障がいと自立 |  まつまなブログ

障がいと自立

電車の中で、唸るような声がしたと思うと、ドターンと音がして人の倒れる気配。後ろを振り返ると、青年が倒れている。あわてて席を立ち、後方にいた男性といっしょに引き起こした。汗をかいて苦しそうにしている。どうやら、障がいをお持ちのようだ。空いた席に座らせ、しばらく様子を見ていたが、しだいに落ち着かれ、安心した。降車の様子を見ると、手足が不自由のようだ。電車のゆれでバランスを崩されたらしい。おそらく、必死で歩いて乗車されたのだろう。私たちが当たり前にこなせることでも、障害を持っている人にとっては歩くこと、電車に乗ることさえ、大変なエネルギーを要する。

重症心身障害児の施設に何度か訪問したことがある。たくさんのすばらしい出会いがあったが、その中でも最も尊敬する方の一人、済世会西小樽病院の吉村さんは、私が敬愛する看護師のお一人である。アンフィニ2007.Oct-Dec.へリンク)

吉村さんは、障害者自立支援法が制定されたとき、その理念を嘆いてこう仰った。

「障害者自立支援法のいう、『自立』っていったい何なのでしょうか?

ーここ(重症心身障害者施設)にいる子達は、みな、他者の手助けを受けなければ生きられない、呼吸ひとつとっても自力で出来ない。痰を出すことさえままならない。

でも、私たちナースが吸引をして、呼吸を楽にしてあげると、えもいわれぬ笑顔を返してくれる。私たちは、その笑顔を見て、心の底から嬉しいと感じます。自分に出来ることをして、社会に貢献することが大切なのでしょうか?人それぞれに自立がある。呼吸さえ、自力で出来ない、表情を変えることさえ出来なくても、でも、この子達は生きている。生きて、私たちに幸せを与えてくれるんです。」

様々な重度の障害を持つ子ども達が暮らす重症心身障害児施設。そこに暮らす子どもたちは、医療や看護の手助けをうけながら、毎日を一生懸命生きている。

痰の吸引や呼吸器など、医療的ケアを必要とする障害者が、家で暮らせるための在宅支援体制は、いまだ十分ではない。家族は子どもを家に連れて帰りたくても、帰れない。中には、家族と疎遠になってしまった子ども達もいて、「障害施設」といいながら、成人・老年期に達した入所者も少なくないのが現状だ。看護師は、家族に代わる愛情を注ぎながら日々のケアにあたっている。

ナースたちは言う。この子達をもっと外に連れ出してあげたい、もっと青空を見せてあげたい、でも、現状の看護職人員配置では、とても手が足りない、と彼女たちは嘆く。

平成20年4月、診療報酬が改定され、重症心身障害者施設の看護師配置基準が引き上げられた。まだまだ十分とはいえない。が、しかし、一歩前進である。看護協会の看護師配置基準引き上げのための闘いは続く・・・・

子ども達の笑顔がみたいから・・・・