ミラクル(尚球社)1991年

 

 

1991年(平成3年)に尚球社(現:岡崎産業)より登場したミラクル。

 

業界初の期待値方式を採用したことにより、ビッグボーナスでの獲得枚数を大幅に増やすことが出来るようになりました。

 

小役ゲーム数には10G、15G、20G、25G、30Gと均等に振り分けが有り、15枚役が高確率で成立しているため30G完走すれば約600枚獲得することが可能です。

 

と言ってもプレイヤーはゲーム数を選ぶことも伸ばすことも出来ませんが。

 

しかし3号機時代はどの機種もビッグの枚数が360枚前後でしたから、獲得枚数が変動するということにはとても衝撃を受けました。

 

攻略法抜きでは大量獲得機の先駆けと言ったところだったでしょうか。

 

それと初のマックスベットボタン搭載機でもありました。

 

 

正直当時お店ではそれほど打っていません。

 

そもそも地元での設置がありませんでした。

 

初めて見掛けたのは郡山の友人宅から歩いて行ける距離にあったお店です。

 

ぼんやりゲーム性などは把握していたと思いますが、出玉を多くすることによってのしわ寄せがどこかにあるはずだなどと疑って積極的には手を出さずにいました。

 

それと初打ちでビッグを引くまでに結構使ってしまい、大量獲得が求められる状況で結局350枚位の出玉に終わったのも次に手を出さなかった理由です。

 

もし、この時大量獲得できて逆転でもしていればまた打っていたかもしれません。

 

台との巡り逢わせとはそんなものでしょう。

 

そう、あの時はまた打つ日が来るなんて思ってもみなかった。

 


 

お盆も過ぎて心なしか秋の気配が感じられるようになった8月の或る日。

 

旧台界にこの人ありと謳われる剣七こと剣会長と鰐さんことwäni師匠に会いに。

 

行き先は自身二度目の訪問となる群馬県伊勢崎市のアミューズメントプレイセブンさん。

 

プレイセブンさんHP↓

 

大人の夏休みスタートです。

 

 

本命は「スノーキー」(オリンピア平和)だったのですが、怪鳥との壮絶な台の争奪戦に敗れこちらへ。

 

少しでも打ったことがあるのと、ちょっとだけ悔しかった思い出。

 

台と対峙した時にこれがあるだけで全然違うのです。

 

打ったことが無ければ甦る思い出もありませんから。

 

打っていても思い出せないことも多々あるんですけどね(*´ω`*)

 

間も無く以前にもご一緒している針千本ことハリ氏が合流しそれぞれがそれぞれの闘いを。

 

 

オレンジ下段ハズレは弱チャンス?

 

上段ミラクルテンパイはハイチャンス、狙って小役が外れれば恐らくハイリでしょう。

 

 

 

 

2確もあり

 

 

7下段は激アツ、左にBARミラクル7は1確です。

 

生入りなんてもったいない、最低でも3Gはパターンを堪能してから揃えよう。

 

当時は出るか出ないか、そしていち早くボーナスを揃えなければ。

 

そんなことばかり考えて打っていました。

 

 

 

「560」はハマリゲーム数ではなく獲得枚数です。

 

逆押しするのを忘れて順押しでジャックインさせてしまったので枚数が少なくなってしまいました。

 

それから通常時にミラクルやボーナス図柄がテンパイすると第3ボタンが一瞬効かなくなるという新たな気付きがあったのですが、ただ単に忘れていただけかも知れません。

 

 

30年のあいだ君は全然変わっていなかった。

 

まるで歳を取らないかのように。

 

自分は30年歳を重ねたが、パチスロについては色んな経験をしてきたつもり。

 

今なら分かる。

 

そこでしか打てない台を打つことの意味を、大切さを。

 

自分が気付くずっと以前からそれらを実践してきた偉大な先人の方々とこうして繋がれたことも大きい。

 

レトロ台を打つという趣味が出来たら、一気に世界が広がって一気にその距離が縮まった。

 

まさにミラクルな出逢いが待っていたのです。

 

これからも必死に食らい付いていきますぞ!

 

いつか絶対に来たいと思っていた超粗挽き熟成牛ハンバーグを食べながらそう誓ったのでありました。

 

群馬県太田市にある犇(ひしめき)亭さん

 

通称「決壊」と呼ばれるチーズを掛ける様子

 

想像の上をいく超粗挽き肉が濃厚なチーズの海に溺れていきます

 

ご案内いただいたwäni師匠直伝のライスを追加してのセルフドリア

 

プレイセブンさん前で剣七怪鳥との2ショット

 

車だったのでまたもお酒を酌み交わせなかったのが唯一心残りでした。