☆☆胚移植はそっと | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

世の中にはいろいろなことを考える方がおり、少しずつ学問が進んでいきます。今回紹介する一連の論文は全て、ポーランドのGrygorukさんの研究で、まるで物理の論文のような体裁です。体外受精の胚移植(ET)の際に胚を戻すスピードが速いと胚にダメージが生じることを複数の証拠から示しています。ETではそっと胚を子宮に置いてくるイメージがよいと思います。

A Fertil Steril 2011; 95: 538
要約:ETカテーテルの先端に圧力センサーをつけ、3名の医師に10回ずつ子宮に見立てたモデルに注入し圧を測定しました。医師それぞれの圧が 76~155, 31~95, 14~73 mmHgでした。圧の増加率は 2,656~72,437 mmHg/sec圧の減少率は 8,375~144,250 mmHg/sec注入時間は 0.011~0.032 secET速度は7.5~21.8 m/secでした。注入時間と圧は反比例し、3名の医師とも同一のラインに乗りました。

B Fertil Steril 2011; 96: 324
要約:いくつかの注入速度(0.1, 1, 6, 12, 20 m/sec)を用いて流速、圧力、ずり応力をPCでシミュレーションしました。注入速度の増加に伴い、飛躍的にカテーテル先端の流速(0.17, 1.77, 10.7, 21.4, 35.7 m/sec)圧力(0.3, 15.4, 442, 1634, 4527 mmHg)ずり応力(1.05, 7.27, 11.05, 8.9, 31.8 Pa)が増加しました。胚がカテーテルの中央にある場合よりも、胚が端にある場合の方が流速、圧力、ずり応力がより強くかかりました。また、カテーテルの径が20%細くなると、流速は78%増加しました。

C Fertil Steril 2012; 97: 1417
要約:マウスの分割胚を、胚移植と同じ器具を用いて、速い速度(Fast ET > 1m/sec)遅い速度(Slow ET < 0.1m/sec)で移植用のカテーテルからシャーレに出し、その後36時間培養して胚の状態を観察しました。Fast ETの場合には、胚盤胞到達率が減少し、形態学的な異常が生じました。胚のアポトーシス指数(細胞死)は、Fast ET 17.6%Slow ET 5.6%、ET操作なし 2.5%でした。

解説:ETの善し悪しで妊娠率が大きく変わることが知られています。また、ETでは極めて細いチューブを用いるため、簡単に大きな圧力(最大155 mmHg)やずり応力が瞬間的に胚にかかります。論文Aは医師によって圧力が変わるのは、単に注入速度(時間)が異なるだけであることを示しています。論文Bは可能な限り太いカテーテルなるべくカテーテルの中央に胚を入れることがポイントになります。論文Cは、ET操作を行わない場合に胚のダメージが最も少ないのですから、カテーテル内の胚の出し入れにポイントがあることを示しています。いずれにしても3つの論文に共通して言えることは、可能な限りET速度をゆっくりにするのが望ましいことにつきます。
私は、治療説明会の最後にいつも「生殖医療は、妊娠へ向けたお手伝いをすること」と言っています。医学的に私たちができることは限られています。採取した卵子および精子を、採取した後に良くすることはできません。取れたものを使って最大限に妊娠を目指すこと、それが私たち生殖医療に携わる者にできる唯一のことです。むしろちょっとしたことで簡単に悪くなってしまいますから、取り扱う側としては、なるべく悪くしないように心がけることが大切だと考えています。培養室内では、細いチューブの中を卵子や胚が何度も往復します。このような時にも、その操作によるダメージを最小限にする意識が必要ではないでしょうか。