父子協助と言った転換点があり、転換期があった。既存にまみれた既成事実に捉われたことで、サタンの防衛戦に加担したことは、偶発的に起こったもんやなく天宙史的葛藤そのものや。
その結果、全ての段階で拮抗する分岐点が表面化され、発展するどころか、真父任が示された方向性に支障が来たされ、無駄な時間が過ぎ去ってった。
しかし、これからは違うで。無駄な時間、顕進任は心情の十字架を背負われたが、決して顕進任に置かれては、無駄と言った概念はない。
せやけど、無駄な時間を与えた、またその間、真父任、顕進任が示された方向性とは違うたもんの見解を言いくさったものらを含め、顕進任が背負われた心情の十字架は、人類的罪の連鎖にある言うことを認識せなあかん。
そう言った事実から真実を知ることで、贖罪と再出発をする為の道を開かなあかんねん。
言いたいことを言いくさって、顕進任の示される方向性にアラインできひん、特に顕進任側やと言うてたもんら、嫌韓を煽り、韓国を中心に示された顕進任とは異なる見解をしくさったアホどもは、どう言った答えを出しよるか楽しみや。
ひとつの真なる理解への道を示し出せるんやろか?(笑)
自分らの見解を原理の解釈やと思うてたもんらは、どないな摂理観が基盤になってたんか?!
原理と天の父の摂理を中心とした適切な観点やったら、今後、ニッポンがどのようにアラインするか示してもらいまひょ!!
普通、祝福家庭の多くは、キリスト教的な見解に基づいてるもんや。原理講論を通してキリスト教信仰の間違いがわかってるからと言って、ニッポンの信仰観がキリスト教を凌駕するとでも思ってるんか? アホや。
異教徒の分際で、キリスト教信仰を凌駕できるものであれば、イエスキリストの名以上に、一体誰がニッポン信仰の祖として名をあげられるんやろか? メシアの使命を正しく理解してるならば、自分らの使命を理解することができるはずやし、恥ずかしげもなく正当化せえへんわ。
なのに、み言の表面だけの綺麗事ぬかして、自分らの国のあり方は別とばかり、国家意識を持てば、辻褄の合わへん正当性をぬかしては使命感の方向性はとんでもないとこに向かいよる。
なんで祝福家庭は、真子女任と一体化せなあかんのか? 真父任の子女任らと一体化すれば、カインの立場を摂理の軌道に戻すことができねんで。また、真父任の子女任らの中で、真父任を相続するんは、長男の立場に繋がっとんねん。ならば、その他の子女任は長男と一体化する言うこっちゃ。
今や、真父任がおっしゃられた祝福家庭としての復帰は、真父母任の子女任らとの連結を通してなされる言うことを再認識せなあかん。その為、我々の救済は真子女任との関係によってなされるわけや。
ほんでもって、真父母任と真の家庭の定着という観点には、長子の概念が前面にでてくる。
ニッポンの異教文化に天の長子権が生じるわけがない中で、なにを望んで子女任との一体化と言うみ言を表面で受け止めてるんか? それを国家次元に結び付けた時、分断されたとはいえ、韓国がそんなに安う見えるもんなんか?
この度、ハナ任の日をもって訪韓された顕進任を高う持ち上げてるアホなニッポン人がおるけど、顕進任が訪韓された意味の観点のズレまくりには、今更はじまったわけやないにしろ、笑うてもうたわ。子女任との一体化など夢まぼろしごとく、他人事のように綺麗事に言うてるだけや。
このまま行けば、先々にどんな目に合うとも知れず、自分らのことは棚に上げて韓国を酷評してる滑稽さにサタンの拍手とニッポンに巣食う悪魔の嘲笑が目に浮かぶわ。
俺も拍手し、嘲笑してまうね。

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