31歳のまたりです
7歳の息子が居ます
一昨年2月に1歳年上の夫と再婚。
去年1月に23週で死産を経験しました。
次は元気な我が子を産みたいと
3月から妊活を再開し、
6月の終わりに授かりました
予定日は今年の3月
そんな私の妊娠記録です
よろしくお願いします
おはようございます、またりです
昨日の1月1日から念願の30週に突入しました
そして、一日遅れてしまいましたが、皆さん、
あけまして
おめでとうございます
…と言っていられない状況になってしまいましたね
石川県に住んでいる私にとって、昨日は忘れられないお正月になりました
去年も家族みんなでコロナに感染して、ある意味忘れられない新年にはなりましたが…
今年のは規模が違いすぎました
『令和6年 能登半島地震』
一生忘れられないワードになりました
年越しを実家でしたため、昨日の朝まで能登の実家に居た私。
午前中のうちに仕事明けの旦那と合流して、息子と3人で初詣に行ってから、義実家におじゃまして楽しく新年のご挨拶をしていました
義実家のワンコと散歩に行きたがった息子に、お義父さんが「16時半になったら散歩に行こう」と言ってくれていたのですが、
16時過ぎ、能登沖で地震が発生との緊急速報がテレビ画面に表示され、焦った私達。
義実家は金沢の方にあるので、あまり揺れなかったのですが、能登の方は「震度5」と表示されていて、
珠洲の人達や、お義母さん側のおばあちゃん(能登の山奥で一人暮らし)の心配をしていた私達。
そこで自分でも不思議なんですが、
「これが余震てことも有り得るんですよね」
とポツリと呟いていた私。
それが伏線になったかのように、少ししてからものすごい揺れが義実家を襲いました。
テレビでは先程の緊急速報のまま珠洲市の様子が映されていて…
大きく揺れて棚から物が落ちる義実家のダイニングチェアに座りながら、テレビ画面の中で次々と煙が上がり始めるのを見て「怖い」と思いました
それが火事ではなく、家屋が倒壊したことで発生している煙だと気付いたから。
『この家も潰れたらどうしよう』と今まで生きてきた中で一番怖かったです。すごく長く感じました
そしてスマホに表示された、「震度5強」の文字。
今朝まで居た実家の方では「震度6強」
一番すごい所では「震度7」
地震がおさまってからも、度々余震が起こって気が気じゃありませんでした
そんな不安な中、職場から招集をかけられた旦那実は旦那は消防士をしているので、震度5以上の地震が起きたら全員招集されるのです
送り出すのも、残されるのも怖かったです
でもちょうど義実家に居て、お義父さんやお義母さんとその後も一緒に居ることになったので、心強かったです
それでもお腹は硬く張りました
いっぱい動いたわけでもないのに、不安が伝わったのでしょうか。その後、椅子に座っていると和らぎました。
寝るとこの準備や、夜ご飯の準備はお義母さんがしてくれたのですが、こんな時何もできないのが悔しかったです
でもそのおかげでにこすけも元気に動いていました
ちなみに、実家の方が震度が大きかったので、心配だったのですが、家族みんな無事でした
写真(兄が撮影した実家付近の道路)のように道路はバキバキだし、停電や断水も起きているみたいですが、津波も大丈夫でした。
でも今回、こういうことになってみて、いざという時にどうすればいいか何も分かっていないことを痛感しました。
この数年間で能登には何度も地震が来ていたのに、油断してしまっている自分が居ました。
能登の家族に「津波が来るから逃げて」とは伝えられるものの、どこに逃げれば良いのか分からなかった。
今回はなんとか無事に済みましたが、日頃の備えの大切さを痛感しました。
特に妊婦さんはいざという時、やはり自由に動くことはできないので、日頃からの準備が大切だと思いました
令和6年、にこすけに会える大切な年。
まさかこんな始まり方をするなんて…
いつかにこすけが大きくなったら話そう。
そのためにもしっかり復興してもらって、にこすけを元気に産まなければ
午前中の私達の祈りが神様に届いていますように
息子の一番の願いは
「まあまと(旦那)くんがけんかしませんように」
だったのでそれも叶えられますように
そして被災された皆さんの生活が一日でも早く善くなりますように
大変な一日から始まった令和6年ですが、良い一年になりますよう心から祈ります
新年一発目の投稿が
こんな記事になりましたが、
今年も皆様よろしくお願いいたします