まず冒頭に旧台界にこの人ありと言われる剣七こと「昭和名旧会」会長をご紹介したい。

 

かつてパチスロを打ちながら北は北海道から南は九州、沖縄まで日本全国を巡る旅を成し遂げた伝説の男である。

 

詳しくはこちらをご覧ください→https://t.co/oLug2lFVgC

 

この度は結成26周年の集いを自分の地元で開催するとのことでお声掛けいただいた。

 

1998年に会を立ち上げられた当時、我が地元福島県には旧台マニア垂涎の店がいくつもあったそうです。

 

特に白河市(旧東村)にあった「ニュースター」、お隣の石川町「ニュー石川」、いわき市常磐湯本町「中央会館」、少し離れて相馬市「伸光」には幾度となく足を運ばれている。

 

2020年頃の「伸光」跡地

 

2006年のみなし機完全撤去が迫る頃まではかなり精力的に活動しておられました。

 

自分は中央会館と伸光には数える位しか行っていない、それに中央会館には1988年、伸光は1991年から1995年に掛けて位でしたから旧台を打ちにという感じでもない。

 

 

 

2020年頃の「ニュースター」跡地

 

2020年頃の「ニュー石川」跡地

 

ニュースター、ニュー石川は地元民でなければまず行かない様な場所にあったので、県内に住んで居ながらその存在すら知りませんでした。

 

恥ずかしながら当時は勝てるか勝てないかで店を選んでおりましたから、知っていたところで行っていたかは分かりませんが。

 

それをわざわざ東京から交通費を掛けて打ちに来る人達が居るなんて信じられない。

 

しかも負けるのを覚悟の上で。

 

当時共感出来たかと言われれば、おそらく「ノー」であったと思う。

 

もちろん集まり的な意味合いであれば全然ありでしたが、この方々の活動と比べたら自分はまだその領域には達していなかったのは明白である。

 

要するに機種に対する情熱、引いてはパチスロに対する愛情が足りていなかったと言わざるを得ない。

 

そうした活動を知ったのは、まさしくみなし機撤去が始まっていた頃でした。

 

会長から伺った話では、丁度時を同じくして会の活動は一旦沈静化したそうです。

 

昔そんな人達が居たよなあ

 

眠っていた記憶が呼び起こされたのは、ブログとツイッターを始めた2020年のこと。

 

このブログを始めるにあたりパチンコ・パチスロの旧台に特化したブログやHPなどを読み漁っていると、全国には想像していた以上にマニアが沢山いらっしゃるということが分かった。

 

以前から旧台の価値に気付いていた人ばかりではなく、自分と同じように失われていく物への愛着からという人も多い。

 

昔見た名前、画像、文章を目にする度に全身の血が逆流するように感じた。

 

鳥肌が立つ身体の仕組みは詳しく知らないが、何かとてつもないものに遭遇したことだけは確かだった。

 

既に子育ても終わり、この先ただ寂しく老いていくだけのはずだった人生のレール上に突如現れた分岐点。

 

これを逃す訳にはいくまいぞ。

 

もう迷わず突き進もうと心に決めたのです。

 

人と繋がるのにはツイッターの方が優れていると思いそちらにもアカウントを作りました。

 

しかしSNSのチカラは凄い。

 

遠く離れた人と繋がれるだけではなく、その後の人生まで変えてしまうことが出来るのだから。

 

勿論それを選択するのは自分自身ですが、この先後悔している時間など無い。

 

走るトロッコの上からポイントをハンマーで思い切りブッ叩いたのです。

 

そして遂に「ゲームセンタータンポポ」さんで邂逅を果たす。

 

その後「プレイセブン」さんでも二度ご一緒しました。

 

 

 

そうした方々と今は亡きかつての名店を巡り、旧台を打ち、夜は当時の話を肴に酒を酌み交わす。

 

「最高ではないか」(;´Д`)

 

今の自分になら分かるのかもしれない。

 

これを四半世紀以上前からやっていたのが会長こと怪鳥な訳で、チャジでリスペクトしているのです。

 

26周年の集い(本編)、跡地探訪と宿での宴会から予想だにしなかった展開を迎えた翌日の様子は次回のブログにて。