作曲家・鈴木淳先生の突然の訃報に触れ、心から両手を合わせます。
 
 
17歳の時、「全国歌の甲子園」と言う名物番組があり、
歌手になりたかった僕は、当時流行っていたLALALALOVESONGと「北の三代目」の2曲で、予選のテープ審査に応募しました。
 
 
テープ審査を通ったのは「LALALALOVESONG」でした。
 
生バンドでの全国大会でその歌を歌った後、淳先生は「すごくうまかったね~と」
グランプリの下の、優秀賞という賞をいただきました。
そしてそのコンテストのADの方から平尾昌晃先生のコンテストへ推薦してもらい
平尾先生との出会いにつながりました。
 
 
 
全国歌の甲子園から23年が経った一昨年、淳先生のお弟子さんが集まる七夕の会にお招きいただいて、23年ぶりに再会させていただきました。
 
その2週間後、お忙しい先生はわざわざ僕のために時間を作ってくださって、二人でゆっくりとランチをさせていただきました。
 
実は…
詩人の松永伍一先生が生前、僕の為に遺してくれた「蛍よ」という詩があるのですが…
とお伝えすると
「23年前は、お手伝いすることが出来なくてごめんね~曲をつけてみるよ!」
 
 
と淳先生が、
あろうことか、プライベートで作曲をしてくださったのです。
(あの、大作曲家がまさか??と感激しました)
 
 
 
その後も先生のお宅にお邪魔しては、いろんなお話を聞かせて頂きました。
 
 
コロナ禍になってからは、お会い出来てませんでしたが、
二ヶ月前の10月2日、広島からお電話でお話したのが最後になってしまいました…。
 
 
 
 
 
先生、
先生にいただいた
暖か~い曲「蛍よ」を
これから一生、大切に歌わせていただきます。
 
天国で見守っていてください。
どうもありがとうございました。
(両先生とも天国にいってしまいました)
 
 
ご縁を頂いた方との別れは本当に辛いものです。
 
しかし、命がある限り
残された人間は、精一杯生きていかなくちゃいけません。
辛いことや、悔しいことがあっても
それ以上に、楽しいことや幸せもいっぱいあります。
皆さんに歌をきいて頂ける事もそうです。
 
 
 
どうぞ、皆さんもお体に気を付けてお過ごしください。カラオケカラオケカラオケカラオケカラオケカラオケカラオケカラオケカラオケカラオケカラオケ最後まで読んで頂き、有り難うございましたラブラブ