関ヶ原 決戦前から家康優勢でした! | Macchanどうでしょう!

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元々ひとりで旅行に行くのが大好き。そんな中で出会った御朱印。御朱印の魅力に楽しみを覚えました。以前から研究している経済学や金融相場の話も少し。

明治になってこんな逸話があります。
日本陸軍育成のために開校された陸軍大学校。陸軍大学校にドイツの軍人が招聘されました。ドイツの軍人は関ヶ原戦役の布陣図を見て西軍有利と評しました。
確かに布陣図を見ると西軍有利です。
だけど、東軍が勝利しました。
東軍勝利第一の勝因は家康による西軍諸将の調略です。

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増田長盛
三成と同じ五奉行の一人で、三成派でしたが、密かに家康と内通。西軍総大将 毛利輝元を大坂城で出馬を抑えていました。


下の肖像は毛利輝元です!
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吉川広家
輝元の従兄弟で親家康側でした。家康はこれを利用。毛利宗家の所領を安堵するかわりに、広家に長門 周防2ヶ国を与えるとしました。

小早川秀秋
伏見城攻めの先鋒として家康股肱の臣 鳥居元忠を討ち取った後、近江に滞陣していました。家康は秀秋の重臣らを調略。今後の小早川軍の動きについて段取りしていました。黒田長政に命じて監視に当たらせました。


それに対し、三成は「内府ちがいの条々」と呼ばれる弾劾状を発令。西軍につくよう全国各地から兵力を募っていました。
兵力を募ることに捉われ、東軍諸将の調略をしませんでした。

既に家康の勝利は決まっていました。
結局、秀秋が東軍についたことで、わずか1日で勝負は決しました。