TPPの正体と日本の医療~世界にソリューションを示す国としての自覚と矜持を~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

‐目指すべきは世界のソリューションセンター、ニッポン

今回の東日本大震災を経て、私は、日本が人類史上、特別の使命を帯びた国として運命づけられているのではないかとの思いを強め、「日本新秩序」を提唱しています。直面する様々な課題に対し、日本独自のやり方で答を出していく営みが新たな日本を創る。それは、「日本らしい日本」の再定義の上に立って、アングロサクソン秩序を超える、そして中国秩序でもない、「世界新秩序」の形成に向かう創造的ニッポンへの国家のバージョンアップになるのではないかとすら考えています。

 日本の勝負は今後の10年で決まります。10年後はちょうど、戦後日本の各時代のスタイルをつくってきた団塊の世代が、「後期高齢者」(75歳以上)の世代に入り始める直前に当たります。彼らが65歳となり、「生産年齢人口」から抜けて高齢世代入りを始めるのが2012年、ここで高齢者への社会保障は年金給付が膨らむ時期に入ります。それが10年後の2022年からは、今度は医療や介護がますます膨らむ時期に入ることになります。それまでの10年間の日本の課題は、団塊の世代を中心に増大する、まだ元気で意欲のある高齢者が、いかに「イキイキ人生」を謳歌できるようにするかにあると思います。

だからこそ、世界の「課題先進国」となった日本が、世界に先駆けて日本が直面する人類共通課題の代表格である「活力ある超高齢化社会の運営」という課題に対してソリューションとなるモデルを構築することが、日本の次の国家目標とすべきテーマになります。10年後に日本が老衰する「仙人国家」にならないよう、戦後の日本を築き上げ、暗黙知に満ち満ちた団塊の世代を中心に、元気な高齢者を活力に満ちた世代にすることで、アジアや世界に価値をプロデュースするプラットフォーム、ニッポンを築くこと、個人金融資産の大半を保有する高齢世代に「活動し生産し消費し投資する高齢者たちの物語」を生み出していくこと、これが今後10年間の日本の課題だと思います。

そうした動きを引き出すためにも、日本が様々な分野における人類共通課題について「世界のソリューションセンター・ニッポン」となることを国家アイデンティティーとする。それが「経済成長革命」を起こし、国際社会における新たな存在を築く。そこに「日本新秩序」が形成され、世界に自然と伝播することで、単線的な進歩概念を軸とする西洋文明とは異なる、循環型で持続可能性を旨とする世界新秩序の形成につながることが、人類社会にソリューションと新たな地平を生み出す。これが日本の道ではないかと考えています。

-農業で必要なのは10年後の日本の農業を組み立てること

10年といえば、最近の日本の国論を二分するTPPの中でも最大の政治問題になった農業について、農業保護関税の撤廃の猶予期間とされているのも10年です。真の食料安全保障を確保するためには、現状では衰退しか待っていない日本農業の問題を解決し、新たな地平を農業に生み出していなければなりません。それはそもそもTPPへの参加の如何を問わず、日本自ら答を出さねばならない課題です。

この賛否両論渦巻くTPP問題については、10年後の日本を考える上でもしっかりと論点を整理しておく必要がありますが、どうも世の中の議論は、TPP参加に賛成か反対かの二項対立の罠に陥ってきたようにみえます。議論すべき論点はもっと本質的な国家のあり方にこそあり、TPP参加の是非は、日本が主体的な自立国家としての矜持を持つかどうかによって結論は異なってきます。少なくとも、日本が国際社会の中でどのような存在を築くかという戦略的なビジョンを前提にした議論は少なかったようです。まず必要なのは、人口減少、超高齢化社会を迎える日本が、どのような国家を目指すことで繁栄と安全保障を確保するのかという議論ではないでしょうか。

TPPは米国の国益実現の手段であって、日本は騙されてはならないという反対派の論法は決して否定しません。しかし、それは交渉の結果、日本が国益を失ってはならないということであって、本来、交渉参加の是非とは別問題のはずです。例えば、一定レベルの食料安全保障は主権国家として当然の前提であり、その基礎部分まで損わねばならないTPPになるのであれば、TPP脱退の選択肢しかないことになります。

恐らく、農業で日本が脱退に至ることはないでしょう。現状の高関税という国境での規制方式は、農業保護の手段の一つに過ぎません。それは、いずれ、欧米諸国が既にそうなっているように、財政方式による農業保護へと転換しなければならないものでした。国境は自由にするが、それによって農産品価格が低下する分は、その価格差を財政で補填する。これまで農業保護のコストは高い食品を購入する消費者が負担してきましが、それを納税者の負担へと変えるわけです。EUの多くの国々では、こうした農業保護方式の一方で、生活必需品としての食料品は付加価値税(消費税)を非課税か低税率にすることで、税負担の逆進性を緩和しています。それによって、自由貿易と農業保護と社会政策の3つの政策目的が同時に実現されることになります。

農業についていえば、TPPへの参加は、税負担によって、コメなど現状の高関税品目の価格を下げつつ、規模拡大へのインセンティブを講じて生産性を上げることに、農業振興の答が見出せます。品質競争力の強い日本の農産品であれば、10年かけて、減反政策などを見直しながら生産性を高める様々な努力によって、この財政負担も小さくしていくことができるでしょう。重要なのは、10年後の農業・農村の理想の姿を描くことです。その着地点に向けたロードマップとTPPへの参加は必ずしも矛盾しないはずです。

戦後農業の最大の問題は「経営」の欠如にあり、かつて日本の農村には経営者がいました。江戸時代がそうでした。「百姓」が農村の自営業者として、綿工業や茶、桑など各種の農産加工品の製造や流通業など様々な事業を営み、耕作はその基盤となっていました。それは明治にも引き継がれ、全国に篤農家が多数存在し、地主や農家は酒造や金融など多様な事業を営み、農業は孤立した産業ではありませんでした。しかし、農地改革や農地法などの戦後改革、食糧管理制度や農協などの社会主義的システムによって経営者が農村から消え、日本の地域経済は構造的に脆弱化しました。

10年後の日本農業の絵姿のヒントがここにあります。農業が知識産業、情報産業、サービス産業、輸出産業にもなっている現在の欧州の事例に鑑みれば、「経営」という視点から21世紀型の新しい日本農村の姿の創出を展望できるはずです。

‐敗北主義を克服して真の自立国家を目指す契機に

10年後の将来像と、その実現に向けた戦略から、目前の個別政策への対応を考えるべきです。それは医療も含め、農業以外の他の分野にも共通だと思います。TPPを巡る今の議論は順序が逆さまになっています。もし、日本が世界に対して超高齢化社会のモデルを先駆的に構築しようとするならば、経済成長のために単純労働者を大量に外国から受け入れることはその答になりません。今後21世紀において世界中で高齢化が進展する中で、人口構成が極端にアンバランスになっても、それでも自分たちだけで活力ある社会を運営できることを日本が示してこそ、他国にとってのモデルになります。

単純労働者の受け入れはTPPのアジェンダには挙がっていませんが、こうした超高齢化社会のモデル創りを日本の道として合意形成しておけば、それと抵触する要求は断固として拒否する立派な大義名分ができることになります。米国が準備しているとされるISDS(投資家対国家紛争解決)もそうです。それはWTOでもOECDなどでも、米国資本の論理の不当な支配を避けるべく各国が拒否してきたものです。日本にはその力もないのでしょうか。米国以外は中小国のみというTPPの現在の構成国メンバーをみても、日本が加わらないTPPはローカルな存在にとどまります。米国の世界戦略のためにも日本の参加は重要です。それは日本に交渉上の一定のポジションを与えるはずです。

逃げの姿勢を続ける日本に、将来はありません。TPP反対論者の一つ一つの論点には説得力がありますが、そこには、日本の戦略性や構想力の欠如を追認した、弱い国家ニッポンという悲観的想定があります。判断の分かれ目は、その点です。奇妙なのは、国家としての矜持を説くはずの「保守」の立場の多くの人々までもがTPPに反対していることです。筆者も官庁勤務時には国際交渉に関わったことがありますが、米国の要求に中にも、日本にとって良いものがあり、それをなぜ、日本自ら主体的に実現できないのかとの思いを抱いたことが何度もありました。ガイアツではなく、日本のやり方で自ら国益を実現できる国であれば、敗北主義がここまで蔓延せずとも済んだでしょう。

‐国際社会での存在構築のチャンスに

しかし、それ以上に、TPPへの参加とは、未来の国際スタンダード形成に日本が参画することを意味します。日米という二大国が決める自由と繁栄のルールの巨大な構築物は、それ自体、世界に大きな影響を与え、未参加の多くの国々を、それに参加しないことで失う国益との比較衡量のもとに、そこに引き込んでいく流れを生むでしょう。それは、戦後のIMFGATT(WTO)体制に代わる世界秩序へと結実することになるかも知れません。TPPでの交渉の過程で、参加各国は自国の国益とグローバリゼーションとの両立に向けてギリギリの努力を行い、各分野でソリューションを見出していくでしょうい。それが世界各国のモデルになります。そこに日本型のソリューションを反映するチャンスがあります。

もし日本が「日本新秩序」に向けて歩み出す国を目指すならば、TPPに未参加のままでは、将来、日本とは無関係のところで出来上がった秩序を押し付けられることで失う国益のほうが大きいと考えるべきでしょう。現状の農業vs輸出製造業という利益対立を超え、国家戦略の次元で議論を行う必要があります。

日本としてむしろ懸念しなければならないのは、今のままでは、これから日本が自国の繁栄の基盤とすべきアジア太平洋地域に、中国が主宰する秩序が形成され、そこに日本が組み込まれることです。人口大国・中国とて、グローバル社会との共存にしか生きる道はありません。日米でグローバル秩序を構築してしまえば、知的財産の問題にせよ、投資利益の保護にせよ、中国もそこでできたルールと秩序に従わざるを得なくなります。中国の脅威を説き、日米同盟を尊重する「保守」の人々が、反TPPに与するのは不思議です。

中国にとっても、例えば同国が歓迎した鳩山政権の「東アジア共同体」を、将来、レベルの高い機能的なものとして実現しようとするならば、アジアのもう一つの大国日本がTPPという構築物を先に形成しておいてくれたほうが、メリットが大きいでしょう。日中が世界と調和的に共存する東アジア秩序の形成に向けて建設的協働をしてこそ、「戦略的互恵関係」が高いレベルで実現します。今は専ら米国に目を向ける中国にとって、日本は再び無視できない存在になるでしょう。

もし日本が、戦後の対米依存トラウマに埋没するならば、そしてもし、日本の政治に見識も戦略性も指導力も期待できないとして現状に甘んじるならば、TPP反対論が正しいです。しかし、なぜ、日本新秩序へのチャンスに遭遇している日本が最初から敗北主義に陥らなければならないのでしょうか。健全な国家意識と日本としてのコア・コンピタンス(独自の価値を生み続ける力)と国の将来を拓く意思さえ持とうとするのであれば、TPPはしたたかに活用すべき道具になります。これは日本人の今後の生き方の姿勢の根本に関わる問題です。反対派が指摘するようなリスクがあるからと逃げの姿勢を打ち、既得権益にヌクヌクする人を守りながら安楽死の道を進むのか、リスクを恐れず将来に向けてチャレンジする道を行くのか、日本人の生き方が今、問われています。

まずは日本国家の基本を決める。TPP参加の是非は、そのような国益上の明確な理念と覚悟、それを実現する戦略性が日本の政治に備わっているかどうかによります。もし、今の政治がそうでないなら、それだけの資質のある政治家をどう選ぶか?という問いかけにこそ意味があることになります。

‐医療システムの基本設計の確立を

 医療も、戦後の社会主義的システムのもとでの「経営」の欠如がその持続可能性を脅かしている点では、農業と共通の面があります。TPPで日本の医療が市場原理に席巻され、利益第一の運営が持ち込まれて、全ての国民に平等な医療を保障する国民皆保険が崩れると、多くの医療関係者が心配しています。しかし、そこには少なくとも、①TPPに参加すると米国の主張のとおりになる、②TPPでの合意の結果、日本は米国と同じシステムになる、③経営とは市場競争原理のことである、という3つの誤解があります。

そもそも医療は市場原理に馴染まないことは、世界的に常識といっていいでしょう。米国内でもオバマ大統領が公的医療保険の導入を掲げてきたように様々な議論がありますし、米国の医療保険制度のひどさは国際的にも有名です。日本が世界の「課題先進国」として医療の望ましい組み立てを世界に対してモデルとして示すべき位置にあることを忘れてはなりません。日本が米国モデルになる道は最初からありません。

新たな組み立てのポイントは、高齢化の進展と医療技術の進歩で財源が不足する一方の医療システムを、どう持続可能なものにするかにあります。これは今後、高齢化が進むどの国でも共通課題です。世界最初に人類史上初の超高齢化に直面する日本が、その設計で答を出せば、そのモデルが世界のスタンダードになるでしょう。そのように医療を考えるべき位置に日本がいることを、もっと自覚すべきではないでしょうか。

国民に安心できる医療を平等に確保するためにも、現行の公的医療保険に別の仕組みを乗せ、組み合わせることが必要になっています。それは、高齢世代がその大半を有する日本の個人金融資産を医療システムの中に回していける仕組みです。二階部分には、資産を持つ高齢者が健康というバリューに対して喜んでおカネを支出する医療関連サービスを乗せます。それは、価格弾力性の低い医療だからこそできる差別価格の設定です。航空業界でも、ビジネスクラスの導入がエコノミークラスの乗客に裨益しています。三階部分には、自らの安心や社会的価値を評価する寄附や寄託、出資の仕組みを乗せます。

これらを通じて医療システムに投入された資産保有者のおカネを、「公」の論理で活用することで、低所得者に対しても医療の底上げを図る仕組みを「見える化」して組み込みます。こうした「三層構造」の設計は、一階部分に世界に冠たる優れた国民皆保険制度があるからこそ可能になるものです。今の公的保険のみの一層構造では、医療資源の不足の中で、平等な医療がかえって確保されなくなる恐れがあります。

守り抜くべきものは、医療システム全体の基本設計の思想です。それは市場原理ではなく、官も民もともに支える「公」(パブリック)です。それさえ確立しておけば、そこに仮に一部、市場原理が入っても、それは「公」全体の中で活用されるパーツとして相対化できます。社会にバリューを生み、提示することで「持てる者」の資産を引き出し、三層構造で「公」をマネージするところにこそ「経営」が組み立てられると考えるべきでしょう。

今、日本の社会保障に求められられているのは、増大する高齢世代の中での相互扶助によって、現役世代や将来世代の負担の問題を緩和することです。上記の3層構造の提案は、コスト(負担)からバリューへの発想の転換によってこれを実現するものです。成熟ストック経済には、それにふさわしいソリューションの在り方があります。それは、豊かな人が豊かさを享受することで、そうでない人々へのサービスが底上げされるような設計です。

日本の医療システムがそうした組み立てに向かえば、それは日本の他の分野でも、そして世界の医療システムに対しても、ソリューションモデルになるでしょう。これは、日本の医療界に期待される、そして、日本の医療界にしかできないチャレンジだと思います。