iPS細胞 | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

今回ノーベル医学生理学賞を受賞されました山中伸弥教授に心から祝福をしたいと思います。
私が東海大学准教授時代に、毎年デンマークのコペンハーゲンにて開催していた20名ほどのclosed meeting「Lake Shirakaba Conference」で山中教授とご一緒させていただきました。私は主催者の事務局責任者という立場で、世界中からNatureやScienceやCellに名前を何度も連ねている有名な先生ばかりを集めて、ざっくばらんにdiscussionするという大変豪華なカンファレンスです。丁度2006年にマウスからiPS細胞を作製した内容をご講演して頂き、感銘を受けたことを今でも鮮明に覚えています。どのようにして実験計画をたて、実行したか、細かく、時にはユーモアを交えてお話されました。緻密な計算と気の遠くなるほどのしらみつぶし作戦の中に、アイデアとインスピレーションも加えて、世界で一番にiPS細胞を作られたことに尊敬の念を抱きました。

さて、ご存知のようにiPS細胞は今後幅広く応用されることが期待されていますし、生殖医学の分野でも、日本の研究者がマウスのiPS細胞から卵子と精子を作る事に成功したと、今年報告がありました。ただ、ヒトでの研究となると、卵子と精子に関しては極めて大きなハードルを乗り越えなければなりません。そのひとつは「エピジェネティクス」という問題です。
「エピジェネティクス」とは、何でしょうか。ヒトゲノム計画により、2000年6月に30億個のDNA配列が全て明らかにされ、2001年2月にヒトの遺伝子は3万個程度あることがわかりました。もうこれで全てわかったかのような報道がなされましたが、実は遺伝子がわかっても、結局その先がまだあるのです。遺伝子の「スイッチ」の関与です。よく考えてみると、60兆個のヒトの細胞は肝臓も腎臓も心臓も子宮も卵巣も全て同じ遺伝子を持った細胞からできています。しかし、実際の細胞はそれぞれ違ったものになっています。何故か。これは、たくさんの遺伝子のうちどの遺伝子のスイッチがオンで、どのスイッチがオフであるかに応じて、細胞が変化したからです。この遺伝子のスイッチのことをエピジェネティクス(エピ=上、ジェネティクス=遺伝子)といいます。正常な細胞と病気の細胞の違いも同様に、スイッチのオン・オフが関係しています。一般に病気は、遺伝要因(体質)と環境要因(生活習慣)の両者が組み合わさって起こるものであり、遺伝だけでは説明がつかないことも多いのです。勿論、遺伝病は遺伝子単独で起きる病気ですが、遺伝子が正常でも起きる病気も沢山あります。エピジェネティクスは、糖尿病、気管支喘息、リウマチ、がんなど、日常よくみられる疾患に関係していることが最近わかってきました。結局、遺伝子がわかっても、そのスイッチを逐一調べないと、何も言えないのです。しかも、このスイッチは生活習慣(食生活、環境、しつけなど)で変わり得るところが重要です。
遺伝子のスイッチをオン/オフしているメカニズムはまだ明らかになっていませんが、遺伝子にメチル基というものが結合している時にはスイッチがオフで、結合していない時にはオンになっています。iPS細胞は「初期化した何にでもなれる細胞」です。そこから作られた精子や卵子が、見かけだけではなくエピジェネティクス的にも精子や卵子と同じものであるかが肝心です。同じものが作れて初めてクリアされるのです。それまでは、見かけが精子や卵子でも中身は精子もどき、卵子もどきに過ぎません。
これとは別のさらに極めて大きなハードルに、倫理的な問題があるのは周知の事実と思います。この2つをクリアして初めて夢の治療が可能になるのですが、、、精子は結構実現が早そうだと考えられています。一方卵子は、多分私が生きている間に実現するのは難しいのではないかと思っています。