真父任の改革(父子協助)に対して、行動を起こさせへん理由は様々やったかもしれへんけど、行動を起こさへんかった結果、逆戻りするような現象が生じた。統一教ならば、荒野時代の業績にすがりつくこととなった。自分らが自分らでなくなってまうんやないかと言ったもんに絡まれた。
荒野時代からそうやったけど、全ての摂理団体は教会組織の下に入れよう、入れようとした。統一教はあかん言うて、新天地を得たかのようなもんらも、自分らに組み込もう、組み込もうとする宗教観から抜け出せへん奴らがいてる。
真父任が、せっかく約束の地(世界的カナンの地)に引っぱって来られはったにもかかわらず、荒野に帰ってった、、、新たな荒野生活が約束の地ではない。
こないな奴らは、教会時代の専制的なもんに違和感を感じただけで、心の方向性を変えたわけではなく、衣替えしただけや。
見栄えは変わって見えても、変わってへん心の方向性がある限り、いつまでも影のようにつきまとう呪縛性からは逃れられへん。
顕進任は、何をせなあかんかと、明確にされはった。顕進任は、真父任が示されはった方向に全てアラインされてはった。それは、今も変わらずに真父任と繋がってはる。
母任がお産みになられた子女任は真父任の血統や。子女任(男系子女任優先)が血統を受け継ぐから、次世代の権威を受け継がれはるんは、男系子女任や。それが天の父(ハナ任)の実体的主権や。それはハナ任の創造目的を成就させるっちゅうことや。
人類の為に生きる道を歩き、世界中に救いを説かなあかんねん。救いは限られたとこだけのもんちゃうで。
せやから、実際のみ旨において、平和の為の仕事は、現実的にこの世界に影響を与える。せやから、顕進任が成されてる事を見れば、顕進任はいかなる方であるかわかる。真父任の改革的摂理転換をようわからへんもんらであっても活動の内容を見るに限る。
え? 顕進任派や言うてる奴らがアホやからようわからへん? そうなんや、まだまだこいつらも衣替えだけで、実際の心の方向性と実態行動が伴ってへんねん。特にニッポン人は、、、
顕進任の「Korean Dream」における共有ビジョンの韓半島の統一運動は、真父母任と真の家庭の証しになってんねんで! ここに焦点を置けば、ニッポン人がニッポン人でなくなるとばかり、アホ丸出しに平気で嫌韓風潮に乗っ取って韓国批判を繰り出す。
顕進任の活動に主人意識を持った主体性と自主性とで動く我々を見れば、創造的意識が生じ、我々の行動から我々を通して、偉大なる顕進任を知るものとならなあかんのに、、、
これら共有できる誰でもわかる普遍的なもので、真父任(顕進任)は、個人的救いから家族的救いに意識がアップさせられ、皆が認識することが出来るより高い精神意識へと移行されられるはずが、、、
それでも、組織化された宗教等で満足してるかのようや。「既に死んでいる」世界観に気づかず、待ち受ける予期せぬ負の展開に生きることやろ!?
真父任は特に世界平和に貢献することに投入さたと顕進任を通して世界に明かされてはる。
真父任が聖和され、大きな変化が起きたことを認識したが、偏狭の中から抜け出せず幻滅し、社会の問題に挑戦するどころか、妥協してるに過ぎない。顕進任に同情してるもんらは、今後更に尚、試されるやろ?!
統一教の重荷を背負ってきたと思っても、そんな自分以上にもっと現実問題に対して挑戦せなあかん。顕進任を見るだけに止まってまうんやなく、顕進任が示す方向性へ行動で示さな、ここニッポンでは、荒野の修行場所から高温多湿の森で鎮守の神々と儀式をする後退途上に陥るだけや。

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