日本にもう一度、「もはや戦後ではない」を~西村幸祐氏との対談 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

「もはや戦後ではない」…かつて昭和31年の経済白書がこう宣言した時の日本国民には高揚感があったと思います。戦前~戦中~戦後と連続した体験を日本人にとって「戦争には敗けたが経済では敗けない」。

しかし、その後、「戦後は戦前とは違う」と思う国民が大勢となる中で、この「もはや戦後ではない」は忘れられ、「戦後」は78年にわたり未だに日本国民の精神の中で続いている。それが日本に「永久占領状態」をもたらしている。

もう一度、この言葉を…ところが、これに向けた安倍氏の挑戦は潰され、岸田氏は日本を戦後レジームへと逆戻りさせている。

西村幸祐氏が「戦後」について、松田政策研究所CHでの対談で、大変深い洞察に満ちた発言をしてくれました。

その冒頭で、「近く『安倍晋三黙示録』を出版する。黙示録は世界の終末を描いている」と述べた西村氏との今回の対談は、「戦後」という概念を論じることから始まりました。

以下、1時間にわたる本番組をご覧いただくか、後記の西村氏の発言内容をお読みいただければ幸いです。

 

◆『西村幸祐氏と語る!78回目の終戦記念日を前に安倍元総理亡き”日本”を考える!』ゲスト:批評家 西村幸祐氏

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●「もはや戦後ではない」で高揚した日本人と、今でも「戦後」の日本人

西村氏によると…普通、世界どの国でも『戦後』という言葉を使うのは、戦争が終わったあとの期間だ。戦後の混乱が終わったあとは戦後ではなくなる。なのに、日本の場合は8月15日になると、「戦後何年」と言い続けられている。

それ自体に色々な意味がある。日本人の一般感情としても『戦後何年』。公式見解では昭和31年に『もはや戦後ではない』。その経済白書を書いた経済企画庁のような、そういう国家戦略を打ち出す機関が今はない。当時は下村治がリードしていた。独立国家として立ち上がった頃であり、この言葉は違和感なく受け止められたし、高揚感もあった。

なぜなら、当時は誰もが戦前戦中を知っていたからだ。大東亜戦争を戦った生き残りの人たちが全員、官僚や企業経営者、働き手、学生たちとして、戦争を知っている人たちだった。だから、リアリティをもって『戦後は終わった』との言葉が脚光を浴びた。

その後、昭和34年に5年後の東京五輪が決まった。当時の大人たちのことを想えば、その前に昭和15年の紀元2600年に、アジア初の五輪が東京で開催されることが決まったということがあった。当時は、日本の国力がピークだった。それが、シナ事変に続き、欧米との関係が怪しくなったことで中止になった。欧州では第二次世界大戦、ナチスのポーランド侵攻も始まっていたという危急の事態で返上した。

当時のプロジェクトで日本国有鉄道が『弾丸列車構想』を進めていた。新丹奈トンネルを昭和10年代に造っていた。新幹線プロジェクトがあった。玄界灘をくぐって朝鮮半島に行って満鉄につながり、欧州まで弾丸列車で行ける構想だった。戦争がなければそうなっていただろう。昭和15年当時の日本は、そういう大きな国家プロジェクトに自らを重ね合わせて生きていた人が多かった。それも戦争で中断された。

戦後、『もはや戦後でない』との言葉のあとに五輪の誘致が決まった。東京五輪の年には新幹線が開通。当時の日本人が何を考えてひたすら復興と経済成長に励んだか。それは戦争には敗けたけれど、我々は今度は経済では負けないぞ、と。戦争で亡くなった人たちがみんな身近な人たちだった。その人たちと共通体験を持っている人たちが敗戦後、必死に日本を立て直した。そういうものが歴史である。

 

●「戦後何年」それ自体が戦後レジーム…同じ戦後19年でも濃密さが全く違う今の19年

本当の歴史はあり得ない。その時を体験していないと歴史を知ることはできない。全て二次情報になってしまう。その時点での解釈で過去を見ざるを得ない。クローチェが『あらゆる歴史は現代史である』とした通りだ。当時の人たちにとって19年前に終わった戦争は身近なものだった。2023年の我々が19年前を考えると、決して長くない。

戦前を生きていた人たち、戦後復興をした日本人たちが行った営為や存在そのものの濃密さと比べると、今の我々は軽すぎる。19年前とは2004年だが、北朝鮮が拉致を認めて謝罪し、5人を返したのが2002年、あれから21年だ。濃密な時間をずっと生きていた人たちと比べると、北朝鮮による拉致がわかって21年の間、何も変わっていない。失われた30年と言うが、30年も失うと何もなくなってしまう。そういう局面に日本は立たされている。

安倍晋三の死は、そういう日本の状況を身をもって我々に残してくれた。日本の終末論でもあるし、予言の書でもある。安倍の黙示録になってしまう。普通の国なら、経済白書が戦後でないと言ったとたんに戦後ではなくなる。しかし日本では、なぜか終わらない。それが戦後レジームだ。戦後何年とメディアが言うこと自体が戦後レジーム。いずれ戦後100年、200年になるのか。

敗戦のあと、日本はいつになると立ち直れるのか?という質問が出たとき、昭和天皇が百年はかかるだろうとおっしゃったらしい。78年をみると、それが当たりそうだ。軍事占領と同じ状態が今も続いている。

 

●戦前と戦後は違うと思うこと自体がプロパガンダ~戦後レジームに回帰する岸田政権~

先日の埼玉県知事選挙にはあきれた。知事に大野氏が再選されたが、投票率20%強で、民主主義が機能しておらず、大野氏は自民と立民の支援を受けていた。それなら投票率が5%になってもよかった。意味のない選挙で、今の岸田政権を見ているとそれもありか。

あれこそ戦後レジームだ。第一次安倍政権のとき安倍氏は戦後レジームからの脱却を掲げたが、それにものすごい反発と攻撃があった。戦後レジームを終わらせたくない勢力からの反発だった。それは結局、今の自公政権と立民(と社民党)、それが戦後レジームをつくっていた。戦後体制そのものを支えていたのが55年体制であり、自民党と社会党という対立軸がお互いにもたれあい、今のままで続けていこう。それを崩そうとする政治勢力は潰される。安倍元総理もそうだった。新しく歴史を進めようとする人たちが消される。

それが現状だということを私たちは確認しなければならない。8月15日をどうとらえるか。60歳以下の人たちは戦前と戦後は違うと思っている。それも戦後レジームであり、米国のプロパガンダだ。戦前は民主主義が出来なかったと。米国が日本の悪い部分を取り除いて民主国家にしたと。『戦後』という空間から脱するということを想像すらできず、思考停止している。それが日本永久占領だ。

未だに米国の基地があるが、『原爆を二回も落とされて、その軍隊をよく駐留させてますね』とインドの人から言われた。それをなんとも思わない空気が醸成されてきた。これが前提となっていて抜けられないのが永久占領だ。

ここから、米国に反発されないようにうまく抜け出そうとしていたのが安倍氏だったが、今の岸田政権は全く逆で、対米従属をどんどん深めている。防衛三文書の改訂、国防費二倍、スローガンは良いが、実際はよくない。二倍と言っても、5年後のことで、他の予算も入っていて、上げ底だ。それに気づいた人が結構いて、自民党から離れている。参政党という注目されねばならない日本の政治勢力の代表として、一番よくわかると思う。

私は自民党員ですが、参政党を支持しますという人たちはまともな人たちだ。岸田氏は戦後レジームに引き戻す人であり、やっていることは立民や日本共産党と同じだ。LGBT法が極め付きだった。日本が創る必要のない法律を作ったのは何なのか。

 

●本当にそうなってしまった、三島由紀夫が喝破した「無機的でからっぽな」国に

9月に出る本の帯に三島由紀夫の言葉を載せた。1975年7月7日に産経に寄稿したエッセイ。『このままいったら日本はなくなって、その代わりに無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない経済大国が極東の一角に残るだけだろう。』、『それでもいいと思っている人と私は口をきく気にもなれない』と。

安倍さんはそういうものから脱却して、もう一度日本人が世界の一員として世界に貢献できる国家、そういうことを国民が自覚する国を目指した。三島はやはり天才でわかっていた。ある経済的大国が極東の一角にとしていたが、それすら今はない。日本人は8月15日をめぐって、この78年間、何をしてきたのかに思いをはせるべきだろう。

戦後復興と東京五輪を成功させた人たちは、戦争を戦ったことと同じ時空でつながっていたからできた。しかし、プロパガンダで戦前と戦後の日本は違うと思っている人たちにはわからないことだ。明治維新から敗戦まで77年、そこから去年までが77年。敗戦の前の77年に日本人が行った行動や思索と、その後の77年を見るとあまりに劣化。戦後プロパガンダに流された人たちは、戦前の77年の日本がいかにすごかったかがわからない。

第一次大戦後のパリ講和会議で人種差別撤廃を日本が世界で初めて提唱したことを言うと、びっくりする人たちが多い。日本がやったことが全部削除されている。これは知識として持たないと、永久占領は千年続くだろう。

エマニュエル大使が杉原千畝について、ユダヤ人を救ったとその偉業をたたえたが、間違いだ。それで世界から称賛された唯一の日本人だとしたからだ。ゴールデンブックにも載っている樋口季一郎中将は少将時代に、関東軍で杉原千畝がビザを発行する二年前に、多くのユダヤ人を救っていることが欠落。

それを支えたのは総理になる前の東条英機だった。東京はドイツとの関係で微妙なのに、東条はやらせた。その東条を戦犯として処刑したのは米国だ。当時の日本軍人が普通に考えることをやっただけ。満州国自体が五族共和の理念で創られた。

●プロパガンダだらけのNHK番組をおかしいと思わなければ「戦後」は終わらない

NHKもプロパガンダだらけだ。クローズアップ現代で、女子のワールドカップでLGBTを持ち上げて…。NHKという組織そのものが、占領中にその前からあった日本放送協会を新たに作り直したもので、これは日本へのプロパガンダの為の占領政策だった。昭和21年の年末から始めた番組では、仏印への進駐は間違いだとか、シナ事変では残虐なことが行われたとか、米国の歴史観、あの戦争の真相はこうだと。

当時、投書が殺到し、ふざけるなということでやめた。別のやんわりした番組に変えた。視聴者はみんな当事者だった。そういう体質のNHKだ。今は誰も知らないから平気でプロパガンダをやる。NHKスペシャルでは学術会議で拒否された歴史学者が解説していた。

ドイツがいよいよ包囲、占領され、負ける最後の頃、NHKテレビ番組で昭和天皇役をしていた役者が非常にショックを受けるシーンを演じていた。ナレーションの解説では、日本もこれで敗戦すると占領される、それで天皇制がどうなるかわからないから震え上がったと。ひどすぎる。

天皇が侍従の前で吐しゃしたという事実はあるが、その理由は、普通に考えれば2600年占領を受けてこなかった国が占領されて多くの国民が犠牲になることの責任を自分で甘受するということだった。玉音放送にも書いてあった通り、『過去の天皇にどれだけ詫びたらいいのか』と。そうした歴史事実を無視して、おかしな解釈を平気で流す。それが今のNHKであり、それを見ておかしいと思わない日本人が多いとすれば、戦後は終わらない。

 

●戦後レジームから脱しなければいよいよ日本がなくなる局面に

これでは、崩壊する米国の属国になるだけだ。民主主義は米国にはなくなっている。日本の敗戦で米国は民主主義を教えたなど冗談じゃない。中国共産党がいちばん喜んでいる。米国の民主主義は独りよがりだ、我々の民主主義を認めろと。そういう局面に米国がなっている。トランプは立候補できなくなるかもしれない。

エルドリッジ氏が『下手したら何年かのうちに米国は内戦になる』と。米国籍を持つ人がそう言っている。その状況が日本に全く伝わってこない。トランプが起訴された、不正選挙は根拠がないと日本のメディアはそれしか書かない。バイデンが勝てるわけがなかった選挙だった。今度も大統領に当選しないはずのバイデンが立候補。

支持率ではケネディ、一位が彼、二位がトランプ、ずっと下がバイデン。失政、失策のオンバードだから当然だ。そもそも民主党は不正でしか勝てないとエルドリッジ氏が言っていた。メディアの情報操作が多い。普通なら政権はひっくり返るはずだが…。

そういう米国の状況のもと、日本は独立国家としてどうするかを考えるべき時期だ。ずっと頼ってきた米国が民主国家ではなく、中国が巨大に。日本は自分で自分のことを考えねばならないはずだ。米国の親日家は、それを最も心配している。かつては日本の武力強化は米国のためでもあると考えていたが、最近は本当に日本のことを心配している。

自分たちを自分たちで守れるための武力と国民のコンセンサスがなくなると、日本はなくなると、本気で心配している。それに手を貸しているのがまさに岸田政権だ。

戦後レジームから脱しないと本当に日本はダメになる。ぎりぎりのところに来ている。日本発の世界観が本当に問われている。『世界史的立場と日本』、京都学派の識者たちの座談会を、いま振り返るべきだ。参政党でも勉強会をしてほしい。そういう自覚を促す参政党は時代の要請である。

自民党の役割はとうに終わっていたが、最後に立て直そうとしたのが安倍氏だった。岸信介が祖父だからできた。彼も安保改定で少しでも自立に近づけようとした。そういう日本がますますなくなる。安倍氏が亡くなったことをもう一度、歴史の中に位置づけることが日本人に問われている。世界中の人たちはわかっている。

ポンペイオ元国務長官の回顧録では安倍さんへの言及だらけだ。自由で開かれたインド太平洋は今や世界の常識だ。歴史を捉えなおし、78年前は何だったかを考え、そこから初めて本当の反省が生まれることになる。