恩師、茜まさお先生がお亡くなりになりました。


人生の中で、恩師といえる方との出会いは
そうたくさんあるわけではありません…

10代の時、テレビのオーディション番組でプロダクションにスカウトされ、
ボイストレーナーの先生にと紹介してもらったのが茜まさお先生との出会いでした。

発声の基礎を教えてもらうと言うことで、ソルフェージュを使い基礎を習っていましたが、
それだけじゃ面白くないだろうから〜と
当時のマネージャーさんには内緒で、歌のレッスンも取り入れてくれました。


その後、思うようにデビューが決まらず、プロダクションとの契約がきれ腐っていた僕に
優しい励ましの言葉をたくさんかけてくださいました。


茜まさお先生は、熱海みつるというペンネームで作詞作曲も行い、最初は伊田俊という芸名で歌手として歌っていたそうです。



若い頃は南條文若さん(のちの三波春夫さん)や林家三平師匠などと一緒に地方をまわる歌手の時代があり、
のちに1955年、白根一男さんの「俺は泣かないよ」で作詞家デビュー。
その後、平尾昌晃先生と必殺シリーズでコンビをくみ「浜千鳥情話」「やがて愛の日が」「花嫁になる朝」(柏原芳恵)「天城慕情」(三門忠司)などのヒット曲をつくり、昨年11月には大井町でのバラダンのコンサートに元気なお顔を出してくださいました。

「また逢いたいね」という歌詞を書いてくださり、友人の中島卓偉さんが素晴らしいメロディをつけてくれました。

楽屋で3人で写真を撮れたのも今では懐かしい思い出です。

まだまだ思い出はたくさんありますが、これからも先生に教えてもらったことを教訓にしながら生きていきたいと思います。