【島津四兄弟の末弟 島津家久】
九州の戦国大名島津家
源頼朝に臣下の礼をとって以来、薩摩・大隅・日向三州の守護大名を務めた武家の名門
家久は15代当主 貴久の四男
「軍法戦術に妙を得たり」と評されました。
兄は3人!義久、義弘、歳久
天正12(1584)年、沖田畷の戦いで肥前佐賀の龍造寺隆信を討ち取りました。
天正14(1586)年、戸次川の戦いで土佐の長宗我部軍を追いやって長宗我部元親の嫡男 信親を討ち取ります。
その後、豊臣秀吉が18万の大軍で九州に上陸。
家久はすぐに秀吉と単独で和議。
島津軍は九州北部から撤退。
兄・義久が秀吉に降ったため島津の九州統一は夢と消えます。
島津降伏後、家久は急死しました。
戦国 島津を知ろうと思って買ったのが
天野純希 著「破天の剣」
島津といえば島津義弘が有名だけど、島津四兄弟といわれる義久、義弘、歳久、家久はそれぞれの得意分野を生かして、九州統一をめざしたんだそう。