風が小池百合子を中心に吹きよった。アホ安倍を放置して「しがらみ」の中で、憲法改正や構造改革や言うて、日銀の介入の市場経済を展開させてもなんら庶民にもたらしたもんは、期待はずれのイカサマで、安倍を信じてアホを見ただけやった。
小池百合子は、「しがらみ」からの解放を唄った。そこに原発ゼロをもって、小泉純一郎がのかってきた。
小泉は、しがらみのあった郵政に執着した。様々な「しがらみ」の中で、先ずは、郵政民営化やと、、、、そして、次は原発に目を付けた。
原発自体がええんか、悪いんかは別にして、ニッポンの既得権益崩壊の為に「原発」は、格好のマトや。
作り上げたシステムを崩壊させるには、必ずと言っていいほど、抵抗勢力が発生する。ここに打ち勝つかや。
それには民からくる風を発生させなあかん。発生させようと思っても、思い通りにいくもんやない。不思議と偶発的な機運が必要となる。
天の計らいは、地から見えるもんやない。偶発的な機運(風)の善し悪しは、後の結果でわかるもんやけど、小池百合子の風が、どう善し悪しの結果をもたらすかは、もう自ずとわかる。
この先、引くも地獄、押すも地獄を見るんはわかりきってる。せやけど、押すしかないねん。
なんもせんかったら、地獄の中の地獄を見るだけや。
このなんもせん言うんが、ニッポンの信仰、実体の基台性や。穴ぐらの中に閉じこもった状態で、修道生活的な訓読や祈祷で天の父の為の基台性になると思い込んでたら、地獄を見るだけや。
桜井節子が、小池百合子のような風を呼び込められるようなもんもなく、自己反省も悔い改めもなく、ええこちゃんぶっても、風を呼ぶことはできひん。
真摯に受け止めるとこは受け止め、分別するとこは分別せなあかん。自分中心にして玉虫色に肝心の善悪をごちゃ混ぜにすれば、その時点で敗者や。
小池百合子には、結局のところ、新たな右翼風にして、根本的なもんは変わらへん。せやけど、小池百合子風で、今を打開せなあかんとこまで来てる。
今よりはと思い、革命、改革なくしては、進まへん。結局のところ、共産主義国家のようになったと言った極論になったとしても、産みの苦しみは通過するもんや。
アホな安倍に期待したアホどものアホな報いも避けられへんようにもなってる。