呑んでクダ撒き、噛み付くアホ | 評議会のブログ

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信仰観の違いなんか、ただ単に神輿の違いなんか、、、どうも左寄りになれば、「悪」と言った根拠のない悪説に偏りを擁してく傾向の中、似たり寄ったりのもんらが、規制枠を作り上げてく。

こないなもんは、自分枠を守ろうとする危機統制の一つやけど、それなりの代価が伴ってまうことを知らなあかん。

この規制枠で人を増やそうとすれば、いろんな面で成長は鈍化する。

そこで倫理的、道徳的な行動をする人らを育てなあかんねんけど、要は、官僚的立場のもんらの人格枠そのものが規制枠に現れ、それに反発するもんらとの葛藤で規制がより強化される。

良心を持って先ずは規制枠を順守しても徐々に枠を拡げられるようなことで、悪知恵(本人はそう思ってへんねんけど)を働かすもんらよりも多くの機会を良心者に与えられることをさせなあかん。

この良心と言う基準がわかってへん。倫理的で道徳的、、、言うても、原理講論、み言をピックアップしては、都合的なことを言うたら、良心的、倫理、道徳やと錯覚しよんねん。

こうなん言うたらええんか、無為自然に生まれもった無垢なもんで良しとすることを普遍的にして、それが原理やみ言に通じてたとなればええねんけど、原理講論、み言ありきで言う姿勢が傲慢なんやとわからへんから困ったもんや。

原理講論やみ言で大きなこと言うて、現実と噛み合わへん現状に、バカたれどもは酔いしれんねん。勝手に酔いしれるんはええけど、絡んでこられたらたまらんやろ?

酔っぱらいやからしゃーないちゃうねん。叩きのめしたらええねん。

 

 

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