を線に面へと拡大していくプラグマティズム的なノウハウが必要。プラットフォームが必要。SNSのようなものも、人々の思いを潮流にしていける。

 

政治の原点は英国の社交クラブとされるが、英国の政党は元々そこからだった。ファンの集い。日本の場合、芸能人などの「押し活」。昔のコーヒークラブ。プラットフォームがあればいい。

米国では、最初の連邦政府は当時の英国の植民地の人たちの風習、共通の価値観があるからまとまった。ただ、連邦政府は難しい政治形態で、今は危機になっている。日本は皇室という存在。政治はおかみ、日本ではそれが草の根民主主義を邪魔したが、人々を糾合するにはいい制度。自分たちで立ち上がってというのは、日本国民は不得意か。

ファンダム。ファンの王国のこと。自然発生的にクリエーティブな活動。参政党に似ている。しかし、参政党の方が先を行っている。ファンダム事態は理念ではなく、特定の政治家でファンとしてつながっているもの。参政党は、ある人の「押し活」ではなく、政治参加したい、日本を守りたいという思いで人々が集っている組織。

 

参政党は年齢層的には、イメージ的に若い人と取られるし、ネットで伸びたのはそうだが、各支部の活動はリタイアされた高齢者が陰で支えている。自分の想いや経験を政治に反映したい。

参政党を支えるのが子育ての終わった、少し高齢の主婦の方。日本の政治はコメ騒動から始まって、主婦が変えていく。それをアピールできないのが惜しいところ。オーガニックとか、そういうイメージだけが残っている。

高齢者が集まっているということに魅力を感じる。これまでの政治運動は立法権が中心。今の政治の問題は行政。それがブラックボックスになっていることが問題。

2001年のテロとの闘いで連邦政府が大きくなった。プライバシーも侵害。そんな行政権の所に一般の人の想いが入ることが重要。いま基礎自治体が7万人以上の人口の面倒を見ているが、これは不可能。

高齢化が進むのは、介護がそうだが、おカネでは解決しない。どうやって暖かい関係を?その一番のプレーヤーは主婦の方。次の日本社会の在り方にも繋がる現象。介護を行政任せにしていては、日本は破綻する。

人口当たり認知症は日本は多い。孤立しているのが一つの原因。高齢化の差し迫った最大の問題がこれ。死ねない社会でもある。一人平均10年も、人様の助けが必要。その人たちの生活をどうするか。そこをプラグマティズムでまとめていかないと。

日本の民主主義は談合。みんなで支え合う。これは次の社会の大きなテーマ。参政党が行政に対して、これだけのものを活かしていくべきだ。理念もそうだが、ムーブメントと仕組みが日本に浸透する必要。

参政党がこれだけ成長したのは奇跡だ。ゆえにメディアは分からない。政治の動員力はおカネという認識だからだ。カネではないのに動員と言うのはウソだろうと。説明できない、だから何かバックがあると。

今までのコンセプトでしか現象を見ない。最初の日本の衆議院選挙でも立候補者は篤志家が多かったので、みんなにカネを配った。おカネで票を買う文化が染みついた。それを融通無碍にやってきたのが自民党。

志で動くなんて?となり、新興宗教?となる。それぐらいレベルを落とさないと、政治評論家には理解できないでしょう。特ダネのはずなのに報道されない。デスクレベルがダメなのだろう。現場で意気に感じても。論より証拠でもっと強くなっていただいて、人々の認識を変えていただくしかない。

世の中が変わって初めて思想が変わる、参政党のことを知らない人が多いので。

自分たちが主役のプラットフォームが短期間で実現しつつある。あまりに速い。だから周りが戸惑い、うさん臭く見えてしまう。

 

世界のポピュリズムは個人のリーダーに対する宗教的な帰依で成り立っているので危ういが、参政党は特段の押し活ではなく、自分たちでというプラットフォームが求心力を持ち始めているのは、民主主義が生まれた過去の欧米であったことかもしれない。

社交クラブ…自由民権運動が100年ぶりにアップデートされた形か。ナショナリズムではなく愛国心は健全、愛国心愛郷心。ある人のカリスマと直結しているのではなく、欧州のように、リーダーへの集権ではなく、分権的な姿を続けてほしい。

かなり可能性がある。暴走化しにくい仕組みだ。日本は皇室もそうだが、そういう仕組みの中で民意の発揚、変な意味でのポピュリズムにならない。

カオスがあってコスモスができる。変なカリスマで参政党は暴走しないと思うので。ただ。ジャーナリズムが追い付いていけないので、論より証拠で党勢を拡大して頂くのが大事。