礫はあらゆる方から投げられていた |   ジャスミン・ガール 茉莉花’s blog

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    子どもの本を中心に本の話題と音楽・アートに関する話題。
    

全知全能の訳はない──わたくしのような者にあらゆる文化芸術をつかさどるような任務は果たせないでしょう。ずっと健康で居られていたならば、自分の専門と呼べる分野を担って暮らしたかったのが本意でした。
 
生きている価値さえない存在かのように長い間傷つけられ、真価が伝わるようにと死にものぐるいで過ごしてきました。身近に育ててあげることも出来なかった分、その場凌ぎやテクの伝授だけにならない言葉を選んで、若い方たちに極力投げかけて来ました。
 
典型的な成長プロセスを完璧に辿る生き方を良しとするか、人間性を大事にして突出した能力を育て磨く態度を好しとするか──発達心理学の視点も分岐しているようです。わたくしは後者を支持し、少しずつ学び続けて来ました。突出することは、偏ることをたとえ避けられないとしても。
 
後者には、研鑽を積んで行く途中で、心身のバランスを崩してしまうリスクがあることも否めないでしょう。財源などの環境や幸運に恵まれなければ、はからずも奈落に落ちて(落とされて)しまうかも知れません。
 
ぴったりのお手本があれば、無駄なく努力が出来るかも知れませんが、自分だけの目標に向かう時には、大抵独りで暗中模索しながら、進路を選んでいかなければならないでしょう。

深い霧中や闇夜をたどたどしく歩む人には、歩き続けられるように優しい態度で送り出してあげて下さい。背中に向かって、石を投げたり罵声をぶつけたりしないで下さい。
 
生きていくことは、教科書通りに展開しないものです。衣食住がある程度充たされること、そして、言葉を真っ直ぐかけ合う相手が多々存在してこそ実りになって行くのです。
 
寄ってたかっての群衆の言動により、誰かに孤立を強いてその人の心情の均衡を瓦解させ、その誰かの生命の糧を奪わないで下さい。農作物の収穫をするときと同様に、必要な分だけの糧を求めて下さい。
 
ほかの方たちの進む足掛かりの為に準備をすることは、本来興味関心のある分野であっても、体系的に組み立てて別の人にも届けて行くことは、容易ではないものです。
 
事情知らずに投げ掛けられた礫の言葉であっても、一人でそれらを受けとめて来たので、今もまだぼろ布のように引き裂かれた気持ちのままで、たどたどしく呼吸をしています。
 
嫌いという言葉さえ吐露されるのは、それだけ追い詰められていたからです。切迫が続いたのは、ありきたりにも労って貰えず、これまでの時間は単なる過去形の一話に過ぎないと思い込む多くの人たちの無責任さを甘んじて受けとめようとして来たからでした。